五言律詩
五言律詩とは
五言律詩とは漢詩の形式の一つで、1句に5語、全部で8句40語になる詩形の漢詩です。
律詩の律は、法律や規律の律で、元々は「きまり」という意味です。つまり律詩は、音声上のきまりによって作られた詩ということになります。
きまりによって作られた詩は絶句、律詩ともにそうですから、最初は唐代に成立した近体詩全体、つまり絶句も律詩もともに律詩と呼ばれていたそうです。その後全8句になる詩のみ「律詩」と言うようになりました。
押韻とは
漢詩、特に唐代以降の近体詩は1句2句4句で韻を踏みます(1句は踏まないことも)。これを押韻と言います。「韻」とは発音した時耳に残る音の響きのことです。押韻は同じ響きを持つ語を句の終わりに置くことで、音声的な美しさを作るのです。
対句と五言律詩の例
対句とは、2つの句が(つまり2行あるいは2文が)文法的また意味上も対称的(シンメトリー)に対応する技法です。
絶句ではこれは要求されませんが、全8行になる律詩では最初の2句と最後の2句に挟まれたところ、つまり真ん中の4句はすべて対句にしなければなりません。
下に例を挙げましょう。
1 国/破/山河/在 (国/破れて/山河/在り)
2 城/春/草木/深 (城/春にして/草木/深し)
3 感時/花/濺涙 (時に感じては/花にも/涙を濺ぎ)
4 恨別/鳥/驚心 (別れを恨んでは/鳥にも/心を驚かす)
5 烽火/連三月 (烽火/三月に連なり)
6 家書/抵万金 (家書/万金に抵る)
7 白頭掻短 (白頭掻けば更に短く)
8 渾欲不勝簪(渾て簪に勝へざらんと欲す)
各聯(1対の句)の句それぞれの意味の切れ目に/マークを入れてみました。対句になっている部分は意味の切れ目できれいな対を作っているのがわかります。文法構造でも意味でも対になっているのです。
またこの詩では深・心・金 ・簪が韻を踏んでいます。
では『春望』の現代語訳を下に挙げます。
我が朝廷は国が破壊されてしまったというのに山河は今もここにある。
長安の町は春を迎えたというのに草木だけが勢いよく生い茂っている。
世の移り変わりに心痛み、花を見ても涙が流れる。
家族との別れを思って鳥のさえずりにもびくびくしてしまう。
いくさの烽火(のろし)は三か月続き
家からの手紙は万金に値する
白くなった頭を掻けばいっそう短くなり
かぶり物の簪(かんざし)をさすこともできない。
『春望』の作者・杜甫は律詩の名手と言われています。構造のきっちりとした律詩はもともとは中身の乏しい儀式的な詩に使われたようですが、杜甫はこの8行構造の詩に多種多様な人生模様を読み込みました。
ではもう一つ、杜甫の五言律詩『登岳陽楼』(がくようろうに のぼる)を。この詩も中国南方の名勝・洞庭湖を詠って古来有名です。
昔/聞/洞庭水(昔/聞く/洞庭の水)
今/登/岳陽楼(今/登る/岳陽楼)
呉楚/東南/坼(呉楚/東南に/坼け)
乾坤/日夜/浮(乾坤/日夜/浮ぶ)
親朋/無/一字(親朋/一字/無く)
老病/有/孤舟(老病/孤舟/有り)
戎馬関山北(戎馬関山の北)
憑軒涕泗流(軒に憑れば涕泗流る)
昔から洞庭湖の眺めを耳にしていた
今その湖畔に建つ岳陽楼に登る
呉と楚、二つの国は洞庭湖で東南に分けられ
太陽と月とを昼と夜代わる代わるに湖面に浮かべる
親族友人からの手紙一通なく
老いて多病の身には舟が一隻あるのみ
関所の山なみの北は今も戦火が絶えない
岳陽楼の軒にもたれて涙を流す
『登岳陽楼』の型……五言律詩
『登岳陽楼』の技法……「楼、浮、舟、流」で韻を踏んでいます。
1聯(1句と2句)、2聯(3句と4句)、3聯(5句と6句)がそれぞれ対句となっています。律詩のルールは2聯と3聯をそれぞれ対句にする、というものですが、この詩は『春望』同様、1聯も対句になっています。
原文・書き下し文それぞれに斜線を入れてみました。文構造でも意味でも対になっていることがわかります。
杜甫の詩は練りに練った詩ということでしょう。それでいて内容が技法に埋もれていないのです。