茶経

茶経

茶経ちゃきょう』とは、中国の唐の時代に陸羽という文人によって書かれたお茶の専門書のことです。

茶経には、お茶の起源や製造方法、茶器、入れ方、飲み方、産地などが書かれており、中国茶のバイブル的な本となっています。

このページでは茶経の内容を紹介していきます。

『茶経』とは

茶経』とは唐代中期の760年ごろに、当時の文人で「茶聖」と呼ばれる陸羽(りくう 733~804)によって書かれた中国最古の茶専門書のことです。製茶・喫茶の技術に関する百科事典的な書物であり、茶の専門書として現在に至るまでこれを越えるものはないと言われています。

『茶経』というネーミングの「経」はいわゆる仏教の「お経」や「儒教の経典」とは無関係で、「体系的な知識のエッセンス」という意味で使われています。

『茶経』の著者・陸羽

茶経』を書いたとき陸羽りくうはまだ二十代、捨て子としてお寺で育った陸羽はしっかりした教育を受けたわけではありません。幼い身でお寺から脱走したり、芝居小屋に身を投じたり…。けれどもどこに行ってもすぐれた文人官僚などの目に留まり目をかけられ、次第に深い学識を身に着けていきます。一種の早熟な天才だったのでしょう。

陸羽以前、お茶は単なる飲み物に過ぎませんでした。陸羽以後、お茶は一種の精神性・神聖さを帯び、これは後に日本の茶道にもつながっていきます。

それでは茶に関するバイブル的な本・『茶経』について見ていきましょう。

『茶経』の構成

『茶経』は上中下の3巻に分かれています。

上巻においては、お茶の起源や製造方法について。

中巻は、茶器について。

下巻は、お茶の点て方・飲み方・産地などについて。

3巻の中で以下の10項目に分けて書かれています。

『茶経』の構成

1:茶の起源

2:茶道具

3:製茶方法

4:茶器

5:茶の煮たて方

6:茶の飲み方

7:茶の文献

8:茶の産地

9:略式の茶

10:茶経の図

『茶経』の各項目の内容

1:茶の起源

主な内容…茶の木の説明・茶という文字・茶の木の土壌・茶のタネのまき方・茶の効用など。

「茶は南方の嘉木なり」でこの項は始まります。「南方」は「華南」を指します。「嘉木(かぼく)」という表現からは茶という樹木への尊崇が感じられる、という学者もいます。

さらに「最上の茶は岩石の崩れた土地に、中等の茶は小石の多い土地に、下等の茶は黄土に生まれる」と書いています。

茶を意味する文字としては「茶」「茗」など5種類あり、そのうち主なものは「茶」と「茗」、茶は早く摘んだもの、茗は遅くに摘んだものという区別があったと言います。

ちなみに東京に「茗渓めいけい」いう名前の学校やビルなどがありますが、「茗渓」は「神田川(お茶の水)」の雅称がしょうです。

茶の薬効については「飲み物としては、まじめに仕事をし倹約に努めるような人に最も向いている。心が鬱屈し頭が痛み目が冴えず手足を動かすのも面倒で、すべての関節がきしむような時、とりあえず茶を4、5杯飲めば甘露に匹敵する素晴らしさだ」と言います。ただし採摘の時期を間違ったり製造がいい加減だと体を悪くする、とも。

2:茶道具

主な内容…さまざまな製茶の器具について。

ここでは茶を摘んで蒸すまでの道具や、茶を搗いて固めるまでの道具、茶を焙じて乾燥させ保存する道具など一つ一つの名前とその作り方などを事細かに説明しています。

3:製茶方法

主な内容…製茶法について。

茶摘みは2~5月に行い、晴れの日に摘み、雨や曇りの日は摘んではならないとしています。

摘んだ茶は蒸し、臼で搗き、固め、焙り、貫を通し、包装すれば完成である、と餅茶へいちゃの工程や鑑別について書いています。

4:茶器

主な内容…さまざまな茶器について。

炭火の道具、釜関係の道具、茶をあぶる道具、抹茶用の道具、水関係の道具、茶を煮るための道具、茶碗類、収納の道具について、それぞれの名前を挙げ事細かく説明しています。

茶碗については「盌」の字を用い、これは今の茶碗ではなく100cc程度が入る小さな杯型の茶碗を言いますが、これは越州(浙江省東南部)産の青磁が最上である、と言っています。

邢州の白磁の方がよい、という人もいたようで、この意見に反駁し、邢州の白磁は銀に似ているが越州の青磁はぎょくに似ている。邢州の白磁は雪に似ているが越州の青磁は氷に似ている。邢州の白磁では茶が赤く見えるが、越州の青磁なら茶は緑に見える。いずれをとっても越州の青磁の方に軍配が上がる、と述べています。

納得がいくかどうかは別として、デリケートな美的センスで茶とその器を選んでいる様がわかります。

5:茶の煮たて方

主な内容…茶器を使った煮立て方。

茶に用いる火は炭が一番。茶に用いる水は山の水が最上、大きな川の水は中等、井戸水は下等としています。その最上の山の水にしても、石灰岩の湧き水が池に注ぎ、ゆっくりと流れているものを選ぶべきであり、急流の水は使ってはならない。こうした水を長く使うと首に病気が出る、と言います。

さらにこの後陸羽推薦の喫茶法が書かれていますが、それは後ほど詳しく書いていきます。

6:茶の飲み方

主な内容…茶器を使った飲み方。

喉の渇きをいやすには飲み物を飲み、心配ごとや怒りを除くためには酒を飲み、眠気を覚ますためには茶を飲む、とあります。

茶は神農しんのう(古代中国の伝説・神話に登場する三皇五帝の一人。医薬や農業を司る神)に始まり、魯の周公のころ知られるようになった。春秋時代、漢代、三国時代、晋代、それぞれの時代に茶と関わりのある人物が出た。民間でも茶を飲むことがはやり、唐代になるとそれが盛んになった。長安・洛陽・湖北・重慶あたりの住民はみな茶を飲んでいる、と歴史や状況を説明しています。

茶の種類については、粗茶(大きな葉茶)・散茶(普通の葉茶)・末茶(粉末茶)・餅茶へいちゃ(固形茶)がある、と述べています。

民間での茶の飲み方には2種類あり、

1)淹茶えんちゃ……茶をかめに入れ湯を注いで飲む。これは今のお茶の飲み方に似ています。

2)ネギ・ショウガ・ナツメ・ミカンの皮・ハッカなどをお茶に加え、100回沸騰させて飲む。

と説明し、このような飲み方は用水路に流す汚水と同じだとこき下ろしています。2番目の飲み方はスープのようですが、栄養たっぷりで美味しそうです。けれども陸羽は、茶とはこういうものではない、と言うのです。茶の本当の良さを味わってしまったからかもしれません。

そして茶の難しさをこう述べます。

茶については

1.製茶の難しさ  2.鑑別の難しさ  3.器の難しさ  4.燃料の難しさ  5.水の難しさ  6.あぶることの難しさ  7.粉茶の鑑別の難しさ  8.茶の煮方の難しさ  9.飲み方の難しさ

以上9種類の難しさがある、と言います。

7:茶の文献

主な内容…茶に関するさまざまな文献について。

さまざまな文献の中で茶に触れた部分を書いています。

たとえば後漢末の華佗かだ(伝説的な名医。曹操の侍医だったが、曹操のところから逃げ出し、言い訳に嘘をついたかどで刑死)はその書『食論』の中で、「苦い茶は長期にわたって服用すると頭がしっかりする」と述べた、と紹介しています。

また『桐君録』にある文章に「南方に瓜蘆木かろぼくが生じるが、これも茶に似ているがひどく苦くて渋い。これを細かく刻んで茶として飲むと、一晩中眠らずにいられる。塩を煮る仕事の人たちはこの飲み物に頼っている。交州(ベトナム)や広州ではとても重んじられていて、客に出される。その時はさまざまな香りのよい草を中に入れる」とある、と紹介しています。

塩作りの作業をする人は夜を通して仕事をしており、その時お茶が重宝していたのですね。

この項では実にいろいろな文献にあたっています。陸羽20代に書かれた本(その後も手を入れ続けたとも言われます)ですが、大変な勉強家であったことがわかります。

8:茶の産地

主な内容…中国各地の茶の産出状況。

この項目では中国各地のお茶を道州単位でランク付けをしています。44か所を5ランク、上から順に、「上・次・下・又下・言葉なし」という表現で評価しています。

それを読むと、浙江省紹興・浙江省湖州・湖北省宜昌・河南省潢川・四川省彭県が最高レベルになっています。

それにしても実に綿密に調査されていて、唐代のデータの近代性に驚きます。

9:略式の茶

主な内容…略式の茶と陸羽の勧める正式な茶。

野点のだて(野外で点てる茶)のような略式の喫茶法を述べています。対照されるのは王侯貴族の屋敷で茶を点てる茶会での喫茶法です。後者の場合は器などにも陸羽は手抜きを許しません。

当時から「野点」という茶会があったのですね。

10:茶経の図

主な内容…『茶経』の内容を絹の布に書いて壁に掛けておくべきことについて。。

『茶経』の内容を図の形で書き展示しておけば、内容が一目でわかる…ということが書かれています。この項はわずか数行なので原形を失っているのではないか、と言われています。

陸羽の提唱する喫茶法…「煎茶法」

ここで陸羽が提唱した喫茶法をまとめておきましょう。陸羽が提唱した喫茶方法は「煎茶法」と言い、茶を煮出して飲む方法です。『茶経』にある記述に従って、以下にその手順を書きます。

煎茶法

1)平鍋に600ccの水を入れて風炉の火にかける。

2)沸騰したら塩を入れる。

3)二度目に沸騰したら、湯の一部を湯冷まし用の器に分け入れる。

4)湯の中央をかき回して茶の粉を入れる。

5)三度目の沸騰まで煮る。

6)湯冷まし用の器に入れておいた湯を平鍋に戻し、火からおろす。

7)湯の表目に「茶の華」(泡と茶の粉が混ざったもの)が浮いたら完成。底に不純物が沈む。

煎茶法で使われるお茶は「餅茶・団茶」と呼ばれ、摘まれたお茶を蒸してからき、そのあと平たく固めてあぶって乾燥させたものです。飲む時はこれを削って粉にします。

上のような手順でお茶を煮るのは、苦みや雑味をなくすためです。

また沸騰3回までとなっているのは、長い時間煮立てないという意味で、当時茶とともにネギやショウガを入れてぐつぐつ煮込む飲み方があり、そういう飲み方ではないというわけです。

さらには細心の注意を払って入れたこの美味しいお茶は、3~5個の小さな器(100cc入るくらいの)に入れて客人に供し、熱いうちに飲まなくてはいけないと説明されています。冷めると風味が落ちるからです。

美味しいお茶を入れるのに細心の注意を払っているのがわかります。

陸羽が提唱した江南の茶文化

陸羽以前の喫茶方法としては、お茶にネギ・ショウガ・ミカンなどを入れて飲むという茶文化がありましたが、陸羽はこうした飲み方を否定します。また文人の茶文化には大ぶりの茶碗でゆっくりと飲むという飲み方がありました。陸羽はこれも否定します。また北方では茶にヨーグルトやバターなどを入れて飲み、これを南方の人々に自慢する風潮などもあったようです。今でもモンゴルやチベットの人はこうしたお茶を飲みますね。

こうした飲み方をことごとく否定し、丁寧に入れた最上の味わいのお茶を小さな茶碗に入れ、熱いうちに味わう…これぞ本当の茶である、と江南の人・陸羽は提唱したのです。

陸羽はお茶たるものの本質が…ただのドリンクではないということが直感的にわかったのかもしれません。この直感が独断と偏見に陥っていないのは、その後陸羽が「茶聖」と称えられてきたことからもわかります。陸羽の茶への向き合い方に深い精神性を感じ取った人々はそこに聖人と同様の心を読み取ったのでしょう。

この精神性は後の日本の「茶道」にも大きな影響を与えていると思います。