黄河
Tweet黄河(こうが)は中国を東西に流れる大河で、中国の歴代王朝はほとんどが黄河流域に首都を置いていました。
ここでは黄河の地図、長さ、「河」と書かれる理由、流域別の歴史と見どころ、水質汚染などについて紹介していきます。
長江については『長江』のページで詳しく紹介しています。
黄河(こうが)とは
黄河とは、長さ5464キロメートル、南の長江(6300キロメートル)に次いで中国第2の大河(世界では6位)です。黄河流域では古代から豊かな中国文明が繰り広げられ「母なる川」と呼ばれています。中国人にとって母なる川は長江ではなく黄河なんですね。
水源はチベット自治区のバヤンカラ山脈、そこから東に流れ蘭州で北に曲がり「几」に似た形を作ってさらに東、やがて北東に向かい渤海湾にそそぎます。
なぜ黄河は「河」で長江は「江」なのか
長江はかつて「江」と呼ばれ、黄河は単に「河」と呼ばれていました。サンズイが「川」を意味し、「江」も「河」もそれぞれ長江と黄河を意味する固有名詞だったのです。これらのほかには黄河支流の渭(い)・汾(ふん)・洛(らく)、中国大陸を南北に分ける気候区分線に位置する淮(わい)、長江支流の漢(かん)などはそれぞれの川の固有名詞でした。やがて川ごとに漢字を作ることが大変になり、華北地方を流れる川には「〇河」(桑乾河…そうかんが…など)、華南地方を流れる川には「〇江」(珠江…しゅこう…など)と書くようになりました。
黄河上流
黄河上流とは、源流から屈曲部の北東端までの3472メートルを言います。黄河の流れは標高3000~4000メートルの高原地帯や砂漠・草原地帯を抜けると銀川平原に入ります。そこから東に曲がる河套平原は、かつて遊牧民が漢族の住む地域に攻め込む場所で、黄河が凍りつく冬になると騎馬軍団はここを越えて侵攻してきました。
「几」字型屈曲部はオルドス・ループとも呼ばれますが、これは明代後期にオルドスというモンゴル系の部族集団がこのあたりを占拠していたためです。このオルドスあたりで黄河が結氷する頃、その上流の銀川平原では解氷が始まるため、ここでは春先の洪水が起こりがちです。
黄河中流
黄河上流の最後の地点・河口鎮から河南省鄭州の桃花峪までが黄河中流と呼ばれます。全長1122キロメートルで、黄土高原を南下していきます。この高原は西の砂漠地帯から風で運ばれてきた「シルト」(砂より小さく粘土より粗い砕屑物…いわゆる「黄砂」)が堆積し、樹木や草に覆われていれば流失することはないのですが、森林伐採などが進むと雨が降るたびに土壌が流れ出し黄河に注ぎこんでいきます。戦国時代以降、開墾が進むとこの土壌流失が進んで黄河は黄色い河になっていきました。
黄河下流
桃花峪から渤海湾にそそぐ河口までが黄河下流で全長870キロメートルです。ここは河道が広くて浅く、流れ込む支流が乏しくて水流が穏やかなため、土砂が積もり易く川床が両岸よりも高くなる天井川となっています。そのため何度も堤防を決壊させ氾濫を繰り返して流れを変えてきました。川筋の変化は歴史に記載されるようになって以来、紀元前602年、11年、1048年、1128年、1492~1495年、1855年と大きくは6回川筋を変えて現在に至っています。
また近年は何度も「断流現象」が起きていました。これは黄河の水が途中で大量に取水されることで河口まで水が流れてこないことです。対策が取られ今ではこうした現象は見られなくなっているようです。
黄河流域の見どころ
黄河流域は中華文明揺籃の地ですから、沿岸にはさまざまな魅力的な風景が見られます。
黄河中上流は黄土高原、ここでは窑洞(ヤオトン)という穴居住宅を見ることができます。ヤオトンとは岩肌などをくりぬいて作った住居ですが、陝西省や甘粛省の農村などにみられる住宅で今なお1000万人ほどがこうした住宅で暮らしているそうです。
穴居住宅などと言うと原始人のようだと思う人もいるかもしれませんが、夏涼しく冬暖かい究極のエコハウスかもしれません。画像を見ると外観もなかなか魅力的です。
新中国成立前、中国革命の指導者・毛沢東や周恩来は延安のヤオトンに住んで指揮を執っていました。
黄河中流の河南省洛陽ではここに流れ込む支流・伊水の両岸で「竜門石窟」の仏像が見られます。石窟は千数百あり、そこに彫られている仏像は10万体。ここは世界文化遺産となっています。ここの仏像は日本の仏教彫刻の源流とも言われています。
黄河下流、渤海湾にそそぐ手前に山東省済南市があり、この街の真ん中を黄河が流れています。この街出身の詞人(詞…漢詩に比べると歌謡の要素が強い)に南宋の人(山東の生まれですが、北宋の滅亡とともに南に移りました)・李清照という女流詩人がいます。日本ではあまり知られていませんが中国ではとても愛されている詩人で、済南には彼女を記念した宋王朝風の公園があります。
黄河の水質汚染
大気汚染とともに川の汚染もまた現代中国の大きな問題の1つです。黄河は水不足とともに水質汚染も問題になっています。工場の排水が流れ込み、毒々しい色を呈して飲み水にも農業用水にも使えなくなっている場所がたくさんあります。
21世紀に入ったばかりの頃この問題はだいぶ騒がれていましたが今はどうなったのか。たとえば北京の大気汚染は2019年の春にはだいぶ良くなってきているようですので(ただし周辺農村部がどうなっているかはわかりません)、同様に黄河などの水質汚染に対してもかなり対策が取られ良い変化が見られるのか調べてみたのですが、この辺の情報は中国語ではほとんどでてきません。ということはまだまだということなのかもしれません。