満漢全席

満漢全席

満漢全席とは

満漢全席とは清朝の宮廷の宴席料理のことです。

清朝は漢民族ではなく、北方ツングース系民族・満州族が建てた王朝で、「満漢全席」の「満」は満州族の伝統料理、「漢」は漢民族の伝統料理を意味します。「満漢全席」とは満族料理と漢族料理の粋を数多く一堂に集めた宴席またはそこで出される料理を意味します。

満州族料理とは

満漢全席にもし出会えるとしたら、一般日本人にはどれが満州族の料理でどれが漢民族の料理かなどまったく見分けがつかないでしょう。

満族料理を代表するものとしては、豚の丸焼きや肉のしゃぶしゃぶがあります。頭のついた子豚を黄金色にこんがり焼いた料理がお皿に乗ってデーンと現れる、日本人にはややショッキングな料理が満族料理を代表するものです。

えーっと思われるかもしれませんが、日本にも「活造り」なるお刺身料理があって、美しい大皿にまだ生きている魚の体が刺身になって乗っており、頭もついていて目はうつろに口だけパクパク開いている…なんて高級料理があります。エビの踊り食いなら口の中で…やめておきましょう。

お国変わればご馳走も変わり、一つの文化の物差しで他の文化を推し量るわけにはいきません。

満州族が属するツングース系民族の「ツングース」という単語は「豚」を意味するという説もあり、この民族群の暮らしがトナカイや鹿・狐・熊・イノシシなど獣類と密接な関係を持っていたことがわかっており、ご馳走…古代では神への捧げもの…に豚など家畜を用い、それが貴人にふるまう宴席料理になったであろうことは容易に想像できます。

また北京を代表するご馳走と言えば羊のしゃぶしゃぶであり、これもまた満州貴族たちのご馳走でした。

羊肉のしゃぶしゃぶ
羊肉のしゃぶしゃぶ。

漢民族料理とは

それでは漢民族料理とは何かと言えば、これはもう上記の料理を除いたありとあらゆる中国料理と言ってよいでしょう。アワビフカヒレツバメの巣など有名な珍味類もここに入ります。

フカヒレのスープ
フカヒレのスープ。

満と漢、どちらが上席?

上記した満州族・漢民族の代表的な料理を数多く並べたものが満漢全席ですが、満漢という漢字の語順が示す通り、メインあるいは上座に着くのは満州族料理であって、漢民族料理はその下に来ます。

ここでも日本人なら、えーっと思いますよね。満州族の伝統料理と言われるものはなんかシンプル。料理というよりは日本でいう漁師飯ならぬ猟師飯って感じ。つかまえた獣の毛をむしって火であぶり、塩か何かを振りかけてむしゃむしゃ食らうか、肉を薄く切ってぐらぐら煮えたぎった煙突付き鍋に放り込み、シャシャっとゆがいたら黒酢につけて食べ、口直しに生ニンニクをガシガシ齧る(北京のしゃぶしゃぶ屋で見た食事風景)…うまそう!典型的な男メシですね。

これに対して漢民族の作る中華料理はテクニックに富み知性と技のオンパレード、且つとび抜けて洗練されています。中国ウン千年の歴史のたまもの、珠玉の料理群です。

どう考えても漢民族料理の方が上、と思うのですが、第4代皇帝・康熙帝になるまで宮廷料理の序列は満州料理の方が上でした。

満漢全席の料理の数と内容

満漢全席の「全」の意味は「すべて」です。ではいったいどのくらいの数の料理が出たのでしょうか。少なくとも108種、3日に分けて食べたと言われます。

まずお茶など飲み物・フルーツ・ドライフルーツ・砂糖漬けフルーツ・オードブル・炒め物・メインディッシュなど…。肉料理・野菜料理・アツアツ料理・冷えた料理・山海の珍味などが美しい器に盛られ、古楽の流れる優雅にして厳かな雰囲気の中、宴が進みます。

これらの料理のうち49種については、『揚州画舫録』という揚州(江蘇省にある都市)一帯の庭園の様子や人物などについて書かれた清代の本に記載されています。ちなみに「画舫」とは美しい遊覧船のことを言います。

なぜ中国南方の町のガイドブックに満漢全席が載っていたかというと、第6代皇帝・乾隆帝が揚州巡行をした際、土地の大金持ちが山海の珍味を満州料理風にして献上し、これが満漢全席の始まりと言われているからだそうです。

満漢全席の歴史

上記の記述によると、満漢全席は乾隆帝が南方巡行の折、土地の富豪がそれに似たものを献上したところから始まった…となるのですが、中国のテレビ番組で満漢全席を紹介していたのを見ると、やや異なるようです。

それは康熙帝から始まった

このテレビ番組の紹介によると、清朝の皇帝の食事としては満州族の料理がメインで、別に漢民族料理が運ばれることもあったが、同じテーブルに乗ることはなかったと言います。映像を見ると紫禁城内の皇帝の住まいに運ぶ際も満漢の料理は長い石段の左右分かれて運ばれています。そして常に満料理が上、漢料理が下と序列があったと言います。

ところが名君といわれた第4代皇帝・康熙帝は漢民族文化を愛し、この中には料理も含まれました。康熙帝の時代に満漢の料理は同じテーブルに並ぶようになり、ここに満漢全席のひな型が作られました。いわばこれが満漢全席の始まりですね。

乾隆帝の時代に満漢全席は完成

乾隆帝の南方巡行の様子
乾隆帝の南方巡行の様子。

康熙帝の次の雍正帝は料理には無関心でしたが、その子・乾隆帝は軍事・経済・文化すべてに手腕を発揮し、清王朝の絶頂期を作り上げますが、料理にも大変関心がありました。乾隆帝が南方に巡行した際ある屋敷で実に美味しい料理を食べ、そこのコックを呼び出しました。このコックは「張東官」といい、料理の完成度にかかわることとなると、乾隆帝のお付きの家来にも遠慮はしないという骨っぽい男でした。乾隆帝は彼が気に入り、紫禁城に連れて帰ります。その後乾隆帝の食事を作るトップシェフは張東官となり、さまざまな料理を工夫して乾隆帝を喜ばせました。

味はもとより食べ方の工夫もし、たとえば満漢全席のような宮廷料理にはべる役人たちには老人が多く、満州料理の代表、子豚の丸焼きなどは文字通り歯が立たないのです。それでも皇帝の出してくださる料理を食べないわけにはいきません。ギシギシ・ガシガシ、おそらくよだれも垂らしながら料理に悪戦苦闘する老役人の姿に、乾隆帝うんざりしたのでしょう。東官に「なんとかせい」と命じます。

そこで東官、肉の美味しさを味わえ、しかも老人のぐらぐら歯でも食べられる料理を工夫して喜ばれたということです。

東官が乾隆帝の食事作りをすること20年、70過ぎて乾隆帝の最後の南巡にお供し、東官の故郷・蘇州に着くと、乾隆帝は東官を呼び「これまでご苦労であった。最近そちは腰痛に苦しんでいると聞く。もうこの辺で良い。あとは故郷で老いを養え」と言って引退を認めるのです。乾隆帝ってコックさんにまで配慮の行き届いた立派な皇帝だったのですね。

さて乾隆帝が亡くなると清朝はゆっくりと滅びの坂を下り始めます。満漢全席もまたその高名だけを残し、乾隆帝、張東官とともに歴史のかなたに消えていくのです。

それでもこの名が完全に消えることはなかった、と中国のテレビは言います。食いしん坊で大食漢の中国人にとって一度は食べてみたい夢の料理として、いつまでも憧れの料理名であり続けているということでしょうか。

満漢全席は日本でも食べられる?

歴史のかなたに消えたはずの満漢全席が日本でも食べられる?

満漢全席とは満州族の料理と漢民族の料理をまぜて数多く出すことですから、日本にある中国料理店では今でもイベントなどで作られることはあるようです。ただし100以上もの料理を作ることはなく、数を抑えて出しているようです。

満漢全席に似た料理を映像で見たければ、たとえば日中合作テレビドラマ『蒼穹の昴』(そうきゅうの すばる)をDVDなどで見るといいでしょう。西太后一人のための豪華絢爛たる食事の場面、あれがまさに満漢全席の縮小版でしょう。

満漢全席は中国の宴席文化そのもの、中国の宴席・おもてなし精神の原型をなすものです。豪快に盛大に作り、おおいに飲み、おおいに食べ、残したらもったいないだの、資源のムダなどそんなつまらないことに気を使わないのです。

逆に言うと、中国人を宴席でもてなすなら同様にドーンと出し、ドーンと食べていただくのが礼儀です。満漢全席のように。…日本人の感性ではなかなかついていけるものではありません。

満漢全席の値段

2008年に中国・温州のあるレストランが、満漢全席、伝統の108料理プラス30料理で1テーブル18万8888元(日本円で約300万円)、ただし15日前までに予約が必要という広告を出したそうです。

このレストランの店主の話では、この店は本部が北京にあるチェーン店で、どんな料理を出すか詳細については企業秘密ですが、中には1品だけで1万元はするフカヒレ、アワビ、冬虫夏草のほかトリュフや食用金箔も入っているという話です。またこの値段は食事だけでなく、宮廷舞踊、茶道の実演、さらには料理1品1品への来歴説明もあり。ただし満漢全席の中には「熊の手」など現在政府によって禁じられている食材もあり、その場合はたとえば「ラクダの手」に替えるなど代用品が用意されているとのことでした。