牡丹亭(牡丹亭還魂記)

牡丹亭

牡丹亭とは

牡丹亭とは昆曲(昆劇)の演目の一つ。明代(1368~1644)の劇作家湯顕祖とうけんその代表作であると同時に、昆曲を代表する作品でもあります。全55幕。「牡丹亭還魂記」、「還魂記」とも言い、主人公杜麗娘と柳夢梅とのラブストーリー、明代に多い典型的な「才子佳人」の物語です。

昆曲の牡丹亭
昆曲の牡丹亭

『牡丹亭』のあらすじ

高官の家柄に生まれた杜麗娘は十六歳、美しい少女でしたが、両親からは家の裏庭にさえ出ることが許されない厳しいしつけを受けていました。

ある日両親の留守にいつもいっしょにすごしている侍女から庭に出ようとそそのかされます。裏庭は春まっさかり、鳥がさえずり花が咲き乱れています。

牡丹亭-杜麗娘と侍女

「世界はこんなにも美しい…それなのに私は家に閉じ込められている…」

そんな思いのままうつらうつらしていると夢の中に一人の若者が現れ、二人は楽しい時を過ごすのでした。

牡丹亭-夢

杜麗娘は目から覚めてもこの若者のことが忘れられません。やがて病気になり亡くなってしまうのですが、亡くなる前に美しい自画像を遺します。

その頃科挙の試験合格を目指す一人の若者が旅に出ます。旅の途中で杜麗娘の家庭教師に出会い、「梅花観」という廟で旅の疲れをいやすことになります。そしてその廟の周りを散歩していた時築山の下で一幅の絵を拾うのです。その絵には一人の美女が描かれていました。

この若者こそ杜麗娘の夢に出てきた柳夢梅でした。柳夢梅は朝に晩にこの美女の絵を見ては声をかけていましたが、ある日この絵の美女が彼の前に現れます。杜麗娘の亡霊でした。柳夢梅は亡霊とも知らずこの美しい女性と楽しい時を過ごします。そしてある日結婚を申し込むのです。すると亡霊は自分の生前の名、杜麗娘を名乗り自分は実は亡霊なのだと告げます。驚く柳夢梅に杜麗娘の亡霊は、私は生き返ることができます、梅の木の下の土饅頭を掘り棺を開ければ、生きていた時の姿のままで会うことができるのですと言うのです。

言われるままに柳夢梅は梅の木の下の土饅頭を掘り返し、棺を開けます。するとそこからは良い香りがし、美しい杜麗娘が起き上がるのでした。

こうして杜麗娘は柳夢梅と結婚をし思いを遂げることができたのでした。

明代における『牡丹亭』の意義

なんとも荒唐無稽なストーリーですが、この舞台は当時センセーションを呼び、この戯曲に耽溺するあまり亡くなってしまった少女すらいたと言われます。

明代と言えば日本では鎌倉~徳川初期です。当時の中国では道徳の規準は儒教で、結婚は親が決めるもの、良い家柄の娘は家の門から外に一人で出歩くなどということは許されないという社会でした(20世紀初めまでこうした状況は続いていました)。20世紀に入ってさえそうなのですから、明代の高級官僚の娘などどれほど窮屈な生活をしていたか想像がつきます。

そうした時代に夢とはいえ見知らぬ男と出会い、忘れられずに死んでしまうなど破廉恥もいいところだったことでしょう。そうした破廉恥な娘を主人公に、あくまでその姿を美しく描き、最後までその意志を貫かせ亡者と生者の結婚という結末を持ってくるのですから、観客はさぞ驚いたことでしょう。

こうした作品が当時歓迎されたのは、これが夢の世界、ファンタジーの世界として描かれたからです。儒教の教えはある意味たてまえの世界ですから、本音に生きる大多数の庶民は舞台という非現実の世界で、さらに非現実である夢や死後の世界という超非現実なできごとをのぞいて本音を解放し楽しんだのでしょう。特に少女たちがこれに夢中になったというのは、儒教の倫理に一番縛られていたからかもしれません。

この『牡丹亭』の意義について書かれた中国の評論等を読むと、必ず「反封建」などのスローガンめいた表現が出てきて、中国の文芸評論の世界はいまなお毛沢東の「文芸講話」(1942年毛沢東が延安で行った講演を整理した論文)に縛られているのだろうという気がします。この文芸講話を一言で言うと「文芸は政治に従う」ということで、芸術のための芸術は許されないということです。政治、つまり中国共産党の思想を絶対化してそれを物差しにあらゆる芸術を判断するということです。

戦後70年を過ぎ、こうした考え方を否定するのが常識である国に育った身からするとなんとも気持ち悪く、日中の価値観の距離を感じてしまいます。

作者湯顕祖とはどんな人物?

こうした時代エポック的な作品を書いた作者湯顕祖(1550~1616)とはどんな人物なのでしょうか?彼は江西省出身で知識人の家庭に生まれています。反骨精神の旺盛な人で、科挙に合格し役人になっても役所とはなにかとぶつかり、49歳で官職を捨て故郷に帰ります。

彼は陽明学(反朱子学。実践を重んじた儒教)の影響を受けており、その思想の一つ、欲望を自然なものとして肯定するという考え方がこの作品にも表れていると言っていいかもしれません。

日本の中国文学者である青木正児まさはるは『中国近世戯曲史』の中で、湯顕祖を同じ年に亡くなったシェークスピアと並べ、東西の二つの輝く星だと称えています。

『牡丹亭』と『牡丹灯篭』

日本に『牡丹灯篭』という怪談があります。明治時代落語家の三遊亭円朝が書いた落語の怪談噺です。毎夜幽霊が「カランコロン」と下駄の音を立ててやってくるのです。

これは『牡丹亭』と何か関係があるのでしょうか?あらすじが似てると言えば似てるのですが、こちらは江戸末期の怪奇物語集『御伽婢子』などから着想を得て書いた怪談で、『牡丹亭』とは関係がありません。

『御伽婢子』(1666年刊)は、中国明代の怪奇小説集『剪灯新話』に収録された小説『牡丹燈記』を翻案したもの。若い女の幽霊が男と毎晩会い続けるのですが、幽霊であることがばれ、幽霊封じをした男を恨んで亡き者にするという話です。円朝の『牡丹灯篭』はこの話に多くの事件を加えて創作したものです。

この『剪灯新話』は中国の怪異小説で、明の瞿佑 (くゆう)作。『牡丹燈記』はその中の一編で『剪燈新話』の代表作です。怪談『牡丹灯篭』の幽霊に足があるのも中国の幽霊話の影響だと言われています。

ではこの『牡丹燈記』と『牡丹亭』とは何か関係があるのでしょうか?話のあらすじとしては似ているものがありますし、題名も似ています。『牡丹燈記』の作者は『牡丹亭』の作者より百年くらい前の人ですから、『牡丹亭』の作者が『牡丹燈記』から想を得た可能性はあります。第一『牡丹亭』と名付けながら梅の出番はあっても牡丹は現れません。なぜ梅亭ではなくて牡丹亭なのか不思議です。『牡丹燈記』の方は幽霊が侍女に持たせた燈ろうに牡丹の花飾りがついているのです。

ちなみにこの牡丹ですが、中国人が伝統的に最も愛する花が牡丹です。大きく、他を圧する美を誇る花です。

『牡丹亭』と坂東玉三郎

昆曲(昆劇)の『牡丹亭』は、女形として有名な歌舞伎役者坂東玉三郎が昆曲の劇団と演じたことで話題になりました。玉三郎は昆曲の地元蘇州に赴き、まったく意味のわからない蘇州弁を丸暗記して舞台に臨んだと言われます。

東京での上演を私も見に行きましたが、それはそれは美しい舞台で見入ってしまいました。玉三郎はヒロイン杜麗娘を演じたのですが、当時すでに還暦を超えていたにも関わらず、他の若い俳優さんよりはるかに美しく、その一挙手一投足もまさに優美な昆劇のしぐさ。セリフの蘇州弁は中国人に聞き取れるかどうか、友人の中国人に聞いてみると、ほとんどの中国人が蘇州弁は聞き取れないから多少変でもだいじょうぶ、とのことでした。

すばらしいチャレンジではありましたが、どうしても本場ものの昆曲には見えず、歌舞伎と昆曲が融合された新しい芝居、という感じを受けました。おそらく芝居の本質の何かが歌舞伎と昆曲とでは違うのではないかという気がします。