台湾茶
Tweet台湾では主に烏龍茶が作られています。ここでは台湾茶の歴史や農園、栽培分布と種類、有名な台湾茶(東方美人、阿里山茶、凍頂烏龍茶、文山包種茶、渋水皇茶)などを紹介します。
目次
- 1. 台湾茶とは
- 2. 台湾茶の歴史
- 3. 台湾の茶園の分布
- 4. 台湾の茶園と栽培されているお茶
- 5. 有名な台湾茶
- 6. 台湾の茶館
- 7. 台湾茶の茶器
- 8. タピオカミルクティー
台湾茶とは
台湾茶とは台湾で採れるお茶、あるいは台湾で飲めるお茶のことです。日本人からすると、中国のお茶といえば烏龍茶という印象ですが、実は中国大陸でよく飲まれているお茶は緑茶、あるいはそれをアレンジしたジャスミン茶(花茶)で、烏龍茶をよく飲むのは台湾の人々です。
台湾茶の歴史
台湾の茶葉は台湾物産の代表で、かつて「茶」と「樟脳(防虫剤・防腐剤・かゆみ止めなどの原料)」が台湾の対外貿易の2大品目でした。
現在台湾で最も有名な茶葉は「包種茶」と「烏龍茶」ですが(実はどちらも烏龍茶で、ただ「包種茶」の方は弱発酵で、無発酵の緑茶に近い品種です)、これらはどちらも福建省から入った茶種で、台湾原産ではありません。
清朝康熙56年(1717年)と同乾隆元年(1736年)にそれぞれ出た書物に、台湾の南投の水沙連山には野生の茶木が自生しており、台湾の先住民族はこれを飲もうとしなかったが、台湾に移住した漢族たちがこれを茶葉として作っていたとあり、これが台湾の茶に関する最も古い記録です。
『烏龍茶及び包種茶製造学』という台湾出版の本に台湾茶木の植え付けは1810年頃に始まったとあります。またある民間の契約書には1827年に台湾に住む漢民族たちが茶を植えていたとあり、いずれにせよ19世紀初めには台湾で茶の製造が始まっていました。
その後19世紀の中頃までには、台湾の茶葉は大陸に送られて加工され、その後に海外に輸出されるようになります。当時清朝は海禁(かいきん…領民による沿岸部などでの密貿易等を禁止する)政策を採っており、台湾茶葉の輸出は福建を経て行われていました。つまり台湾に住む漢人が直接海外と貿易をすることは禁じられており、台湾茶は福建省における役人の管理のもと海外に輸出されていたのです。
アロー戦争(1856~1860…清朝とイギリス・フランス連合軍の戦争)後、清朝は台湾の滬尾と基隆を開放し、台湾の産物は大陸を経ずにこの2つの港から輸出入ができるようになりました。
1880年以前台湾の茶葉では烏龍茶だけが輸出されており、外国商人がこれを独占的に扱っていましたが、やがて漢人の手で貿易が行われるようになっていきました。
1881年福建の茶商・呉福老が「包種茶」製造工場を台湾に設立しました。
1864年イギリス人の杜徳(漢字名)が淡水に貿易会社を設立し、1866年福建から大量の茶苗と茶種を輸入してそれを淡水や三峡・大渓の農民に貸し付け、茶葉の収穫後それを買い取るというシステムを作り、その後それを大陸に運んで加工してから海外に輸出しました。
この茶葉の市場での反応が良かったので杜徳は台湾に茶の製造工場を作ります。1869年にはここで作られた烏龍茶が「フォルモサ・ティ」(麗しの島の茶…フォルモサはポルトガル人がつけた台湾の美称)としてニューヨークに輸出され、1880年台湾茶の輸出高は540万キロ以上になり台湾茶商に大きな富をもたらしました。
1895年日清戦争の勝利により台湾は日本に割譲されます。その後日本政府は台湾で紅茶の栽培による産業振興を考え、茶木の栽培試験場や茶製造試験工場を次々に作って、台湾製茶の機械化を進めます。同時に茶葉生産・販売システムを作り、この茶を国際博覧会に出品して台湾茶の輸出増加を推し進めました。
こうして台湾紅茶の輸出高は烏龍茶や包種茶を超え、とりわけ台湾に工場を置いた「日東紅茶」は「リプトン紅茶」と優劣を争うまでになりました。
第二次世界大戦後、台湾は国民党政権となり、国民党政府は日本の茶葉会社を「台湾農林公司」とし、引き続き紅茶の輸出に力を入れました。また国際市場のニーズにこたえて緑茶の生産も始め、1981年に緑茶は台湾の茶葉輸出量の半分以上となり、台湾の茶葉輸出の主役になりました。
1985年以降台湾での茶葉生産はコスト高となり、台湾国民の所得増加に伴って高級茶葉のニーズも増え、台湾茶葉の輸出よりも海外からの輸入茶葉が増えるようになって現在に至っています。
台湾の茶園の分布
台湾の主な茶園は中・北部の丘陵または海抜1200メートル以下の山間部に集中しています。それぞれの茶園面積の合計は2万ヘクタールあまり。台北・桃園・苗栗・南投・雲林・嘉義・高雄・台東・花蓮・宜蘭などに分布しています。
茶木に適した生育環境とは、北緯38度~南緯30度、亜熱帯から熱帯地方にかけて。最適気温は16~20度で、年間雨量は2000~2500ミリ、強風の吹かない場所です。
台湾中部や北部の山間部は上記の条件から見て茶木生育に最も適しているのです。
台湾の茶園と栽培されているお茶
台湾北部の茶
新店・坪林・深坑・石碇・汐止・平渓などで採れるお茶……「包種茶」が主。
三峡地域……「龍井」や「碧螺春」が主。
木柵地域……「鉄観音」が最も有名。
南港地域……「南港包種茶」を生産。
桃園地域……「龍潭茶」・「龍泉包種茶」・「梅台茶」・「武嶺茶・「蘆峰烏龍茶」・「秀才茶」を産出。
新竹地域……「東方美人茶」。
苗栗地域……「明徳茶」・「仙山茶」・「龍鳳茶」。
宜蘭地域……「玉蘭茶」・「素馨茶」・「上将茶」・「五峰茗茶」。
台湾中部の茶
中部地域……「凍頂胡乱茶」・「竹山松柏長青茶」・「霧社天霧茶」・「廬山天廬茶」・「水里玉山烏龍茶」など。
雲林茶地域……「雲頂茶」・「高山茶」。
中部山岳地域……「福寿長春茶」・「武陵茶」。
花東茶地域……「福鹿茶」・「太峰高山茶」・「天鶴茶」など。
南部茶地域の茶
南部……「阿里山高山茶」・「清心烏龍」など。
台湾最南茶地域……「屏東満州港口茶」があります。
有名な台湾茶
台湾では緑茶や黒茶も作られていますが、最も有名なのは烏龍茶です。中でも有名なものは「東方美人」茶で、イギリスのエリザベス女王が茶商から献上された時こう名付けたと言われています。このお茶は「フォルモサ・シャンパン」とも呼ばれています。フォルモサというのは16世紀初めて台湾にやってきたポルトガル人が台湾島の美しさに感動して「フォルモサ(美しい)島」と名付けたと言われている、そのフォルモサです。
東方美人茶は水色(すいしょく…茶湯の色)が透明感のある濃いオレンジ色、果実のような甘い香り、まろやかな味わいで高く評価されています。他にも「阿里山高山茶」・「凍頂烏龍茶」・「包種茶(パオチョン)」などが有名です。
東方美人
東方美人茶はまたの名を「膨風茶」ともいいます。『茶葉全書』を書いたウイリアム・烏克(漢字名)はこの茶を台湾茶の代表としています。これを飲むと蜜のような甘味が広がり、イギリス女王はこの茶に「東方美人」と名付けました。
「膨風茶」という名前の由来は戦前の日本統治時代に戻ります。北埔(台湾北部の新竹県)産の茶が色艶も香りも飛び抜けて優れていたため、第13代台湾総督が日本に帰国する前に高値で大量に買いました。この話が伝わるやみな「膨風」(大ぼら)だと笑ったのですが、翌日の新聞を読んで事実であることが判明。そこで「膨風茶」(大ぼら茶)と呼ばれるようになったと言います。これがエリザベス女王のところに行くと「東方美人」となるのですから、名前の威力や大です。「膨風茶」ではお腹が破裂しそうで誰も買いません…
ともあれこの茶は1920年代から土壌や肥料、栽培など研究・改良を重ねて作られた苦心の茶葉でした。この茶の製造に早くからかかわった姜瑞昌は客家出身、この一族の家は今も北埔に遺されています。
文山包種茶(ぶんざん ほうしゅちゃ)
別名「清茶」とも言います。台北の文山区で採れます。
春摘み(3月中旬から5月上旬)の春茶と冬摘み(10月下旬から11月中旬)の冬茶の評価が高いお茶です。茶葉の色は深い緑色で、蘭の香りが長く続き甘い味がします。水色は黄緑色。
緑茶に近い弱発酵のお茶です。150年ほど前に福建省安渓県で作られ、その当時は茶葉を紙で包んだのでこの名がついたと言われます。その後台湾に入り、改良が進み今の包種茶となっています。
凍頂烏龍茶
台湾を代表する烏龍茶で「茶中聖品」とも言われています。中国大陸の烏龍茶より発酵度が低く(40%)飲みやすいお茶です。生産量が少ないのできわめて貴重なお茶です。
主な産地は台湾南投県鹿谷郷、海抜700メートルの凍頂山です。南国台湾で海抜700メートルに過ぎないのに「凍頂」とはこれ如何に?いくらなんでもてっぺんが凍ることはないでしょう。実は、元は「崠頂」と言っていたそうでこれは「頂上」という意味。同じ音なので「凍頂」になったのだとか。
この山は土質が良く、「青心烏龍茶」など良質の茶木がよく茂ります。凍頂山の烏龍茶は「晒青・涼青・揺青・炒青・揉撚・初烘・包揉・複烘・焙火」などの工程を経て作られます。かつては台湾を代表する烏龍茶でしたが、近年はトップの座を「高山烏龍茶」に譲っています。
凍頂烏龍茶の伝説
凍頂烏龍茶にも以下のような伝説があります。
台湾に林鳳池という若者がいました。彼は祖籍が福建で、ある年福建で科挙の試験が行われるというので受けてみたいと思いました。家が貧しかったので親戚たちが募金をして彼にお金を渡し受験させました。その時親戚たちは「福建に行ったら向こうの親戚たちによろしく言っておくれ。俺たちはこの台湾でみんなをいつもなつかしく想っているとな」と言い聞かせました。
こうして地元の期待を背負って受験した林鳳池はみごと科挙に合格し、その数年後台湾に戻る際36株の烏龍茶の苗を持ち帰って南投鹿谷郷の凍頂山に植えました。彼は心をこめて茶を育て、一帯を茶畑にして美味しいお茶を作りました。
その後大陸の朝廷から呼ばれてまた上京する折、彼はこの茶を道光帝(清朝第8代皇帝)に献上しました。皇帝はこの茶の味を愛で、その後この茶は「凍頂烏龍茶」と呼ばれるようになったということです。
凍頂烏龍茶の栄養価
血液中の脂肪を分解するのでコレステロール値を下げることができます。また抗腫瘍作用やリンパ細胞などの活性化を促進する作用があり、免疫力を高めたりアンチエイジングに効果があります。
凍頂烏龍茶の保存方法
乾燥させて低温保存します。特に夏は冷蔵庫で保存します。
阿里山(高山)茶
標高1000メートルを超す高山で栽培されている茶なのでこう呼ばれています。
1980年以降に開発された茶栽培地域で生産され、現在では台湾烏龍茶のトップ銘柄となっています。元は阿里山一帯で栽培されていましたが、現在では栽培エリアが広がり、梅山・梨山・杉林渓・奇萊山・福寿山などでも栽培され、銘柄としてはこれらの産地名でも呼ばれています。
この烏龍茶はほとんど焙煎されず、発酵度も弱く、金木犀のような香り、芳醇な味で、4~5月の「春茶」、11~12月の「冬茶」が特に美味しいと言われています。
日本人は知っておきたい「渋水皇茶」
台湾中部・南投県にある台湾最大の湖「日月潭」近くの大雁村渋水地区は、陶器や紅茶で有名な美しい村です。ここでは日本統治時代から紅茶作りが行われ、非常に美味しい紅茶だということで昭和天皇に献上されたこともあります。戦後は茶づくりの職人がいなくなったり、茶葉の値段が下がったりしたことで茶製造は厳しい時代を迎えましたが、現在ここの紅茶は再び優れた茶葉として「渋水皇茶」の名で販売されています。この名前はかつての献上茶を記念するとともに、今では「お客様に差し上げる」という意味も持っているということです。
日本人としては、過去の記憶を記念として残してくれるありがたさとともに、台湾の人々の日本への優しさを感じずにはいられません。
台湾の茶館
茶館とは中国式喫茶店・ティルームのことです。台湾にはたくさんの茶館があり、いかにも台湾風であったり、ヨーロッパ風であったり、日本風であったりします。
台湾の茶館は一般にはいずれも静謐さ、上品さ、優雅さなどを雰囲気として持ちます。飾り付けなどに文化的な教養を感じさせる場所もあります。
中国茶の入れ方をパフォーマンスとして見せてくれるところもあります。
いずれにせよ台湾に行ったらおいしい台湾茶を味わうとともに、台湾茶文化にひたってみたいものです。
台湾の有名な茶館…「春水堂」
ここの内装は宋の時代の文化的雰囲気を模しているということです。
日本でも人気のある「タピオカミルクティー」はオーナーの劉漢介さんが大阪でアイスコーヒーに出会い、帰国後アイスコーヒー用のシェーカーを使って茶飲料を作ったのが始めだそうです。今では香港・大陸は言うに及ばず、日本・東南アジア・アメリカ・ヨーロッパでも人気を集めています。タピオカドリンクはバブルティとも呼ばれ、このお茶はミルクティーにタピオカパール(キャッサバという芋のデンプンを粒状にしたもの)を入れて作ります。
台湾の有名な茶館…「阿妹茶楼」
「阿妹茶楼」は九份(きゅうふん)の豎崎路(じゅきろ)という長い階段路の途中にある有名な茶館です。ジブリのアニメ『千と千尋の神隠し』の舞台・湯屋「油屋」に似ているということで一躍有名になりました。ある日白髪の老人がこの店にやってきて窓際に座りスケッチを走らせていた、写真で見た宮崎駿によく似ていたなどという話も台湾のネットに出てきますが、宮崎駿自身は台湾には行ったことがない、とこの話を否定しています。
台湾観光地といえば九份、その代名詞的な風景を持つ豎崎路のそのまた代名詞のようなお店です。夕暮れ、提灯に明かりがついた頃の店の外観・窓際や屋上のテラス席から眺める半島がいくつも突き出た深奥湾の海など絶好の撮影スポットです。
ただしこのお茶屋さん、茶一品目にお菓子少々で300元(約1100円)、台湾の物価からするとやや高くなっています。
台湾の有名な茶館…「七三茶堂」
台北にある茶館です。オーナーの王さんの妹さんが阿里山住まい。そこを訪ねたところあたりから漂ってきた茶を焙じる匂いにすっかり魅せられ、茶のとりこになったことがきっかけでできたお店だとか。七三という面白いネーミングは茶を入れる心得「茶は茶碗の七分まで注ぎ、残りの三分は相手への思いやりとして注がない」という言葉からつけたそうです。なみなみ注がれてしまうと熱くて飲めませんものね。
ここでは阿里山高山ウーロン・鉄観音などいろいろな銘茶を味わうことができます。おいしいケーキや軽食も。茶器なども売っています。
台湾の有名な茶館…「翰林茶館」
台南で生まれた茶館です。暖かいタピオカミルクティーが飲めます。麺類もおいしいと言われています。台湾各地にチェーン店がありますが、オーナーはみな厳しい茶の入れ方を訓練されており、「文人的な茶の入れ方」を見せてくれる場所もあります。
台湾の有名な茶館…「紫藤廬」
台湾大学そばのこの茶館は見た目はパッとしませんが、中に入ると洞窟の中のように静かで、文芸界の名士たちが密かに集まる場所になっています。またかつては台湾民主化運動や反体制運動の集会所にもなったいたとか。ここの歴史は古く、戦前は総督府の高級官僚の、戦後は著名な学者の官舎で、今も畳の部屋が残っています。60年代になると自由主義の学者たちの集会所になっていき、その後この著名な学者の息子がここを一種のサロンにし、まだ芽の出ない芸術家たちを応援する場にもなっていきます。
1981年ここは茶館となって茶や食事を出すと同時に、社会的・芸術的なサロンとしてさまざまな催しものも行われています。
台湾茶の茶器・茶道具
台湾茶・中国茶に使われる茶器・茶道具を紹介します。
茶壺
茶壺……いわゆる「急須」のことです。形も品質もさまざまですが、一般には小ぶりのものが多く、これは1回で飲み切るためです。中国茶、特に青茶や黒茶を飲むのにふさわしいと言われているのが「紫沙壺」です。これは宜興の紫沙土で作るもので、宋代から明代の頃作られたと言われています。
茶杯
茶杯……「湯飲み」のことですがこれも一般には小ぶりです。陶器やガラス製。
蓋椀
蓋椀……蓋つきの湯飲みのことで、茶たく・茶碗・蓋の3点セットになっています。白磁製・陶器製・ガラス製のものがあります。茶杯と比べるとやや大きめで、蓋椀から直接飲むこともあれば、蓋椀から別の茶器に移して飲むこともあります。
聞香杯
聞香杯……お茶の香りを楽しむためのもので、公道杯から聞香杯へとお茶を移し、その後、聞香杯から茶杯へと移します。主に台湾烏龍茶で使用されています。
茶荷
茶荷……茶を入れる際、臨時に茶葉を入れておくものです。竹・木・磁器・陶器などからできています。愛らしい形をしています。
公道杯
公道杯……客人の茶湯の濃度を調整する時に使います。ガラス製・白磁・紫沙など。
随手泡
随手泡……いわゆる「やかん」で、「南部鉄瓶」のように火にかけてお湯を沸かします。
茶寵
茶寵……お茶を飲むときのマスコットのようなもので、お茶をかけて楽しみます。
茶托
茶托……いわゆる「茶たく」です。茶碗の熱でテーブルを傷つけないようにするものです。
茶則
茶則……茶葉を茶缶から出すのに使います。
茶杓
茶杓……茶葉を茶則から茶壺などに移動するときに使います。
茶挟
茶挟……茶器や茶葉を挟んで持つ際に使います。
茶針
茶針(茶通)……茶壺に茶葉が詰まったときに使います。
茶巾
茶巾……「ふきん」のことで、やかん類の外側を拭く時などに使います。
茶缶
茶缶……「茶筒」のことで、茶葉を保存するための容器です。
茶盤
茶盤……茶具を置いておくための「お盆」のようなものですが、下に受け皿のようなものが付いており、冷めた茶などを捨てられるように簀の子状になっています。
台湾茶・烏龍茶の入れ方
台湾のお茶といえば烏龍茶です。ここでは烏龍茶の入れ方を紹介します。
1:95度くらいのお湯と茶葉(湯:茶葉が20:1になるように)を用意します。
2:湯を蓋付き茶碗にそそぎます。
3:蓋付き茶碗の湯を公道杯(ピッチャー)にそそぎます。
4:公道杯に入れた湯を聞香杯にそそぎます。
5:聞香杯に入れた湯を品茗杯にそそぎます。
6:品茗杯に入れた湯を茶盤に捨てます。
7:茶荷に出しておいた茶葉を茶さじで蓋付き茶碗に入れます。
8:蓋付き茶碗に湯をそそいだ後すぐ公道杯に移し、茶葉を蒸らします。
9:公道杯に入れた茶湯を茶寵(ちゃちょう…お茶を楽しむ時のマスコット)にかけます。
10:湯を高い位置から蓋付き茶碗にあふれるまでそそぎます。
11:蓋付き茶碗の茶湯を公道杯に移します
12:公道杯の茶湯を聞香杯に移します。
13:品茗杯をさかさまにして聞香杯にかぶせ、しっかり押さえます。
14:品茗杯と聞香杯を押さえたままひっくり返します。
15:聞香杯を取って両手にはさみ、ゆっくり回して香りをあじわいます。
16:品茗杯を取ってお茶をいただきます。
※烏龍茶の入れ方の種類や茶具によって(急須を使うか紫砂壺をつかうかなど)入れ方は多少変わります。
タピオカミルクティー
近年人気を博しているタピオカミルクティー…甘く冷たいミルクティーにグミのような食感の小さなボール・タピオカが入っていて、幅広のストローで飲む…これは1980年代に台湾で考案されたアイスドリンクです。
台湾という茶を嗜む文化が300年ほどあった所では中国大陸もそうですが、茶とは熱い飲み物のことです。これをアイスドリンクとして考案されたというのが画期的なことでした。暑い台湾ならではの発想です。このアイスドリンクをシェーカーでかき混ぜて泡を立て、さらにパールのようなタピオカを入れ、幅広のストローでタピオカを吸い上げる…甘くておいしい以外に話題性や遊び心、見た目の面白さから台湾はもとより、日本などアジア諸国、アメリカ、ヨーロッパでも人気を博して今に至っています。