『七歩詩』曹植

『七歩詩』曹植

七歩詩(七歩ななほうた』は、曹植そうしょく(192~232)がその兄・曹丕そうひ(魏の文王)に武や文の才能を妬まれ、「七歩歩くうちに詩を作れ、さもなくば処刑だ!」と言われて作った詩、とのちの有名人エピソード集『世説新語』にあります。ただ現在では本当に曹植の詩かどうか疑問視されています。本当だったらスゴイですね。

ここでは『七歩詩』の原文・書き下し文・現代語訳・解説・作者である曹植の紹介などをしていきます。

『七歩詩』の原文

煮豆持作羹

漉鼓以為汁

萁在釜下燃

豆在釜中泣

本是同根生

相煎何太急

『七歩詩』の書き下し文

豆を煮て持てあつもの

して以て汁と為す

まめがら釜下ふかに在りて燃え

豆は釜中ふちゅうに在りて泣く

もと同根どうこんより生ずるに

あひること何ぞはなはだ急なると

『七歩詩』の現代語訳

豆を煮て濃いスープを作る

豆で作った調味料をして味を調える

豆がらは釜の下で燃え

豆は釜の中で泣く

豆も豆がらも同じ根から育ったものなのに

豆がらは豆を煮るのにどうしてそんなに激しく煮るのか

『七歩詩』の解説

第1句「煮豆持作羹」

第1句…「羹」は「濃いスープ」のこと。

第2句「漉鼓以為汁」

第2句…「鼓」は「豆で作った調味料」。「漉」は「濾す」。「為汁」は「汁の味を調える」。

第3句「萁在釜下燃」

第3句…「萁」は「豆がら・豆カス」で燃料にします。

第4句「豆在釜中泣」

第4句「在釜中泣」は「釜の中でぐつぐつ煮込む」こと。

第5句「本是同根生」

第5句…「本」は「元は」。

第6句「相煎何太急」

第6句…「相煎」は「豆がらが豆を煮る」。「何」は「なぜ」。「太急」は「ひどく激しい」。

兄・曹丕を「豆がら」に例え、自分を「豆」に例えています。

殺されるかもしれない恐怖の中でとっさにこんな詩が作れるものでしょうか。でもその恐ろしい兄を「豆がら」に例えてしまって大丈夫だったのでしょうか。いずれにしろ本当の話として取るにはやや疑問が残りますが、漢詩の歴史の中のとても面白いエピソードではあります。

『七歩詩』の形式・技法

『七歩詩』は五言古詩です。五言古詩は「古体詩(こたいし)」で、「近体詩(きんたいし)」…唐代以降の漢詩の形式や規則にのっとった詩…以前の詩型です。五言古詩は句の数に制限はなく、平仄や押韻もありません。

『七歩詩』の作者「曹植」について

曹植そうしょく(192~232)はかの有名な魏の曹操の息子です。父・曹操も兄・曹丕もそしてもちろん曹植自身も武将であると同時に詩人として優れた才能を持ち「三曹」と呼ばれました。天才一家なのですね。

特に曹植は後に杜甫が現れるまで「詩聖」と呼ばれるほどでした。まだ新体詩が確立する前の時代、この三人、特に曹植は「五言」の詩型を作り上げる上で大きな役割を果たしたと言われます。

才能あふれる曹植は父・曹操に可愛がられて育ちますが、その父の死後は徹底して兄やその息子にいじめられ、都に戻ることを許されず地方を転々として41歳の若さで亡くなりました。優秀すぎるがために兄の激しい嫉妬を受けたという点では、鎌倉幕府の頼朝と義経の関係に少し似ているかもしれません。