覇王別姫
目次
- 1. 『覇王別姫』とは
- 2. 『覇王別姫』のあらすじ
- 3. 舞台『覇王別姫』
- 4. 梅蘭芳と日本
- 5. 梅府家宴
『覇王別姫』とは
『覇王別姫』とは京劇の演目で、『史記』(前漢武帝の時代に司馬遷によって書かれた歴史書)の項羽本紀や『西漢演義』(宋代か元代に書かれた史実を元にした物語)などにある項羽と虞美人の哀話を描いた作品です。清代の逸居士作。『楚漢争』『烏江自刎』『垓下囲』『十面埋伏』などとも呼ばれています。京劇の名女形「梅蘭芳」(1894~1961)が演じて有名になりました。
2018年6月に湖北省京劇院が来日し、この演目を上演します。日本では『さらばわが愛/覇王別姫』という1993年香港・中国合作の映画もよく知られています。これは中国近・現代史を背景に、『覇王別姫』を演じる京劇役者・項羽役と虞美人役の二人の役者の愛憎の物語。中国映画史上屈指の名作です。
『覇王別姫』のあらすじ
では京劇『覇王別姫』のあらすじを紹介しましょう。
秦末、楚の項羽と漢の劉邦は秦後の覇を争います。漢軍の元帥・韓信が李佐車に、項羽をだまして投降させよう、そのためにまず兵をこちらにおびきよせよと命じます。
項羽は自分の力を過信し、周りが止めるのも聞かないで大軍を率いて九里山に進軍します。ところがそこには漢の大軍が待ち伏せていました。こうして項羽軍は垓下で漢軍に包囲されてしまいます。
夜中、四方八方から楚の歌が聞こえてきます。包囲している漢軍の兵士が歌っているのです。この場面が故事成語「四面楚歌」の由来です。
「自軍の兵士がこんなにも漢側に寝返ったのか」と項羽は戦意を失い、愛馬・騅をなで愛姫・虞美人と別れの杯を交わします。激情に心を揺さぶられた項羽はこう歌います。
『垓下の歌』(書き下し文)
力は山を抜き、気は世を覆う
時に利あらず、騅ゆかず
騅ゆかざるを如何とすべき
虞や虞や汝を如何せん
『垓下の歌』(現代語訳)
山をすっぽ抜くような力があり、気力は天下を蓋うほどだったのに、時の運を失い愛馬の騅も動こうとしない。騅が動いてくれないのにどうしたらいいのだろう。虞よ虞よ、お前をどうしたものだろう。
当時負けた側の女性は必ず相手側の捕虜になります。項羽は辛さをこらえて虞美人に
「お前は生き延びて漢王・劉邦に尽くしなさい」と諭します。
これを聞いた虞美人は断り、自ら剣に伏してしまいます。
その後項羽は兵を率いて包囲を突破しますが、多勢に無勢で敗走し、わずかな兵とともに烏江(うこう)にたどり着きます。
そこの船頭から捲土重来を期すようにと励まされるのですが、亡くなった兵士の親たちに合わせる顔がない、と言って断りここで自らの剣で最期を遂げます。
舞台『覇王別姫』
このストーリーの舞台は1918年に『楚漢争』の題名で演じられ、その後1922年に梅蘭芳(ばい・らんほう、メイ・ランファン)などによって改編され『覇王別姫』となりました。改編版では項羽と虞美人の別れの場面が歌や舞で強調され人気を博します。その後も『覇王別姫』の人気は衰えず、「梅派」(梅蘭芳が打ち立てた流派)の代表作になりました。
梅蘭芳と日本
『覇王別姫』と言えば梅蘭芳。京劇を代表するこの女形役者は日本でも大変有名な人でした。日本を代表する歌舞伎の女形で後に昆劇『牡丹亭』を演じた坂東玉三郎とも縁があり、彼の祖父・13代守田勘弥が1924年に来日公演した梅蘭芳と同じ舞台に立っているのです。坂東玉三郎は子供の頃から父親に京劇と梅蘭芳のすばらしさを聞かされていたと言います。
梅蘭芳は祖父の代からの京劇一家で、幼い頃から舞台に立ち、二十歳の頃はその名が中国中に轟いていたほどの人気者でした。どこで演じようとその劇場は超満員になり、彼の芝居を見た人はそれを生涯の誇りにしたそうです。
梅蘭芳は1919年、1924年、1956年と3度日本を訪れ、1930年にはアメリカ公演、1935年、1952年にはソ連公演を果たし、いずれも成功を収めています。梅蘭芳によるこれらの海外公演をきっかけに中国の京劇は世界に知られるようになったと言えるでしょう。
梅府家宴
什刹海という北京の中心にある観光地の路地を入ったところに「梅府家宴」という隠れ家のような料亭があり、かつて梅蘭芳の家で作られていたという豪華な料理を出してくれます。
調度品の中には梅蘭芳ゆかりのものがあり、十年ほど前にここに行った時は先ごろ亡くなった梅蘭芳の息子であり自身京劇の名役者であった梅葆玖さんにお会いすることができました。
数人で食事していると突然座がざわつき、一人の品の良い老人が入ってきました。向こう側の席の中国人のお客さんとあいさつを交わした後、「誰だろう」とささやき合っている私たちの席にゆっくりと近づき「日本の方ですね。今度また日本公演に行くんですよ」と気さくに話しかけ記念写真にも収まってくれました。
北京旅行のすばらしい思い出の一つです。