『飲中八仙歌』杜甫

『飲中八仙歌』杜甫

飲中八仙歌』は杜甫35歳、長安での作です。当時長安で酒豪として有名だった人8人の肖像画的な詩です。中には偉い人もいるのですが、実にユーモラスに描かれています。

ここでは『飲中八仙歌』の原文・書き下し文・現代語訳・解説・作者である杜甫の紹介などをしていきます。

『飲中八仙歌』の原文

知章騎馬似乗船

眼花落井水底眠

汝陽三斗始朝天

道逢麹車口流涎

飲如長鯨吸百川

恨不移封向酒泉

左相日興費万銭

銜杯楽聖称避賢

宗之瀟洒美少年

挙觴白眼望青天

皎如玉樹臨風前

蘇晋長斎繍仏前

酔中往往愛逃禅

李白一斗詩百篇

長安市上酒家眠

天子呼来不上船

自称臣是酒中仙

張旭三杯草聖伝

脱帽露頂王公前

揮毫落紙如雲煙

焦遂五斗方卓然

高談雄弁驚四筵

『飲中八仙歌』の書き下し文

知章ちしょうが馬にるは船に乗るに似たり

眼花がんか井に落ちて水底すいていに眠る

汝陽じょようは三斗始めて天に朝す

道に麹車きくしゃに逢えば口によだれを流す

恨むらくはほうを移して酒泉に向わざることを

左相さしょう日興にっきょう万銭ばんせんを費す

飲むこと長鯨ちょうげい百川ひゃくせんを吸うが如し

さかずきふくんで聖を楽しみ賢を避くと称す

宗之そうし瀟洒しょうしゃたる美少年

さかずきを挙げ白眼はくがんにして青天を望む

きょうとして玉樹ぎょくじゅの風前に臨むが如し

蘇晋そしん長斎ちょうさい繍仏しゅうぶつの前

酔中すいちゅう往往おうおう逃禅ちょうぜんを愛す

李白一斗いっと詩百篇

長安市上酒家に眠る

天子呼びきたれども船に上らず

自ら称す臣はこれ酒中の仙と

きょくは三杯草聖そうせい伝う

帽を脱していただきを露す王公の前

ふでふるって紙に落とせば雲煙の如し

焦遂しょうすい五斗ごとまさ卓然たくぜん

高談雄弁四筵しえんを驚かす

『飲中八仙歌』の現代語訳

知章ちしょう(政府高官)が酔っぱらって馬に乗る様子はまるで船に乗っているかのようでゆらゆら揺れている。

目がちらついて井戸に落ち水中で眠っている。

じょよう(汝陽郡の王)は朝から三斗(1斗は今の1升、約2リットル)の酒を飲んでから朝廷に参内する。

参内の途中、こうじ(酒の原料)の匂いを嗅ぐと口からよだれを流す。

甘粛にある酒泉郡に封じてもらえないのが残念だ、と言う。

左相さしょう(政府高官)は毎日散財して楽しくやっている。

その飲みっぷりと言ったらクジラが百の川を飲み込むかのようだ。

杯を口にして清酒を愛し濁り酒は避けると言う。

宗之そうしは水のしたたる美青年。

酒を飲むと杯を挙げてにらむように天を見上げる。

その清らなさまはぎょくで作った木が風の前で揺れているかのよう。

蘇晋そしんはよく刺しゅうされた仏像画の前で修行をしている。

酔っぱらうとよく座禅をやるふりをする。

李白は一斗の酒を飲むと詩が百篇生まれる。

長安で宮仕えをしていた時町の酒場で眠り込んでいた。

天子が呼びに来ても天子の乗る船に乗ろうとはしない。

そして自分は酒の中の仙人だから水の中には入っていかないと言う。

ちょうきょく(書家)は三杯酒を飲むと筆を執りさらさらと草書を書いてその作品が世に伝わる。

王侯貴族の前でかぶり物を取って平気で頭をさらす。

いったん筆を執り紙に落とすと雲やもやのような優れた草書の作品ができあがる。

しょうすいは五斗の酒を飲むとやっと背筋が伸びる。

そのあと始まる雄弁ぶりは周りを驚かす。

『飲中八仙歌』の解説

ここに出てくる飲兵衛さん八人衆は王侯貴族から詩人や書家など身分はいろいろですが、当時長安に暮らした(この作品が書かれた当時すでに物故者であった人もいます)有名なお酒好き、大酒飲みなのでしょう。

さらさらと描写されていますが、いずれもユーモラスです。

杜甫と言えば「詩聖」と呼ばれ、生真面目で誠実を絵に描いたような人です。そんな杜甫にもこういう軽いノリの茶目っ気があったんですね。

第8句「銜杯楽聖称避賢」

「銜杯楽聖称避賢」の句の「聖」は清酒、「賢」は濁酒のこと。禁酒令が出た時代の隠語だそうです。

第9句「宗之瀟洒美少年」

「宗之瀟洒美少年」の「少年」は18~30歳くらいを指し、いわゆる日本語の「少年」の意味ではありません。ちょっと話がそれますが、仙台藩の伊達政宗は漢詩の名手としても知られ「酔後口号」と題した五言絶句の第1句「馬上少年を過ぐ」と歌っています。この「少年」も同じ意味で、この句は「若かりしころ戦場で過ごした」という意味になります。政宗の漢詩は平仄にかない韻も踏んでいて中国の古典をしっかりと学んでいたことがわかります。

第14句「李白一斗詩百篇」

この長い詩が有名なのはひとえに「李白一斗詩百篇」があるからでしょう。と言うより、日本ではこの1句だけのために知られた詩なのかもしれません。李白について歌われた4句はまさに李白の豪放磊落なさまが歌われていて、この詩の2年前に出会った、自分より10歳ほど年長の李白の杜甫に残した強烈な印象を感じさせます。

第19句「脱帽露頂王公前」

「脱帽露頂王公前」 の「脱帽露頂」とはかぶり物を取って頭のてっぺんを見せること。当時男性は必ずかぶり物をしており、それをはずすことは非常に失礼な行為でした。

『飲中八仙歌』の形式・技法

『飲中八仙歌』の押韻……各句の末尾はすべて韻を踏んでいます。

『飲中八仙歌』が詠まれた時代

唐の時代区分(初唐・盛唐・中唐・晩唐)

唐詩が書かれた時代は、しばしば初唐(618~709)・盛唐(710~765)・中唐(766~835)・晩唐(836~907)に分けて説明します。時代の変化を表わすとともに、詩の持ち味の変化も表します。

『飲中八仙歌』が詠まれたのは盛唐の頃です。

『飲中八仙歌』の作者「杜甫」について

杜甫(とほ…712~770)

唐代を代表する詩人、というより中国文学を代表する詩人と言った方がいいでしょう。同時代に活躍した李白が「詩仙」と称されたのに対し、杜甫は「詩聖」と称されます。役人の家系に生まれ長安で役人として活躍することを夢見て努力をしますが、運命に翻弄され順調な人生は歩めずに困窮の中一生を終えます。

この詩は35歳のころの作品。この数年後杜甫は40歳を越えてやっと待望の官職を得ます。

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