紅茶

紅茶

中国茶には「紅茶」「緑茶」「白茶」「黄茶」「青茶」「黒茶」の基本6種類がありますが、このうち紅茶は完全発酵茶という分類になります。

ここでは紅茶の歴史、名前の由来、英語での呼び方、種類、味、効能、カフェイン量、他の種類のお茶との違いなどを紹介します。

紅茶が日本に入ってきた時期

紅茶の茶葉

今では日本に昔からあったかのような紅茶ですが、実は明治以降入ってきた、日本人にとってはハイカラな飲み物でした。

戦後の短編小説に野坂昭如の『アメリカひじき』という作品がありますが、この題名「アメリカひじき」とは「紅茶」のことです。食べるものがない終戦時、庶民が紅茶を初めて見てひじきの一種だと思って食べたという話からきています。水に浸しておくと水の色が真っ赤になり「アメリカのひじきはあくが強いんやわ」と言う主人公の母親の言葉に思わず笑ってしまいますが、戦後もまだ紅茶は庶民に縁遠い飲み物でした。

日本でお茶といえば緑茶を指し、紅茶は「お茶」ではない別の飲み物という意識が強いのですが、実は世界で生産される茶葉の7割は紅茶です。日本や中国、ベトナム、ミャンマーなど緑茶国を除くと、世界でお茶といえば紅茶を意味するのです。

「紅茶」という名前の由来

紅茶と茶葉

紅茶」という名前は中国から伝わってきています。茶は一般に6分類され、それぞれに色名がついています。緑茶・青茶・白茶・黄茶・黒茶(あるいはプーアル茶)そして紅茶。同じ茶の木から作られながら、工程の違いから色合いも味も香りもさまざまな茶ができるのです。

ちなみに英語で紅茶は「ブラックティ(black tea)」と言います。「レッドティ(red tea)」ではありません。葉っぱの色から「黒い茶」と名付けたと言います。

紅茶を発明した国とその経緯

紅茶といえばイギリス、ダージリン紅茶といえばインド、そうそうセイロン(国名 今は「スリランカ」)紅茶というのもありました…紅茶はどこで作られるようになったのでしょうか。

答えは中国です。紅茶がいつごろ生まれたのかについてははっきりした資料がないのですが、17世紀以降、福建省の武夷山の桐木村(トンムー村)で作られたと言われています。

ただし意図的に発明したのではなく、山まで茶摘みに行き、遠い道のりを運んでくるうちに茶葉がしおれて酸化発酵し、それをしっかり揉むことで全発酵の紅茶がたまたま生まれたのではないかと考えられています。

緑茶を摘みに行ったのに、戻ってきたらいつの間にか別のお茶に変化していたというわけです。

武夷山
武夷山。

紅茶はどのようにヨーロッパに伝わったのか

17世紀といえば清朝の時代です。このころ中国で偶然?作られた紅茶はやがてヨーロッパ、特にイギリスで国を代表する飲み物となっていきました。中国とヨーロッパを往復するには当時船で2年かかったのですが、そんな時代にどんな経路をたどって紅茶はヨーロッパに伝わったのでしょうか。

茶の存在はポルトガル人が伝えた

紅茶

茶の存在を最初にヨーロッパに伝えたのは15世紀・大航海時代の先陣を切ったポルトガル人でした。ポルトガル人は1516年に中国、1543年に日本にやってきてそれぞれの国で茶の文化に触れておりその記録を残しています。その記録の中で茶が薬用として飲まれていること、茶を飲む儀式があることを伝えています。

17世紀に入るとオランダ人がマカオと平戸で緑茶を買いオランダに運んで、貴族の間で人気を呼びます。

それから50年ほど後にイギリス・ロンドンのコーヒーハウスで茶が初めて売られました。このときのポスターが今も大英博物館に残っており、ここでは茶が高価であること、頭痛・結石・腹痛・怖い夢などに効用があり、ミルクなどと一緒に茶を飲むと肺病の予防になると書かれています。

その少し後にポルトガルの王女キャサリン・ブラガンザがイギリス国王・チャールズ二世に嫁ぐのですが、その際持参金代わりの砂糖(当時きわめて高価なものでしたが、ポルトガルの植民地ブラジルでは砂糖を収穫することができました)と自分の病気予防に茶を持っていきます。キャサリンは王妃になると砂糖を入れて茶を飲む風習をイギリスの宮廷に広め、これが瞬く間にイギリス貴族の間に広がっていきました。ただこの時の茶はまだ緑茶・グリーンティ。やがてこの緑茶が紅茶・ブラックティに変わっていきます。

ヨーロッパ人の口に合った紅茶

17世紀の終わりごろイギリス商人が中国のアモイに行って茶を買います。その茶は武夷山周辺のもので、「ボーヒー」という名前の発酵茶、つまり今の「紅茶」だったのです。

正山小種
正山小種。

武夷山に桐木村(トンムー村)とう村があるのですが、この村では17世紀前半ごろから「正山小種」という発酵茶を作るようになります。この茶の名前は「武夷山に自生している茶葉から作った茶」という意味です。

茶を乾燥させる際ここでは今も松の木を燃やしておこした火を使いますが、木をよく乾燥させずに燃やすと茶葉にこの臭いが付着してしまいます。「正山小種」はこの香りが付着してしまった、つまり中国人にとっては失敗作の茶だったと言います。

もともと中国人にとって茶とは発酵させない緑茶のことですが、たまたま武夷山で生まれたこの発酵茶がヨーロッパ人の口に合いました。というのは水に違いがあったからです。ヨーロッパの水は基本硬水(カルシウムやマグネシウムの多い水)でこの水で発酵茶を入れると、中国の水で入れるより味が良くなりヨーロッパ人の口には緑茶より合ったのです。

茶と発酵

茶と発酵とはどんな関係があるのかここで説明しておきましょう。

「発酵」とは本来「微生物の働きで有機物が分解され特定の物質を作り出すこと」という意味です。たとえば醸造酒やみそ・醤油、納豆、ヨーグルトやチーズはこの発酵作用によって作り出されます。

ところが茶の「発酵」とは基本的に微生物とは無関係で、「茶葉の中で水や酸素が加わって変化する化学反応」のことで、実は「発酵」ではありません(微生物によって本当に発酵させる「黒茶」という茶もあります)。

茶については「発酵ではない」のに昔から「発酵」という言葉を使ってきたので、今もこの「発酵」という言葉を使っています。

この「発酵」…すなわち「水や酸素による化学反応」が起きているかどうかでお茶の種類が分かれます。

緑茶…発酵なし

白茶…半発酵(弱発酵)

黄茶…半発酵(弱発酵)

青茶烏龍茶)…半発酵(重~中発酵)

紅茶…完全発酵

黒茶プーアル茶)…後発酵(自然酸化ではなく、菌の作用で本当に「発酵」させたお茶)

緑茶も烏龍茶も紅茶も実は原材料は同じもので、この化学反応を起こさせるかどうか、この化学反応が強いか弱いかで枝分かれしてくるのです。

茶はほっておくと自然酸化作用が起きてしまうので、緑茶の場合煎って(日本の緑茶は蒸して)茶葉の酸化酵素を殺して酸化を止めます。この酸化を完全に進めると紅茶になり、途中で止めると烏龍茶になります。

お茶の種類

紅茶作りの工程

全発酵茶である紅茶は、萎凋(いちょう)→揉捻(じゅうねん)→発酵→乾燥の4工程を経て作ります。

最初の工程・萎凋とは生葉から水分を取ってしおれさせ葉を柔らかくすることです。日光萎凋、遮光ネット萎凋、自然萎凋、萎凋槽萎凋などがあります。

2番目の揉捻とは揉むことですが、葉の細胞を壊して酸化酵素の働きを活発にし発酵の準備をします。

3番目の発酵こそが紅茶づくりのキーポイントとなります。酸化酵素が働いてフルーツのような香りが出て茶湯が赤い色になります。

最後の乾燥によって紅茶の葉は発酵を止めます。

紅茶の歴史・続き

さてここでまた紅茶の歴史に戻りましょう。

中国人が飲まない発酵茶・紅茶がヨーロッパ、特にイギリスの水に合い人気を博します。こうしてこの武夷山の紅茶はイギリス人にとってとても価値ある紅茶となりました。ここで採れる岩茶・「正山小種」(武夷山の岩茶)は栽培したものではなく自生した茶葉なので、ほんのわずかしか採れません。けれどもイギリスで大人気だったために中国の茶葉商人とイギリスの東インド会社が結託し、武夷山以外の山で栽培した茶葉を「正山小種」と偽って大量に売るようになりました。それから長い年月が経ちましたが、「正山小種」紅茶は「ラプサンスーチョン」と呼ばれ今もイギリスで珍重されています。

正山小種
正山小種。

紅茶を作り始めた中国の茶農たち

イギリスから大量の紅茶の注文が入るようになり、中国の茶農たちは自分たちは飲まない紅茶を作るようになります。初めは福建省で、やがて他の省でも作られるようになりました。そうした紅茶に安徽省の祁門紅茶があります。この紅茶は祁紅(きこう・キーホン)とも呼ばれ、インドのダージリン紅茶・スリランカのウバ紅茶と並んで世界3大紅茶と言われています。

祁門紅茶
祁門紅茶。

茶の流行から戦争に

18世紀になるとイギリス人にとって紅茶は不可欠の飲み物となっていました。ところがイギリスでは茶の木は育たず、代価の銀は大量に中国に流れ、窮地に陥ったイギリスは、植民地だったインドでアヘンを作りそれを中国・当時の清に売りつけるという手を考え出します。これは後のアヘン戦争を引き起こし、この戦争に負けた清は一挙に滅びの道を辿っていき、これを目の当たりにした日本は幕末の激動期に入っていきます。

またイギリスの植民地だったアメリカでは本国政府による紅茶への高い税金への抗議行動がやがて独立戦争の導火線となります。

たかが紅茶されど紅茶…紅茶はこうして世界の歴史を変えていったのでした。

インド進出

19世紀に入り、中国から輸入するだけでは本国の茶の需要に応えられなくなったイギリスでは、他の地域での茶栽培を考えるようになります。そこでインドで中国から運んだ茶木の苗を植える試みをするのですが、ほとんど失敗。唯一ダージリンだけで中国茶が根付きます。ダージリンの紅茶は他のインド産の紅茶と味がやや異なるのですが、これは茶木が中国由来のものだからです。

ダージリンの茶畑
ダージリンの茶畑。

またインド自生の茶木を育てる試みもされ、これがアッサムで成功します。ちなみに飲料可能な茶の木は中国種とアッサム種の2種に分類されますが、これはアッサム茶の成功によるもので、それ以前茶は中国でしか採れないものとされていました。

アッサム茶は中国の茶木より2~3倍葉が大きく、味が濃く、茎や軸も除去せず加工することで大量に生産でき、安く売ることができました。こうして紅茶は大衆向けの飲み物になっていったのです。

アッサムの茶畑
アッサムの茶畑。
アッサムティーの茶葉
アッサムティーの茶葉。

ティバックの登場

1908年アメリカの茶の輸入業者が、茶葉の見本を絹の袋に入れて小売業者に送ったところ、この小売り業者は1杯分の茶葉を絹の袋に入れて売ることを思いつきます。この絹の袋が後にガーゼとなり、やがて紙となりこれが現在のティバックにつながります。現在では紅茶の優雅な飲み方にこだわってきたイギリスでも、ティバックの市場占有率は96%だそうです(2007年)。

ティーバッグの紅茶

イギリスでのお茶の習慣

イギリスと紅茶…と並べるとなんとも優雅なイメージが湧きます。古代中国や日本での緑茶が持つ一種の厳粛さと対照的なイメージですが、このイメージはどこから来ているのでしょうか。

かつてイギリスにはコーヒーハウスというものがあり、ここで紳士たちはコーヒーや紅茶を頼み、タバコをくゆらせて政治や経済について議論を交わしていました。とても女性が入れる雰囲気ではなく、女性は家でお茶を楽しみました。

コーヒーハウス
17世紀頃のコーヒーハウス。

お茶は高価なものでしたが、18世紀の中頃になると喫茶の習慣は中産階級にも広まっていきました。

19世紀の初頭になるとディナー(一日の主要な食事)はそれまでの夕方から夜遅くになり、昼食からの時間が空きすぎるようになりました。

イギリス貴族・第7代ベッドフォード夫人アンナ・マリアは空腹で気が滅入るのを何とかしようと午後自室で紅茶と軽食を取るようになります。これが後のイギリス名物「アフタヌーン・ティ」の始まりです。

19世紀半ばになるとアフタヌーン・ティは客間で用意され、やがてこれが社交の習慣となっていきます。高価な茶道具・ケーキスタンド・サンドイッチトレイ・美しいクロスやナプキン…アフタヌーン・ティタイムは吟味された小道具を用いることで、洗練された場となっていったのです。これぞ遠く日本にまで伝わっているイギリスの優美でおしゃれな「ティタイム」です。

アフターヌーンティー

中・下層階級にもティタイムの習慣は広がりました。インドから安いアッサム紅茶が入ってきたからです。イギリス産業革命時代の工場労働者たちは帰宅すると夕方6時ごろ美味しい食事と熱い紅茶を楽しむようになります。ミルクと砂糖を添えたアッサム紅茶入りポットはこうして庶民の食卓に欠かせないものとなりました。

紅茶の味と効能

紅茶

お茶の味を決めるのはアミノ酸(うまみ)・渋み(カテキン)・苦味(カフェイン)の3つで、これらは緑茶・ウーロン茶・紅茶すべてに備わっています。

アミノ酸のテアニンはこれを摂取するとα波が現れ、リラックス効果・ストレス緩和・血圧抑制に効果があります。また脳梗塞の予防にも効果があるのではないかと言われています。カテキンはタンニンとも呼ばれ、血圧抑制・コレステロールや血糖値調節作用・アンチエイジング・抗癌作用があると言われています。

カフェインは覚醒作用・利尿作用があり、また疲労回復・脂肪燃焼にも効果があると言われています。

紅茶は緑茶に比べるとアミノ酸の含有量が少ないのでアミノ酸によるうまみが乏しく、ポリフェノールの一種・カテキンが味を決めます。

紅茶のカフェインについて

紅茶

カフェインとは植物由来の塩基性窒素を含んだ有機化合物のことで、動物に対して中枢神経を興奮させるなどの強い作用を持ちます。カフェインと同じく塩基性窒素を含んだ有機化合物のアヘン・モルヒネ・コカインなどの薬物は、みな植物の実や葉から作られます。

カフェインも同様植物である茶葉やコーヒーやカカオなどに含まれていて、茶葉から作る紅茶にもこのカフェインが入っています。

カフェインの作用としては、覚醒作用・大脳刺激作用・疲労回復・ストレス解消・強心・利尿・抗喘息・代謝亢進作用などがあって、紅茶を飲むと夜眠れなくなるとかトイレが近くなるなどの現象はこうしたカフェインの作用からも来ています。

紅茶抽出液100mlにカフェインは30mg入っていますが、他の飲み物と比較すると、同じく抽出液100ml当たりウーロン茶20mg・煎茶20mg・玉露160mg・レギュラーコーヒー60mg・インスタントコーヒー60mgとなっています。もちろんこれらはおおよその目安で、茶葉や豆の量、滲出時間によっても変わります。

紅茶を飲んだ時のカフェインの量は緑茶より少し多く、コーヒーと比較すると半分になります。玉露のカフェインがダントツに多くてびっくりですが、これはもともと玉露がカフェインの多い茶葉を使っているのと、ぬるい湯で長時間滲出するのでカフェインが増えるのです。もっとも緑茶にはタンニンという成分も入っていてカフェインの働きを抑制するので、カフェイン作用は玉露よりコーヒーの方が強くなります。

いろいろな紅茶の茶葉の種類

中国の紅茶:祁門(キームン)紅茶

祁門紅茶
祁門紅茶。

祁紅(キームン・きこう)とも呼ばれる紅茶で、安徽省祁門県で採れます。

紅茶の中でも極上とされ「紅茶の女王」とも言われています。インドのアッサム・ダージリン、スリランカのウバとともに「世界4大紅茶」(アッサムを除いて、「3大紅茶」とも)の一つです。

茶葉は細長く少し曲がっておりツヤのある黒い色をしています。湯を入れると甘い香りが長く続き、味は濃厚でまろやか、茶殻は鮮やかな赤です。

今から百年前の1915年に、パナマ太平洋万博で金賞を受賞し世界的な評価を得ました。

中国の紅茶:正山小種(しょうざん しょうしゅ・ラプサン スーチョン)

正山小種の茶葉
正山小種の茶葉。

世界最古の紅茶で400年以上の歴史があります。ヨーロッパでもてはやされ、アフタヌーンティ用の茶葉として広まりました。福建省武夷山で採れます。「正山」は武夷山を指し、「小種」は岩茶の一種であることを意味します。

この紅茶は松の濡れた葉をいぶして作るので茶葉は黒い色、強い香りがします(前述したように茶としては失敗作という中国の茶農家の声も)。甘い独特の味を持ち、茶湯の色は鮮やかな赤。茶葉は細長く厚みがありよじれています。色は赤褐色です。18世紀にヨーロッパに伝わりアフタヌーンティ用のお茶として広まりました。

インドの紅茶:ダージリン

ダージリンの茶畑
ダージリンの茶畑。

ダージリンはインド北東部、海抜1800メートルにある避暑地です。涼しく霧が立つ日が多く、ここで採れる茶葉は「マスカットフレーバー」といわれる香気高いもので、ダージリン茶は「紅茶のシャンパン」とも呼ばれています。ダージリンでは茶は年間を通しては収穫できず、4月に摘まれるシーズン最初の茶(ファーストフラッシュと呼ばれる)が最高品質と考えられていて高値がつきます。

またダージリンの茶葉は中国茶が元になっています。

インドの紅茶:アッサム

アッサムの茶畑
アッサムの茶畑。

アッサムはインド北東部にあり世界最大の紅茶の産地です。ここの茶の木はダージリンと異なりインド原産です。中国茶に比べると葉の大きさが2~3倍あります。

アッサムは雨量が多く、気温が高く、ここの地形も相まってブレンドに良い味の濃い紅茶が採れます。3~5月にかけて摘まれた茶(ファーストフレッシュと呼ばれます)はさわやかな香りが特徴です。

いろいろな紅茶の味付け・香り付け

アールグレイ

アールグレイ
アールグレイ。

ベルガモットというかんきつ類の皮から採った精油で香りをつけた紅茶のブレンドです。19世紀にイギリス首相を務めたグレイ伯爵(earl Grey…「アール」は「伯爵」のこと)が中国赴任中に考案したと言われます。ちなみに中国語で「アールグレイ」は「伯爵紅茶 ボージュエ ホンチャー」と言います。砂糖やミルクは入れない飲み方が勧められています。

チャイ

チャイ
チャイ。

インドで飲まれているお茶。アッサム茶にザラメの砂糖と牛乳、黒コショウ、カルダモン(ショウガ科のスパイス。カレーには欠かせない)を入れて飲みます。インドの街角では1杯数円くらいで売られています。

アイスティー

アイスティー

茶は熱い飲み物ですがこれを冷やしたのがアイスティーです。考案されたのは今から百年も昔。1904年にアメリカのセントルイスで万博が開かれたのですが、時はちょうど夏。イギリスの茶商人が熱い茶を売ろうとしても誰も見向きもしません。がっくりしたこの商人がふと思い立って紅茶に氷を入れて売り出したところ大当たりだったというのが起源です。

権威を重んじ保守的といわれるイギリス人、これがイギリスだったら「フン!」と無視されたかもしれません。

レモンティー

レモンティー

アイスティーが登場してから30年ほど経つ間に、アメリカではレモンティー・ティーアイスクリーム・ティーサイダー・ティーカクテルなど紅茶を応用した飲み物・食べ物が現れます。

アイスティーにレモンを入れるのはアメリカの習慣で、アメリカのレモン農家で作られたレモン消費の拡大におおいに役立ったと言われます。この習慣が戦後の日本にも入ってきて、今でも紅茶を注文すると「ミルクティーですか、レモンティーですか」と聞かれますね。

イギリス王立化学協会お勧め「完璧な紅茶の入れ方」

2003年にイギリス王立化学協会が「科学的に立証された完璧な紅茶の入れ方」というものを発表しました。イギリスの作家「ジョージ・オーウェル」の生誕百年を記念してというもので、オーウェルのエッセイ『一杯のおいしい紅茶』を念頭に置いた、イギリス風ユーモアを隠し味とした試みなのでしょう。それによりますと以下のようになっています。

科学的に立証された完璧な紅茶の入れ方

材料:アッサム紅茶のルーズリーフタイプ(茶を入れるとポットの中で元の葉の形になるもの)軟水 新鮮な低温殺菌牛乳 白砂糖

1:やかんに新鮮な軟水を注ぎ火にかける

2:4分の1カップの水を入れた陶磁器のポットを電子レンジで1分加熱し温めておく。

3:やかんの湯が沸いたら温めたポットから湯を捨てる。

4:カップ1杯あたりスプーン1杯の茶葉をポットに入れる。

5:沸騰しているやかんの湯を茶葉に勢いよく注ぐ。

6:3分蒸らす。

7:陶磁器のカップにまず牛乳を注ぎ、続けて紅茶を注ぎおいしそうな色あいになるようにする。

8:砂糖を好みで入れる。

9:紅茶が60~65度になったら飲む。これ以上熱いと下品なすする音を立てることになるから。