『八月十五日夜』白居易
『八月十五日夜』は、十五夜の月を愛でる詩ではなく、白居易が宮中で宿直している夜、左遷されてしまった若い友をしみじみと思う詩です。みごとな対句が2つ、わざとらしくなく詩に溶けこんでいます。
ここでは『八月十五日夜』の原文・書き下し文・現代語訳・解説・作者である白居易の紹介をしていきます。
『八月十五日夜』の原文
八月十五日夜、禁中独直、対月憶元九
銀台金闕夕沈沈
独宿相思在翰林
三五夜中新月色
二千里外故人心
渚宮東面煙波冷
浴殿西頭鐘漏深
猶恐清光不同見
江陵卑湿足秋陰
『八月十五日夜』の書き下し文
八月十五日の夜、禁中に独直し、月に対して元九(げんきゅう)を憶う
銀台(ぎんだい)金闕(きんけつ)夕(ゆうべ)沈沈(ちんちん)
独宿相思うて翰林(かんりん)に在(あ)り
三五夜中(やちゅう)新月の色
二千里外(がい)故人の心
渚宮(しょきゅう)の東面煙波(えんぱ)冷(ひや)やかに
浴殿(よくでん)の西頭(せいとう)鐘漏(しょうろう)深し
猶(な)お恐(おそ)る清光同じく見ざらんこと
江陵は卑湿(ひしつ)にして秋陰(しゅういん)足(おお)し
『八月十五日夜』の現代語訳
八月十五日に宮中でひとり宿直をしていた時、月を見て友・元九を思う
豪華できらびやかな宮殿で夜はしずかに更けていく。
ひとり翰林院に宿直(とのい)して君のことを思う。
十五夜の空にのぼった美しい月の色
二千里も彼方の君はこの月を見てどんな思いでいるのだろう。
君のいる渚宮の東では霧に煙る川波も冷たかろう。
私のいる湯殿の西側では水時計の音が重く響いている。
ひょっとして十五夜の美しい月を君と共にはもう見られないのではあるまいか。
君のいる江陵はじめじめとした低地で、秋も曇り空が多いと聞くから。
『八月十五日夜』の解説
題…「禁中」は「宮中」。「独直」は「一人宿直する」。「元九」は「元稹」(げん しん…779~831…唐代中期の詩人で宰相も務めた。白居易とは親交があった)。
第1句…「銀台金闕」は「豪華できらびやかな宮殿」。「沈沈」は「ひっそりと静まっている」。
第2句…「相思」は「相手のことを思っている」。「翰林」は「翰林院」のこと。詔勅の原稿などを書く部署。
第3句…「三五夜」は「十五夜」。3×5=15から来ています。こうした言い方は他にもたとえば「年の頃なら二八」と娘盛りのヒロインに対して使ったりします。28歳のことではなく、16歳のことです。「新月」は「十五夜の明るい月」。
第4句…「二千里外」は「二千里も離れている」。当時元稹は南方の楚の国(のあった場所)に左遷されていました。白居易のいる長安からは遥か彼方です。「故人」は「古い友人」。
第5句…「渚宮」は「楚の国にある唐の宮殿」。「煙波] は「霧に煙る川波」。
第6句…「浴殿」は「湯殿」。「鐘漏」は「水時計」。
第7句…「清光」は「清らかな月の光」。
第8句…「江陵」は同僚であり友でもあった元稹が左遷された場所。江陵県は現在湖北省荊州市にあります(元の江陵とは位置がややずれる)。中国の行政単位では市が県の上に来ます。「卑湿」は「低地でじめじめしている」。「秋陰」は「秋の曇天」。
唐詩を代表する詩人の1人・白居易は李白や杜甫と違って、おおよそ順調に官僚としての人生をまっとうしました。20代の終わりに科挙の進士科という難しい試験を突破し、エリート官僚としての人生をスタートさせました。この詩に登場する元稹は白居易と同時に試験に合格して共に官僚となって、互いに友情を育てました。
元稹は白居易よりも7歳若くまだ20代前半、才能あふれる若者だったと思われますが、こうと思うとそれを貫く人だったようです。
この詩は白居易が中央官僚として活躍していた37歳ごろの作品ですが、その頃元稹は権勢を振るう宦官と対立し、それが元で南方に左遷されてしまいました。
共に理想に燃え、夢や抱負を語り合っていたであろう2人が別れ別れになり、十五夜の月を見て友の心境を思い詠った詩です。
白居易は元稹の友人であり、朝廷内では要注意人物としてマークされていたかもしれません。うっかり手紙も書けなかったでしょう。
十五夜の月はどこにいても見えるなら必ず今この瞬間友も月を見て、長安と自分を思い浮かべてくれているだろう…
電話もメールもSNSもない時代ですが、だからこそ想像力で月を介在に友情を交わし合う…
美しい情景ですが、最後は何か不安や不吉さも感じさせます。当時の白居易の心境がもたらしたものだったのかもしれません。
あんなに希望に燃えて任官したのに、朝廷という所は魑魅魍魎がどこにでもいる世界だ、2人で語り合った理想の社会は実現不可能なのかもしれない…
けれども白居易のこの後の役人人生は、いっとき元稹同様左遷されたことはあったもののほぼ順調で、元稹もまた中央に戻ることができて宰相にまで登りつめることができました。
この詩で気になったのは水時計・漏刻の音です。バケツのようなものを何段にも重ね、管を使って下に水を落として時刻を知る。この時いったいどんな音がしていたのでしょうか。この時の白居易にとっては、心が重くなる音だったのでしょうが、現代の私たちにとっては、何かロマンをかき立てられる神秘の音です。そうするといずれ「チクタク」という時計の音も、神秘の音として想像される日が来るのかもしれません。
『八月十五日夜』の形式・技法
七言律詩(7語を1句として全部で8句となる詩型)です。
「押韻」…沈・林・心・深・陰
また以下の部分が対句になっています。
第3句「三五夜中新月色」と第4句「二千里外故人心」
数の対比、中と外の対比、新と故(旧)の対比。
第5句「渚宮東面煙波冷」と第6句「浴殿西頭鐘漏深」
渚と浴の対比(共に水に関わる表現)、東と西の対比、面と頭の対比。
『八月十五日夜』が詠まれた時代
唐詩が書かれた時代は、しばしば初唐(618~709)・盛唐(710~765)・中唐(766~835)・晩唐(836~907)に分けて説明します。時代の変化を表わすとともに、詩の持ち味の変化も表します。
『八月十五日夜』が詠まれたのは中唐の頃です。
『八月十五日夜』の作者「白居易」について
白居易(はくきょい…772~846)
白居易は中唐を代表する詩人です。白居易が生きた時代は日本ではちょうど平安時代(794~1192)が始まった頃。遣唐使とともに白居易の詩は日本にもたらされ、平安貴族たちに愛されました。清少納言(966?~1025?)の『枕草子』にも白居易の詩の一節が出てきますね。
白居易は字(あざな)を楽天といい、白楽天とも呼ばれます。若い頃科挙の試験に合格して、エリート官僚として順調なスタートを切り、最後までその人生を全うしました。
漢詩といえば、古典の教養に基づいて詩人が己の感慨をのべるのが普通だった時代、白居易は「誰にでもわかる詩」をめざしました。そのためには詩ができると無学なお婆さんに読んできかせ、わからないと書き直したといいますから時代の先を行っていた人です。平安の昔、日本人のファンが多かったのも詩のわかりやすさが理由の1つでしょう。
役人人生の途中では舌禍が元で、元稹同様左遷の憂き目をみますが、まもなく中央に戻され大臣にまで出世し、職業人として幸せな人生を終えました。
順調な人生だったのに社会の底辺層へのまなざしは優しく、『売炭翁』など「諷喩詩」(ふうゆし)と呼ばれる社会批判の詩も書いています。
不条理な社会を改善しようという理想主義的な心を白居易はずっと持ち続けていたのでしょう。
『八月十五日夜』とは、同じ理想に燃えていたであろうに左遷されてしまった若い友人の元稹を偲んで詠った詩です。全体に憂鬱なトーンであるのは、元稹の失意を白居易もまた共有していたからかもしれません。