唐詩
唐詩とは
「唐詩」とは唐代290年に書かれた詩の総称ですが、「漢文・唐詩・宋詞・元曲」(漢代で素晴らしいのは文章・唐代で素晴らしいのは詩・宋代で素晴らしいのは詞・元代で素晴らしいのは戯曲)と言われるように、詩(日本でいういわゆる漢詩)は唐代において最も高い水準に達しました。
唐詩が書かれた時代は、しばしば初唐(618~709)・盛唐(710~765)・中唐(766~835)・晩唐(836~907)に分けて説明します。時代の変化を表わすとともに、詩の持ち味の変化も表します。
時代を通して最もすばらしい詩が書かれた唐代の中でも盛唐は楊貴妃で有名な玄宗皇帝の治世の時代ですが、李白や杜甫など漢詩の世界の巨匠が現れています。
李白は自由奔放な筆致ですぐれた絶句を、杜甫はそれまで多く儀式的な詩に使われていた律詩に高度な技術や多様な内容、文学としての深みを与えました。
彼らとほぼ同時代の王維は山水詩人の代表的存在です。
中唐になりますと、科挙を受けて政治家になった人々、つまり生まれながらの貴族階級ではない階層から、韓愈・白居易(白楽天)などすぐれた詩人が現れ、盛唐・中唐のこの4人は「李杜韓白」と併称され、中国文学史上最高の詩人と呼ばれています。この中では特に白楽天が、当時平安時代だった日本の貴族階級の作家たちに大きな影響を与えました。
晩唐になると、時代が衰退期に向かったこともあり、退廃的・耽美的な杜牧や李商隠などが現れました。
『唐詩三百首』とは
『唐詩三百首』とは、清代に編集された唐詩選集のことで、全6巻、孫洙(無錫出身の政治家…1711~1778)が1763(乾隆28)年に完成させました。
唐代各時期の詩人77人300首が載っており、そのうち科挙の試験を考慮して五言律詩が最も多く採用されているのですが、この本は当時科挙受験者よりも一般庶民の間で大流行しました。
日本では『唐詩選』(詩の選択が初唐・盛唐に偏っていると言われる)がよく読まれてきましたが、中国では今もこの『唐詩三百首』が最も人気のある唐詩アンソロジー(さまざまな作家による作品集)です。
『唐詩三百首』の内訳
『唐詩三百首』では各時代の詩人770人300首を選んでいるのですが、盛唐の杜甫が39首でトップ、同時代の李白が35首、このあとに同時代の王維、晩唐の李商隠が続きます。
形態では五言古詩…40、七言古詩…42、五言律詩…80、七言律詩…51、五言絶句…37、七言絶句…60が選ばれています。
有名な唐詩
それでは下に有名な唐詩を紹介していきます。『唐詩三百首』からいくつかの詩をピックアップしたものです。原文・書き下し文・現代語訳・解釈の順になっています。
有名な唐詩1……『長恨歌(抄)』白居易
まずは「七言古詩」から。七言古詩は古体詩ですから、1句が7語だという以外に押韻や平仄、対句などのルールはありません。
この七言古詩からは、中唐の詩人で同時代の日本にもたくさんその作品が伝わり、紫式部や清少納言にも影響を与えた白楽天の長詩『長恨歌』の一部を紹介します。全文を読みたい方は『長恨歌』のページをご覧ください。全文が解説・現代語訳付きで載せてあります。
『長恨歌(抄)』の原文
漢皇重色思傾国
御宇多年求不得
楊家有女初長成
養在深閨人未識
天生麗質難自棄
一朝選在君王側
迴眸一笑百媚生
六宮粉黛無顔色
『長恨歌(抄)』の書き下し文
漢皇色を重んじて傾国を思ふ
御宇多年求むれども得ず
楊家に女有り初めて長成す
養はれて深閨に在り人未だ識らず
天生の麗質自ら棄て難く
一朝選ばれて君王の側に在り
眸を迴らし一笑すれば百媚生じ
六宮の粉黛顔色無し
『長恨歌(抄)』の現代語訳
漢の皇帝は美人を得たいと思いながら
これまでの長い治世に求めても得られなかった
楊家に一人の娘あって大人になり
家の奥で育てられ人に知られることはなかった
持って生まれた美貌は隠しがたく
ある日選ばれて君主の傍らに召された
瞳をめぐらし微笑めば媚びが生まれて
後宮の美人たちも形無しとなる
『長恨歌(抄)』の解説
第1句:「漢王」は「玄宗皇帝」を指します。直接指すのをはばかったためこういう書き方になっています。「傾国」は「絶世の美女」。美女を得た帝王が政治を忘れ国を傾けてしまうほどだ、というところから生まれた言葉です。
第2句:「御宇」は「治世の間」。
第8句:「六宮」は「宮中の奥御殿」。「粉黛」は「美女」を指します。
有名な唐詩2……『鹿柴』王維
次は五言絶句から、盛唐の山水詩人王維の『鹿柴』と孟浩然の『春暁』を紹介します。
『鹿柴』の原文
空山不見人
但聞人語響
返景入深林
復照青苔上
『鹿柴』の書き下し文
空山人を見ず
但人語の響くを聞くのみ
返景深林に入り
復た照らす青苔の上
『鹿柴』の現代語訳
ひっそりとした山には人の姿がない
ただ耳を澄ませば人の声が聞こえてくる
夕日が深い森の中に射し込み
また青苔の上を照らす
『鹿柴』の解説
この詩は王維『輞川(もうせん)集』20首の第4首。
輞川は長安の南郊外にある地名で、ここに王維の別荘がありました。輞川は川あり山あり谷あり、景色の美しい所で、中でも美しい場所を20選んで「輞川二十景」としています。そのうちの一か所が「鹿柴(ろくさい)」という場所で、この詩ではここが詠まれています。「鹿柴」は元々の意味は野生の鹿の侵入を防ぐ柵を意味します。
有名な唐詩3……『春暁』孟浩然
『春暁』の原文
春眠不覚暁
処処聞啼鳥
夜来風雨声
花落知多少
『春暁』の書き下し文
春眠暁を覚えず
処処啼鳥を聞く
夜来風雨の声
花落つること知る多少ぞ
『春暁』の現代語訳
春の明け方ぬくぬくと気持ちよく眠っている
あちこちから鳥のさえずりが聞こえてくる
そういえば夕べは風雨の音がひどかった
花はどれほど散ってしまっただろうか。
『春暁』の解説
春の朝、ふとんの中でまったりしているのはなんとも心地よい。
夢の中で小鳥たちの朝のさえずりがあちこちから聞こえてくる。
「処々」は「あちらこちら」。「啼」は「鳴く」。
少し目が覚めかかったころ、もうちょっとと体温でぬくもった布団の中で惰眠をむさぼる心地よさ。孟浩然という人は科挙に受からず官職に就けずに不遇の人生を送った人です。もし当時の王朝で役人になっていたとしたら、出勤はまだ夜が明けないうちだそうです。朝寝坊など絶対に不可能でした。
有名な唐詩4……『涼州詞』王翰
次は七言絶句です。
盛唐の詩人・王翰(おう かん)の『涼州詞』を紹介します。辺塞詩(へんさいし…辺境の砦を詠んだ詩)といわれるジャンルの詩です。
『涼州詞』の原文
葡萄美酒夜光杯
欲飲琵琶馬上催
酔臥沙場君莫笑
古来征戦幾人回
『涼州詞』の書き下し文
葡萄の美酒夜光の杯
飲まんと欲すれば琵琶馬上に催す
酔うて沙場に臥す君笑ふこと莫れ
古来征戦幾人か回る
『涼州詞』の現代語訳
葡萄の美酒を夜光杯にそそぐ
飲もうとすると馬上からは琵琶の音色が
酔って砂漠に倒れこんだりしても笑ってくれるな
古来いくさから生きて戻った者などほとんどいないのだから
この詩は「涼州詞」というメロディにのせて歌われました。昔から大変よく知られた詩ですが、異国情緒あり、戦争に駆り出される男たちの悲哀あり、大ヒットソングだったに違いありません。
有名な唐詩5……『月夜』杜甫
次は五言律詩から。律詩といえば杜甫、その『月夜』を紹介します。
『月夜』の原文
今夜鄜州月
閨中只独看
遥憐小児女
未解憶長安
香霧雲鬟湿
清輝玉臂寒
何時倚虚幌
双照涙痕乾
『月夜』の書き下し文
今夜鄜州の月
閨中只独り看るならん
遥かに憐れむ小児女の
未だ長安を憶ふを解せざるを
香霧に雲鬟湿い
清輝に玉臂寒からん
何れの時か虚幌に倚り
双に照されて涙痕乾かん
『月夜』の現代語訳
今夜鄜州(この時杜甫の家族がいた場所)の空にかかる月を
妻は閨で独り眺めていることだろう。
可哀そうな幼い子供たちは
父が長安でとらわれの身になっていることなどまだ何もわかるまい。
妻は豊かな髪を夜霧に湿らせ
衣から出た美しい白い肌は月の光に寒々と照らされていることだろう。
いつになったら帳に寄り添って
二人涙の乾いた顔を月の光に照らす日が来るだろう。
『月夜』の解説
夫を思う美しい妻の姿が歌われていますが、当時杜甫の奥さんはすでに5人の子持ち。貧窮の中で下の男の子を亡くしています。美女だったのかもしれませんが、貧しい暮らしの中、身なりをかまうような時間もお金もなかったことでしょう。
こうした当時の状況と詩に歌われている妻の姿はあまりにかけ離れています。
これについては、当時こうした状況にある「妻」は詩のテーマとしては取り上げられることがなく、したがって伝統的な楽府(民謡風の歌)の「閨怨詩(けいえんし)」(夫と離れた美しい妻の寂しさを歌う詩)の中の語彙を使うしかなかったからだ、という説があります。
有名な唐詩6……『登高』杜甫
最後に七言律詩から。七言律詩のすぐれた作品は杜甫にしか書けなかったとも言われます。
それでは七言律詩の中でも傑作と言われる杜甫の『登高』を紹介します。
『登高』の原文
風急天高猿嘯哀
渚清沙白鳥飛廻
無辺落木蕭蕭下
不盡長江滾滾来
万里悲秋常作客
百年多病独登台
艱難苦恨繁霜鬢
潦倒新停濁酒杯
『登高』の書き下し文
風急に天高くして猿嘯哀し
渚清く沙白くして鳥飛び廻る
無辺の落木蕭蕭として下り
不盡の長江滾滾として来る
万里悲秋常に客と作り
百年多病独り台に登る
艱難苦だ恨む繁霜の鬢
潦倒新たに停む濁酒の杯
『登高』の現代語訳
風は強く天は抜けるように青く、猿の鳴き声が哀しげに聞こえてくる
川辺の水は清らかで砂は白く水鳥が飛び交っている
どこまでも続く木々は蕭々と葉を落とし
尽きることのない長江はこんこんと流れてくる
故郷から万里のかなた秋を悲しむ私は常に旅人だった
生涯多病であった私はひとり高台に登る
苦労が多くてすっかり白髪頭になったのが恨めしい
老いぼれて濁り酒も飲めなくなってしまった
『登高』の解説
秋の詩に「登高」が出てくれば重陽の節句の行事です。髪に須臾(しゅゆ…グミの赤い実)を挿して家族や友人と高台に登り、菊の花を浮かべた酒を飲んで厄払いをします。
この日杜甫は一人で高台に登り、長江の雄大な景色を眺めるとともにおのれの人生を振り返ったのでしょう。