“朋友” 【中国語で友人を意味するこの言葉と、中国人の友人意識】

朋友

中国語の“朋友”(péngyou)は、日本語では「友達・友人」、辞書的には同じ意味ですが中身はだいぶ異なります。この中身の違いはそれぞれの社会の成り立ちや文化と関わっているのですが、辞書で同じだから実態も同じだと思うと多くの誤解を生みます。ここではそれぞれの意味するところを実例を交えて紹介します。

中国語の“朋友”と日本語の「友人」の違い

まず日本語の「友達」とは何か。友達とは「気が合う人」、「一緒にいて楽しい人」、「時々お茶したり旅行を楽しむ間柄」、「何かへの不満や愚痴を言い合える仲」…などなど厳しい人生の合間に共に息抜きしたり、笑ったりおしゃべりしたり、飲んだり食べたり、ストレスを発散できる間柄の人を意味するのではないでしょうか。

ではもし「友達」とはお金に困った時それを相談できる相手、としたならどうですか。日本では、それはないなあ、友情に金銭関係は持ち込まないよ、と答える人が大部分でしょう。

友人が、余分の部屋やベッドを持たない自分の家に「泊めてくれ」と突然やってきたらどうでしょうか。お互いすでに学生ではなくなっている場合です。自分のベッドを提供する?それとも近くのホテルを紹介する?

中国人の“朋友”関係ならばお金の相談、貸し借りは当然です。借用書も普通は書きません。泊めてくれと言われたら快く自分のベッドを提供する人が多いのです。同性同士なら同じベッドで一緒に寝るかもしれません。

もちろん人によって多少の違いはありますが、一般にはこうで、つまり関係がとても「濃い」のです。日本人のような「楽しい時間を共有する」だけのあっさりした関係は「水臭く、冷たく」、友人関係には見えません。「友人であるからこそ金銭的な迷惑はかけない」という考え方は中国人にとっては「冷淡・冷酷」であり、「じゃあなんで友人やってるの?」という疑問になっていきます。

“朋友”とは

中国の“朋友”とは「困った時に助け合う」関係です。そして困ったことの筆頭は一般に「お金の問題」。友人がお金に困ったなら、「使えよ」とポンと札束を出すのが“朋友”です。借用書だの返還期日だの一切口に出しません。そして次に自分が困った時、この“朋友”がポンと札束を出してくれる…はずです。

「困った時に助け合う関係」美しい関係は、助けた時に次の見返りを期待した時点で、あるいは見返りが期待できると互いに意識していれば、容易に「利用し合う関係」になります。外国人からこの中国式友人関係を見ていると「うるわしき助け合い」の関係にも、「単に利用しあっている」関係にも見えます。

そう中国人に指摘すると「エエッ!」とのけぞるような反応を見せるのですが、このへんは「大事な相手だからこそよけいに迷惑をかけたくない」日本人と、「迷惑はかけあってこそ」と考える中国人の違いだと言えるでしょう。

中国人からすると「大事な相手だからこそよけいに迷惑をかけたくない」と考える日本人の社会は冷酷そのものです。だって…困ったらどうするの…と中国人は思うのです。

中国社会では困った時の“朋友”

困ったらどうする…金銭的に困ったらまずは親・兄弟でしょう。そこで解決できなかったら行政に相談するという選択肢も浮かびます。そう、日本には「市役所」があるのです。市役所や区役所など日本の末端行政というのは、中国の一般庶民から見た場合「宝石」のように光り輝く存在です。職員の一人ひとりが、中国の役人のように威張りくさり特権を振り回すようなことは一切なく、腰を低くして親身に相談に乗ってくれます。中国人から見ると日本の役所は「お役人様がこんなワタシに…(涙)」という印象を残す場所なのです。

それだけ中国の末端行政がひどすぎるということなのですが、中央官庁はともかく、庶民の暮らしに近いところの日本の行政は世界に誇れるレベルだと思います。

つまりこの「友達」と“朋友”の違いは、社会にセーフティーネットが整っているかどうかの違いでもあるのです。日本はこれが整っているからこそ、「大事な友達とは楽しい時間を共有し、金銭問題などは持ち込みたくない」が通用するのだとも言えます。

逆に中国のようにセーフティーネットが未整備な社会では、“朋友”がいるかどうかは文字通り死活問題です。日本人が企業や国家をバックに持たず、単独で中国で生きていこうとする場合、“朋友”がいなければ生き抜けません。これは断言できます。“朋友”のいない中国社会は、文字どおりの砂漠だと言っても過言ではありません。

そしてこの“朋友”とは、お金の貸し借りができる友人、泊まるところがなければ「アイヨッ」と二つ返事で泊めてくれる友人です。

“朋友”に対して、迷惑はかけてこそ

中国人の“朋友”関係が「濃い」理由として、セーフティーネットの問題を挙げましたが、もう一つ中国人の「人間好き・つきあい好き」という民族性も挙げられるでしょう。

助け合う関係とは互いに迷惑をかけあう関係でもあります。これは交互に迷惑をかけあっていないと維持できません。今回助けてもらった、次回はこちらが助ける番…と続けていけばこの関係は長く維持できます。長く維持できればできるほど絆(きずな)が強くなります。絆が強くなればこの世は生きやすいものになります。いわば生活の知恵です。中国人にとって迷惑はかけあってこそ、なのです。

濃い人間関係が苦手な日本人と大好きな中国人

日本人はこの絆のようなものをうっとうしいと感じる人が多い…という気がします。豊かになった戦後、若者の多くが田舎を捨てて都会に出てきた理由の一つにこうしたこともあるのではないでしょうか。道で出会う人のほとんどが、こちらの家族構成から学校の成績やら受験先まで知っていてあれこれ聞いてくるうっとうしさ、これも地方の過疎化の理由の一つかもしれません。

日本人は一般に濃い人間関係や近い距離感が苦手です。そして経済の発展や行政の充実が、弱い絆の中でも生きることを可能にしてくれました。

中国人は逆に濃い人間関係やにぎやかな環境が大好き。人と人との物理的な距離も近く、一緒に歩いているとどんどん近づき、仲の良い同性どうしですと男性でも手を組んで歩いていたりします。

義理の関係と義兄弟

中国には“朋友”に似た関係に“干~”gān~(義理の~)とか“哥们儿”gēmenr(兄貴…男の親友)、“姐们儿”jiěmenr(姉貴…女の親友)という関係があります。

“干~” は“干爹”(義理の父親)、“干娘”(義理の母親)、“干儿子”(義理の息子)、“干女儿”(義理の娘)などと使いますが、法律的、戸籍的な関係ではなく、気持ちの関係です。互いに気が合い、気に入れば気軽にこうした関係が成立します。

また親友どうしになると男性どうしなら“哥们儿”、女性どうしなら“姐们儿”と呼び合い、結束を強めます。

外国人の目からは、こうした関係は三国志の時代と変わっていない、なにやらヤクザの世界もほうふつとさせる関係に見えます。それはおそらくこうした「情」(じょう)の関係は、実質的に「法」の上に置かれているからではないかと思います。

もちろん中国のこのような人間関係は少しずつ現代化されてきているのですが、それでも非常に根強く、かつ根深いものがあり、ちょっとやそっとでは変わりそうもありません。

中国がなかなか法治社会にならないのも、多くの中国人の深層心理の中で「法」より「情」(人間としての情)が重んじられているからだと感じます。「法」は「法」であると、独立した権威にはなかなかならないのです。

日本にいる中国人の“朋友”意識

かくも異なる友人観を持つ日中で、日本で暮らす中国人は友人をどのように作っているのでしょうか。私の見るところ一般には日本化していきます。あまりに日本化した中国人は中国に帰ると浮いてしまいます。逆に日本化しない中国人は日本にはなじめません。

その二代目になるとどうかというと完全に日本人です。ただ逆に日本人としての目で中国人をながめ、面白い、ああいうのもいいと感じるようになる場合もあります。

中国にいる日本人の“朋友”意識

では逆に中国で暮らす日本人はどうかというと、中国に長い人、中国語に堪能な人、中国が大好きな人は友人関係で中国化していきます。日本人のままでは中国の社会に溶け込んでいけませんから。

数年で日本に帰る駐在員だとしても、ある程度中国化しないと仕事はうまくいかないでしょう。中国で仕事をするには中国人の人間関係の機微を知っておく必要がありますから。

日本にいる中国人と接する場合はどうか。私は相手に合わせます。日本化していない中国人とは中国式で友人付き合いをし、日本化した中国人とは日本式でつきあいます。相手の日本理解のレベルに応じてその折衷ということもあります。

中国人と中国式でつきあうと、日本の社会で中国社会を味わう面白さがあります。