当帰

当帰

当帰(トウキ・とうき)とは、セリ科の植物で、その根を乾燥させたものが薬膳・漢方で用いられています。

ここでは当帰の効能・栄養・日本と中国の当帰・薬膳のレシピ・当帰にまつわる物語などを紹介します。

当帰とは

当帰

当帰(とうき)とはセリ科の植物で、その根を乾燥させて漢方薬または生薬(しょうやく…薬草を加工せず薬としてそのまま使う)として使います。

中国の当帰と日本の当帰とはやや異なり、日本では中国の当帰を「カラトウキ」と呼び、中国では日本の当帰を「東当帰」と呼んでいます。

日本の「当帰」

日本で当帰と呼ばれるものは江戸時代に栽培が奨励され各地で作られました。効き目があったということでしょうね。当帰は血液循環を高めたり、充血によって起こる痛みを和らげる効果があるとされています。

中国の「当帰」

当帰…面白い名前です。この名前でかつて日本に伝わり、そのまま日本でも使われるようになりました。中国語で「当帰」は「応当帰来」、帰って来るべし、必ず帰ってきてね…という意味です。なぜ女性言葉で訳すかというと…そこにはある物語があるからです。これは最後に紹介しましょう。

当帰の効能

当帰

当帰は血液循環をスムーズにし、充血による痛みを緩和させ、便通・めまい・動悸・リューマチの痛み・利尿、また更年期障害など女性に特有の症状に効くと言われています。

逆に服用しない方が良い場合として、授乳期の女性が服用すると母子ともに高血圧になったり、抗凝血剤といっしょに飲むと出血をひどくするリスクがあります。

当帰の栄養成分

当帰は中医学では「甘」「温」に属します。当帰の根を乾燥させたものは、味が甘く体を温めます。不飽和オレイン酸やビタミンB12、ビタミンAなどを含んでいます。

当帰を使った薬膳のレシピ

当帰紅棗粥(当帰とナツメのお粥)

当帰を洗って小さく切り、水に入れて10分ほど煮て濾しておきます。

米とナツメを煮て半ば煮えたら上の当帰汁と氷砂糖を加えさらに煮込んでできあがり。

病後の滋養や補血効果、消化促進や便秘の解消や予防に効能があります。

当帰酒

当帰をきれいに洗って薄く切り、アルコール度の高い酒に入れて半月ほど置いてできあがりです。これを飲むと打ち身やネンザ、リューマチの痛みや腰痛に効き目があります。

当帰にまつわる物語

当帰

当帰にまつわる物語としては以下のような話が残っています。

むかし王福という若者がいました。誠実で勤勉で素朴、村人は老人から子供までみな彼を愛し慕っていました。

彼の家は代々薬草採りを生業としていました。王福は子供のころから薬草に非常に興味を持ち、いつも父親のあとについて山に入って薬草採りの手伝いをしていました。

ある日暴風雨がこの村を襲い、薬草採りに山に入っていた父親は行方不明となって、王福と母親だけが残されました。やがて王福が二十歳の若者になるころ、この村の薬草はあまり採れなくなり、薬草で生計を立てていたこの村の人々は困り果ててしまいました。

そんなある日王福は、ここから100里(中国の1里は0.5キロ)離れたところに老君山という山があってそこでは太上老君という道教の神様が仙薬を練っており、山上には貴重な薬草がたくさんあるという話を聞きました。ただその山は虎や狼、毒蛇が出るので滅多に人は入らない危険なところだと言うことでした。

王福は老君山に登って薬草を見つけ出そうと老母に伝えると、母親は行く前に結婚をして身を固めなさいと言います。王福には互いに好きな人がいて李姑娘と言いました。そこで二人は双方の親の同意を得て結婚し、その3か月後に王福は老君山に向かうことにしました。出発前彼は妻に「いつ戻って来られるかわからない。私が戻るまで母の世話を頼む。もし3年経っても私が戻らなければ再婚しなさい」と言い残しました。

王福が出かけてから3年の日が経ちました。その間まったく音さたなく妻は来る日も来る日も夫が戻るのを待ちわびました。悲しみは体の不調を呼びやがて妻は病に倒れてしまいます。妻の実家では王と別れて再婚するよう勧め、妻は抗しきれずに別な人と再婚することになりました。

再婚して1か月も経たないうちに王福がやっと帰ってきました。が時すでに遅し。二人は泣き暮れますがしかたありません。王福は元妻に「すべては私が悪い。お前を責めることはできない。これは家の暮らしの足しにしようと採ってきた薬草だがこれをお前への贈り物としよう。母の面倒をよく見てくれてありがとう」と言ってその土地を離れていきました。

元妻がこの薬草を煎じて飲んでみると、数時間後には顔に赤みがさし、やがてすっかり元気を回復しました。後にこの村の人はこの話を「三年当帰夫不帰、片言隻語也未回。神薬回去治相思、留給後人伝口碑」(三年したら帰るべし。なのに便り一つよこさなかった。薬草を持ち帰って妻の病気は治ったのに夫婦は別れ別れ。神薬は後世に伝わり、みな口々にほめたたえた)と歌ったということです。

この物語の中で、妻は気鬱からの病のほか婦人病にもかかっていて、当帰は「婦科聖薬」(婦人病に関する神薬)とも言われています。

この話はかつて女性は一人では生きていけなかった、夫がいなければ再婚して生き延びるしかなかった時代の姿を映しています。

中国を代表する作家・魯迅は最初親が決めたとおりの結婚をしますが(中国では新中国成立前まで、日本では戦前まで、両国とも基本結婚とは親が決めるものでした)どうしても好きにはなれません。それでも離婚はせず、最初の奥さんは母親の面倒を見るだけのために家に残し、魯迅は家を出てやがて別の女性と結婚します。当時女性は離縁されたら生きていく手段がまったくなかったからです。

「当帰」という名前の生薬には当時の女性の悲哀がこめられていて、だからこそ諸病に効くにもかかわらず中国の漢方薬の本では「婦科聖薬」と強調しているのかもしれません。

ただ当帰のいわれについては他にもいろいろあります。