『絶句』杜甫

『絶句』杜甫

絶句』は杜甫53歳の春の詩です。杜甫は759年48歳の時に官職を捨て、その後家族を連れて中国各地を転々とする生活を送り59歳で亡くなります。44歳の時にやっと得た官職をなぜ捨ててしまったのか、今も謎です。

この詩は蜀(四川省)のあちこちを放浪した後に成都にあった我が家・草堂に戻ってきて詠んだ歌です。『絶句二首』の二つ目の詩で、漢文の教科書で学んだ人も多いことでしょう。

『絶句』の原文

江碧鳥愈白

山青花欲然

今春看又過

何日是帰年

『絶句』の書き下し文

こうみどりにして鳥いよいよ白く

山青くして花えんと欲す

今春すみす又過ぐ

いづれの日にかねんならん

『絶句』の現代語訳

川は青緑色、鳥はいっそう白く見える。

山は青々と、花は燃えるように赤い。

今年の春もみるみるまた過ぎてしまう。

いつになったら故郷に帰ることができるのだろう。

『絶句』の解説

美しい蜀の春です。蜀の川はエメラルド色に澄んでいると言います。

山の木々の緑、その間から見える真っ赤な花。

こんな美しい景色を見ながら詩人の心はここに落ち着くことができません。

杜甫の故郷は蜀ではなく北の洛陽。洛陽は黄河流域・河南省西部の都市、古代中国で何度も都になっています。長江流域の蜀と黄河流域の洛陽、風土・風景はかなり異なります。どんなに美しい景色でもよそ者には完全に溶け込めないものがあるのでしょう。親兄弟とともに暮らした故郷のなつかしさは何者にも代えがたいものがあるに違いありません。

『絶句』の形式・技法

『絶句』の形式……五言絶句。 

『絶句』の押韻……「然・年」が韻を踏んでいます。

『絶句』が詠まれた時代

唐の時代区分(初唐・盛唐・中唐・晩唐)

唐詩が書かれた時代は、しばしば初唐(618~709)・盛唐(710~765)・中唐(766~835)・晩唐(836~907)に分けて説明します。時代の変化を表わすとともに、詩の持ち味の変化も表します。

『登岳陽楼』が詠まれたのは盛唐の頃です。

『絶句』の作者「杜甫」について

杜甫(とほ…712~770)

李白とともに唐代を代表する詩人。「詩聖」とも称されます。役人の家系に生まれ、官職につくべく努力をしますがなかなか思うようになりません。低い地位の官職についたのが44歳、その後戦乱に巻き込まれ安禄山の軍隊につかまって長安に幽閉されますが、その後唐朝はなんとか平穏を戻し、杜甫も官職に復帰します。ところがまもなく杜甫はこの官職を捨ててしまいます。甘粛省の秦州に行ったり、蜀のあちこちを放浪したり、やがて成都に建ててある我が家・草堂に戻ってきます。ここで詠んだ歌です。

『絶句』の関連ページ