“闺蜜” 中国語で女性同士の親友

“闺蜜” 中国語で女性同士の親友

闺蜜って何?

最近よく聞く言葉の一つに“闺蜜 guīmì”があります。“闺蜜”は“闺密 guīmì”とも書きます。“闺”という字は“闺女 guīnǚ”(娘)などと使われ、元々は女性の寝室のこと、そこから「女性」を意味します。“闺蜜(密)”で「女性の親友」を指します。なんで“蜜(密)”なのか、これは“闺中密友 guīzhōng mìyǒu”(女性同士の親友)から来ています。ですから本来“密”と書くべきでしょうが、そこはやはり女性を指す言葉ですから、“蜜”(ハニー)に換えたのでしょう。

中国の“朋友”は重く深く熱い!

中国人にとって“朋友 péngyou”の言葉の意味は、日本語の「友人」よりはるかに重く深く熱く、中国人から見た日本の「友人」はあまりに軽く浅く冷たいものです。要するに中国人にとって“朋友”とは三国演義の桃園の誓いのようなもので「同年同月同日に生まれることはかなわなくても、同年同月同日に死にたいものだ」という関係です。友が死ぬ時は自分もいっしょに死ぬのです。「そんなおもーい関係まっぴらごめん!」と大半の日本人が言うことでしょう。でも今時の中国人も三国演義の時代とあまり変わらない「友人観」を抱いていて、この日中の差は超えられない深い谷、千尋(せんじん)の谷です。

生き抜くのに厳しい社会

なんで!? 私が観察するところ、要するに中国社会は生き抜くのになかなか厳しい社会だからです。自分と無関係の人間にはほとんど関心を払わない社会(そのわりに電車の中で老人に席を譲る率は中国の若者の方が圧倒的に高い…)。そうした社会で「コイツなら信頼できる」と思ったら、互いに「迷惑」(としか日本人には見えないモロモロの用事)をかけ合い、その都度きずなを深め、この厳しい人生をともに生き抜いていくのです。

中国式友人の助け合い

そうした中国の「友人観」の中で、“闺蜜(密)”は「友人の中の友人」つまり「親友」です。どれほどの絆(きずな)か日本人の想像をはるかに超えます。女性の友人なんて男と違って深くはならないだろう、せいぜい一緒にランチを食べるとか旅行するとか…いえいえ、たとえば親友がローンの支払いに困っていれば日本円で何百万もの貯蓄をポンと出すとか、離婚した親友を一時自宅に引き取るとか、これはみなテレビドラマの中の話ですが、実際の姿を元に描かれています。もちろん立場が逆になれば今度は尽くしてもらった側がとことん尽くします。これはもちろん男性も同じなのですが、女性でこうした関係になれるのが“闺蜜(密)”なのです。

友人とは迷惑をかけ合う存在

ある中国人留学生が言いました。「日本人は友人どうしでお金の貸し借りはしない? じゃ友人は何のために存在するんだ?」って。この話を他の日本人に伝えるとみな一様に軽蔑の色を顔に浮かべます。「民度低すぎ!」「ただ利用し合っているだけじゃん」。でも中国人に「日本人は友人どうしでお金の貸し借りはしない」と言えばおそらくほとんどの人がこの留学生と同じ反応をするでしょう。中国でお金に困れば友人どうしで助け合う、これは非常識なことではありません。日本人のように「友人と大きなお金の貸し借りはしない」が常識になっている社会とは違うのです。迷惑をかけた、それでも助けてくれた、だから深い感謝と信頼が生まれます。確かに利用し合うのですが、そこに感謝や信頼といった感情があることも事実です。“闺蜜(密)”はそうした濃厚な人間関係(女性に限りますが)を意味する言葉です。

男の親友は“哥们儿”

では男同士はどう言うのか? 一般には“哥们儿 gēmenr”(兄弟)と言います。少しヤクザの臭いがする言葉です。中国ではこの“哥们儿”や“闺蜜(密)”がいなければ生きていけない、と言っても過言ではないでしょう。少なくとも私が観察する限りそうです。バックに日本政府や大企業を背負わずに(つまり日本政府関係者とか大企業の社員とかでなく)中国で暮らしてみたいと思ったら、まずこの友人作りから始める必要があるでしょう。