日本と中国での年齢意識の違い

日本と中国での年齢意識の違い

年齢意識にはいろいろありますが、ここでは“辈份”(長幼の序)という中国特有の年齢意識、年齢による一種の身分意識について日本と比較しながら紹介しましょう。これを知っておくと中国社会の謎が一つ解けます。

中国社会では年齢・世代による上下関係が今も生きている

中国には“辈份 bèifen”という言葉があります。「長幼の序」と訳されますが、世代の順序、世代による上下関係のことです。これは今も中国では大きな意味を持っています。

兄弟姉妹やいとこ、学校の友人などは同輩です。その親たちは上の世代、仰ぎ見るべき世代です。さらにそのまた親、つまり祖父母の世代になると2段階の上、より仰ぎ見る上の世代になります。この世代差はかつての中国では大きな威力を持ち、上の世代の権威や権力は子の世代に対して絶対的でした。新中国が成立し文化大革命という内乱を経て、こうした親の権威は「封建」という名の下に葬り去られたように見えますが、外国人からは中国人の意識にこの分け隔てがなお厳然と残っているように見えます。そしてこれは単なる年齢の差と言うより、一種の身分の差のようにさえ見えます。

中国で人を “我孙子”(私の孫)と呼んだら喧嘩が始まる!

中国人に日本には「我孫子(あびこ)」という名の駅があると言うと大笑いします。なぜならこれは中国では罵言だからです。喧嘩をする時「じゃあやるか!喧嘩もできないならお前は“我孙子 wǒ sūnzi”(オレの孫)だ」と言って始まったりします。同じくらいの年恰好の人間から“我孙子”などと言われたら中国人は頭にカッと血が上るのです。なぜかと言うと世代が二つも下になるからです。日本人は「だからってそれが何なの?」と不思議に思うばかりですが、中国人としては同じ世代の人間から二つも世代が下だと言われるのは屈辱なのです。若い中国人からこういう話を聞くと、“辈份”意識はまだこんなに強いんだとびっくりさせられます。

「若いですね」とお世辞を言ったつもりが罵言に…

中国人に「お若いですね、私の孫みたい」とお世辞を言ったのに、それが罵言に受け取られてしまったという悲劇をご紹介しましょう。

日本のある女性政治家が訪中し、そこで自分とそう年齢の違わない中国の政治家がとても若々しいのを見て「まあお若いこと、私の孫みたいじゃありませんか!」と思いっきりお世辞を言ったという話が伝わっています。これを聞いたその場の中国人がどういう反応をしたか?おわかりですね。おそらくそこにいた中国人はみな「えっ」と青ざめたことでしょう。こう言えば中国人の耳には、瞬間的に「バカ」とか「間抜け」みたいな罵言として聞こえるわけですから。通訳さんは日本人だったのでしょうか?中国人だったらさすがにそのまま通訳はしなかったでしょう。「とてもお若いですね」で止めておいたに違いありません。異文化のずれに気づかないのは怖いです…それにしても「孫」くらいでこんなに強烈な反応を引き起こすものなのか?私はやはり腑に落ちず、周囲の中国人にこの話をしてみました。するとやはり絶句するではありませんか。「ええっ“我孙子”なんて言ったの!それはありえない!」そうです。“我孙女”(孫娘)ならともかく“我孙子”(孫息子)は絶対ダメだと。“孙子”は息子の息子、直系の孫息子、血統を継ぐ者です。“孙女 sūnnǚ”は息子の娘、いずれ他家に嫁にいく身です。“孙子”と“孙女”では重みが違うのです。あー中国の“辈份”意識はすごいなあと思う所以(ゆえん)です。

夫婦が「お父さん」「お母さん」と呼び合う日本人に大爆笑

中国で暮らす中国人に、日本では結婚して子供が生まれると互いに「お父さん」「お母さん」と呼び合ったりするという話をした時、大爆笑されびっくりしたことがあります。この人は笑いが止まらず、その後別の友人たちと会った時もこの話を披露してまたまた大爆笑を引き起こしていました。なぜこんなに笑うのか不思議だったのですが、夫婦という同辈どうしが相手を一世代上の存在として呼び合うことが、中国では青天の霹靂、ありえないことだったからのようです。日本人にはまったくピンときませんが、たとえば夫婦が互いに「父上様」「母上様」と呼び合っていると想像すれば、その感覚が中国人に少し近づくのかもしれません。

もっとも中国の南部や台湾などでは日本同様、夫婦でパパ、ママと呼び合っていたりしますので、中国の北方(上の話は北京の出来事)はこの“辈份”意識が深く根付いているということなのかもしれません。

中国人は日本人より親孝行?

わりに伝統的な中国人の家庭ですと、子供は一般に親、特に父親にはよく従います。一人っ子政策が長く続いたことで変化はあるでしょうが、少なくとも日本の家庭より親の言うことによく従う傾向があります。この日中の差は戦前からのようで、戦前に中国人が「日本の子供は中国とは異なり親の言うことをあまり聞かない」と書いた文章を読んだことがあります。「長幼の序」は孟子の言葉ですが、日中のこの違いは、要するに儒教の影響の違いから来ているような気がします。中国は儒教の本場ですからやはり浸透の度合いが日本よりずっと深かったのでしょう。日本は侍はともかく庶民はもっと気楽な親子関係だったのかもしれません。中国人の親孝行、親の世代への敬意は儒教からくる“辈份”意識の強さと結びついている気がします。

中国人にはわかりにくい日本の先輩、後輩意識

そうした中国人が日本に来てびっくりするのは日本のいたるところで見られる「先輩、後輩意識」です。これは日本特有の“辈份”意識だと思いますが、同じくらいの年齢の中学生どうしなのに1歳違うだけで敬語を使うなど信じられない、また会社で数年先に入った同僚は年下でも先輩になるというのもわからないと言います。これが非常に苦痛だそうですが、先祖伝来の“辈份”意識は相当深くまで入っていそうなのに、その変形は耐えられないというのが面白いです。

中国人としては日本特有の“辈份”意識には、儒教的な道理性が感じられないのかもしれません。日本人としては、日本の先輩、後輩意識には「何かを教えていただく相手への感謝と礼」という道理性があるのだろうと思いますが、そうしたものをきちんと説明せず、「当然のこと」という意識で押し付けたりするので拒否感を生んでしまうのでしょう。

日本の先輩、後輩意識にも中国の“辈份”同様、早く生まれ、早く始めて今教えてくれる立場にいる人への敬意と感謝、そして礼の心があるのですよ、と伝えてあげましょう。このように説明すれば自分たちの“辈份”意識を思い、中国人はわかってくれるような気がします。