桃花源記

桃花源記

『桃花源記』の作者「陶淵明」とその時代

晋末宋初の詩人・陶潜(とうせん)(A.D.365~A.D.427)字(あざな)は淵明(えんめい)、つまり陶淵明で知られる詩人が書いた美しく幻想的な文章に『桃花源記』、日本語に訳すと『桃花源の記』というものがあります。

桃花源はユートピア、つまりこの世にはない理想郷という意味で今でも使われる言葉です。桃源郷とも言われますね。

陶淵明は4世紀から5世紀に生きた人ですので、日本でいうと古墳時代、ずいぶん昔の人ですね。ヨーロッパだって、陶淵明が生まれた365年頃というと、375年にゲルマン民族大移動というのが始まっていますから、やっぱりずいぶん古い時代です。こんな古い時代に中国ではユートピアの物語を書く詩人がいたんですね。中国の古い文化にはホント脱帽です。

『桃花源記』の内容

さて『桃花源記』の原文は400字足らず、つまり原稿用紙1枚足らずですが、非常にイメージ豊かで美しい物語です。

桃花源記-漁師

晋の太元と言いますから376年から396年の間です。陶淵明が生きた時代です。武陵(ぶりょう)というところに一人の漁師がいました。武陵は今の湖南省です。中国の南ですね。中国の北と南ではだいぶ風景が異なり南は緑豊かな場所です。ここに住む漁師が舟に乗って漁をしていたのですが、ふと自分が迷子になっていることに気づきます。うろうろしているうちに桃の花の林がある岸辺にたどり着くのですが、この場所がそれはそれは美しいところ、香しい花が咲き乱れているのです。少し歩くと山が見えてきます。この山に小さな洞穴があいているのですね。そこからはぼんやりと光がさしています。その光に誘われるかのように彼は洞穴に入り込んでいきます。最初はひどく狭い道を数十歩行くと目の前が急に明るく開けます。土地は広々として家々はきちんとしており、美しい田、美しい池、道は縦横に通じ、ニワトリや犬の鳴き声が聞こえます。人々はそこで農作業にいそしみ、老人や子供たちがなんとも楽し気です。老後の不安なんてない場所なんですね。子供のいじめも無縁のようです。

桃花源記の舞台となった湖南省
迷った漁師は桃花源へ
桃花源記-桃の花

そこの村人は漁師を見てびっくりし、どっから来たかと口々に聞きます。中国語は通じるところだったんですね。それにこたえていると、ぜひ家に来いと誘われ、行ってみるとまあ酒や魚の大盤振る舞い。すごーく良い人たちの村だったんです。

彼らはいろいろ聞くだけでなく自己紹介もしてくれます。「自分たちの先祖は秦の王朝で暮らしていたが、戦乱が起きたので家族を連れてみんなでここに逃げてきた。以後この村を出たことがない。だから外の人々との行き来は絶えてしまった」と。さらに「ところで今は何の時代なのだ」と聞きます。

秦と言ったら紀元前です。秦の始皇帝が中国を統一したのがBC221年ですから、晋の太元という時代をさかのぼること約600年ですね。彼らは漢も――これは前漢ですね――魏も――これは三国演義に出てくる曹操の国です――晋も知らないのです。好奇心丸出しにいろいろ聞いてくる村人に漁師は丁寧に答えます。村人は驚くやら溜息をつくやら。

漁師はさらに歓待を受けるのですが、数日でこの村を立ち去ります。そうですよね。きっと家族は心配しています。で家族の元に帰ろうとすると「この村のことは他の人に言わないでほしい」と頼まれます。そりゃあここはこんなに豊かで美しく、誰もが心豊かに幸せに暮らしているところですから、よその人には教えたくないですよね。適正人口というのがあるでしょうし、文化も違うでしょうし。今のヨーロッパ人と違って移民は嫌だったんでしょう。ちょっと日本人ぽいですね。ユートピアを守るのに移民政策はまずいのかもしれません。

漁師はまた来ようと思ったのでしょう。帰りの道々、あちこちに印をつけてふるさとに戻るのです。そして地元の長官に自分の経験談を話すのですが(言うなって言われたのに…)長官は大乗り気、さっそく桃花源の村をさがしに人をやります。けれどもあの村に着くことはありませんでした。他にもこの村を探しに行く人がいたのですが、やはりたどり着くことはなく病死してしまいます。その後この村のありかを聞く人はいなくなった、というところでこの文章は終わっています。

それからまた1600年もの時が流れます。さてさてあの桃の花の村はまだ山の洞穴の奥に存在しているんでしょうか?

覚えたいことば:桃花源 táohuāyuán (ユートピア・桃源郷)