『香炉峰下新卜山居』白居易

『香炉峰下新卜山居』白居易

香炉峰下新卜山居』(香炉こうろ峰下ほうかあらたに山居さんきょぼくす)は817年、中唐の詩人・白居易(白楽天)が45歳の時に書いた詩です。

中央官僚であった白居易はこのころ江州(江西省九江市)に左遷されており、する仕事もないまま江西省の名山・廬山の峰の一つ香炉峰のふもとに草堂を建てた時の詩です。

日本でこの詩は、『枕草子』299段に書かれたエピソード…「かうろほう(香炉峰)の雪いかならん」と主である皇后に問われてお傍の女官のひとり清少納言が「すだれを挙げてみせた」という話で有名です。

ここでは『香炉峰下新卜山居』の原文・書き下し文・現代語訳・解説・作者である白居易の紹介などをしていきます。

『香炉峰下新卜山居』の原文

日高睡足猶慵起

小閣重衾不怕寒

遺愛寺鐘欹枕聴

香炉峰雪撥簾看

匡廬便是逃名地

司馬仍為送老官

心泰身寧是帰処

故郷何独在長安

『香炉峰下新卜山居』の書き下し文

日高く睡り足れるも猶起くるにものう

小閣しょうこうふすまを重ねて寒きをおそれず

遺愛寺の鐘は枕にそばだちて聴き

香炉峰の雪は簾をかかげて看る

匡廬きょうろ便すなわち是れ名を逃るるの地

司馬はお老いを送るの官と

ゆたかにやすきは是れ帰処きしょ

故郷独り長安に在あるのみなるけんや

『香炉峰下新卜山居』の現代語訳

陽は高く昇り寝足りていながらなお起きるのはものうい

小さな二階建ての草堂で布団を重ねて寝ているので少しも寒くはない

近くの遺愛寺の鐘の音は枕に頭をつけたまま耳を傾け

香炉峰の雪はすだれをあげてながめる

廬山はこれ隠遁の地

司馬という役職もまた老人用の閑職だ

心身ともにやすらかに過ごせるところこそ己が帰るべき場所

長安の都だけがふるさとではない

『香炉峰下新卜山居』の解説

第2句「小閣重衾不怕寒」

「小閣」は「二階建ての小さな建物」。「衾」は「夜具」。

第3句「遺愛寺鐘欹枕聴」

「遺愛寺」は香炉峰の北にあるお寺。「欹枕」は「枕に頭をつけたまま」。この部分で枕に頭をつけているのか、それとも頭を起こしているのか諸説あります。最近の説では頭をつけたまま、とされています。

第4句「香炉峰雪撥簾看」

「香炉峰」は廬山の峰の一つ。「撥簾」は「すだれを掲げる」。

第5句「匡廬便是逃名地」

「匡廬」は「廬山」のこと。廬山は古来隠者や道士が住む山として有名です。

第6句「司馬仍為送老官」

「司馬」は左遷者用の官職で、特に仕事はありませんでした。

第8句「故郷何独在長安」

「故郷何独在長安」は故郷は長安だけに限られようか。いやそんなことはない。

日本では有名だが中国では知られていない漢詩

この詩は『枕草子』に入っているエピソードで日本ではきわめて有名ですが、中国ではさほど知られた詩ではないようで、中国で1983年に出版された『唐詩鑑賞辞典』(唐代の詩1100余篇収録)には入っていません。

『香炉峰下新卜山居』の形式・技法

『香炉峰下新卜山居』の形式……七言律詩。

『香炉峰下新卜山居』の韻字……「寒・看・官・安」

『香炉峰下新卜山居』が詠まれた時代

唐の時代区分(初唐・盛唐・中唐・晩唐)

唐詩が書かれた時代は、しばしば初唐(618~709)・盛唐(710~765)・中唐(766~835)・晩唐(836~907)に分けて説明します。時代の変化を表わすとともに、詩の持ち味の変化も表します。

『香炉峰下新卜山居』が詠まれたのは中唐・晩唐の頃です。

『香炉峰下新卜山居』の作者「白居易」について

白居易(白楽天)(772~846)は名を居易(きょい)といい、楽天は字(あざな)です。

役人の家系に生まれ若くして進士という科挙で最も難しい試験にパスし、役人としてキャリアコースを歩みます。30代後半で中央政府に関わるようになりますが、私利私欲にまみれた官僚たちを手厳しく批判する詩を書き、怨みを買ったこともあって左遷されてしまいます。左遷先は江州司馬…江西省に都落ちです。

この詩はその頃書かれたもので、江西省の名山・廬山の峰の一つである香炉峰近くに草庵を建てその壁に書いた詩です。

正義感の強いバリバリのキャリア官僚だった白居易ですが、それが逆に仇となり出世コースからはずされてしまいます。司馬という役職を命じられるのですがこれは「しばらく大人しくしとれ」という左遷者用の職名です。朝寝坊ができるのですから仕事としては何もすることがないのでしょう。それならばと隠遁者が多くて有名な廬山のふもとに別荘を建てます。「閣」とありますから二階建てで、日本の隠棲者がひとり住んだ粗末な庵とは違います。その東壁に「題す」とされた連作の詩のうちの一つがこの詩です。「題す」とある場合、紙ではなく壁などに書いたものを指します。

うらみがましい思いもあったでしょうが、白居易という人は「仕事とプライベートタイムどちらも大切」というバランスの取れた人物。「長安だけが住む場所じゃないさ」と負け惜しみを言いつつ、それはそれ、これはこれでこの地の暮らしも楽しんだのでしょう。

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