『曲江』杜甫
『曲江』は、杜甫による詩で、唐の玄宗の息子・粛宗の時代、安禄山の乱がやっと収まり、反乱軍に幽閉されていた杜甫が長安での官職に戻ったころに作られました。当時朝廷では玄宗の息子・粛宗と乱からの疎開地・蜀から戻ってきた父・玄宗との対立が起きていて、臣下もこの二派に分かれて反目し合っていました。
役所の仕事をうつうつとして楽しまない杜甫はお酒に逃げ、真面目な杜甫には珍しく何やら退廃的なにおいのする詩を書いています。それがこの「曲江」二首です。ここではこの「曲江」二首の2つ目の詩を紹介します。
この詩は中に「人生七十古来稀なり」の一句があり、「古希」の由来として有名です。
ここでは『曲江』の原文・書き下し文・現代語訳・解説・作者である杜甫の紹介などをしていきます。
『曲江』の原文
朝回日日典春衣
毎日江頭尽酔帰
酒債尋常行処有
人生七十古来稀
穿花蛱蝶深深見
点水蜻蜓款款飛
伝語風光共流転
暫時相賞莫相違
『曲江』の書き下し文
朝より回って日日春衣を典す
毎日江頭に酔いを尽くして帰る
酒債尋常行処に有り
人生七十古来稀なり
花を穿つ蛱蝶は深深として見え
水に点ずる蜻蜓は款款として飛ぶ
伝語す風光共に流転して
暫時相賞して相違うこと莫からんと
『曲江』の現代語訳
役所が退ければ日々春着を質に入れ
その金で曲江のほとりでとことん酩酊して帰る
飲み代のつけなら至るところにある
人生七十まで生きることなんかまずなかろう
蜜を吸う蝶々が花の向こうに見え隠れする
湖面をすべるかのようにトンボがゆうゆうと飛んでいく
風よ光よ、もの皆すべては移ろっていくのだ
しばし互いに背かず喜び合おうではないか
『曲江』の解説
第1句「朝回日日典春衣」
「朝」は「朝廷」のこと、「典」は「質入れする」。この歌の季節は春ですから「冬衣」ならともかく「春衣」となると大変です。明日着る服はどうするのでしょう。これを詩的創作とする説もあります。
第2句「江頭」
「江頭」は「曲江」のほとり。「曲江」は「曲江池」とも言い、長安近郊にあった行楽地です。前漢の武帝の時代に作られ、玄宗の時代に拡張されました。
第3句「酒債」
「酒債」は「酒代」の借金です。「尋常行処有」は「いつも至る所にあった」。
第4句「古希」
「人生七十古来稀」…七十歳を「古希」と呼ぶのはこの詩のこの句から取られたものです。
第5句「穿花」
「穿花」は「花の間を縫う」。
第5句「深深見」
「深深見」は「見え隠れする」という解釈や「花びらの奥に見える」という解釈があります。
第6句「点水蜻蜓」
「点水蜻蜓」は中国語の成語では「蜻蜓点水」と言います。産卵のために水にしっぽをつけるように飛ぶさまを言い、そこから「上っ面だけ」という意味になります。「款款」は「ゆったりと」。
第7句「伝語」
「伝語」は「伝える」。誰に伝えるのか。「春景色」ではないかという説に従って訳してみました。「共流転」は「ともに流転する」。
第7句、8句
最後の2句は「時の過ぎゆくままに、この身をまかせ」というアンニュイな歌謡曲にも似ています。全体に退嬰的で杜甫らしからぬ作品、でも良い味です。真面目一辺倒でなく、こういう捨て鉢な一時期もあってこその人生でしょう。
『曲江』の形式・技法
『曲江』の形式……七言律詩。
『曲江』の技法……「衣・帰・稀・飛・違」で押韻。
律詩ですので2聯(3句と4句)と3聯(5句と6句)がそれぞれ対句となっています。
特に第3聯…穿花蛱蝶深深見/点水蜻蜓款款飛…は構造・意味とも美しい対比をなしています。
『曲江』が詠まれた時代
唐詩が書かれた時代は、しばしば初唐(618~709)・盛唐(710~765)・中唐(766~835)・晩唐(836~907)に分けて説明します。時代の変化を表わすとともに、詩の持ち味の変化も表します。
『曲江』が詠まれたのは盛唐の頃です。
『曲江』の作者「杜甫」について
杜甫(とほ…712~770)
李白とともに唐代を代表する詩人。「詩聖」とも称されます。役人の家系に生まれ、官職につくべく努力をしますが、低い地位の官職についたのが44歳、その後戦乱に巻き込まれ安禄山の軍隊につかまって長安に幽閉されますが、その後唐朝はなんとか平穏を戻し、杜甫も官職に復帰します。とは言え、朝廷は二派に分かれなんとも居心地が悪かったようで、真面目な杜甫もお酒で気を紛らわせます。美しい春の景色となんとも重苦しい心。その詩に歌われた「どうせ人間七十まで生きることもあるまい」という投げやりな言葉から生まれた「古稀」というおめでたい言葉。この語源、お祝いの席では封印しておきましょう。