『江南春(江南の春)』杜牧

『江南春(江南の春)』杜牧

江南春(江南こうなんはる』は漢文の教科書なら必ず載っている、と言っていいほど有名な杜牧(と・ぼく…803~852)の七言絶句です。絵のような情景が描かれ、音もまた口ずさみたくなる名調子です。

ここでは『江南春』の原文・書き下し文・現代語訳・解説・作者である杜牧の紹介などをしていきます。

『江南春』の原文

千里鶯啼緑映紅

水村山郭酒旗風

南朝四百八十寺

多少楼台煙雨中

『江南春』の書き下し文

千里鶯啼いて緑くれなゐに映ず

水村さんかく酒旗しゅきの風

南朝四百八十寺しひゃくはっしんじ

多少の楼台煙雨えんうの中

『江南春』の現代語訳

千里四方のあちこちにウグイスが鳴き、赤い春の花が緑の木々に映えてなんとも美しい。

見渡せば水辺の村あり、山里の村あり。酒場の幟(のぼり)が風にはためいているのも見える。

南朝時代の四百八十を数える寺院。

たくさんの寺院の楼閣が春の霧雨にけぶっている。

『江南春』の解説

第1句「千里鶯啼緑映紅」

「千里」は「千里も遠くはるばると広がる野原」。中国の「1里」は500メートルですから500キロ。ここでは数字の正確さを求められてはいませんが、おおよその広さは想像がつきます。どこまでもどこまでも続く平原です。大陸的な風景ですね。

そのどこまでも続く平原のあちこちでウグイスが鳴き、木々の緑の間から赤い花が群れなして咲いている様子が見えます。

第2句「水村山郭酒旗風」

「水村」は「川沿いの村」。「山郭」は「山沿いの村」。「酒旗」は「酒場の目印である旗」。今もよくある「幟(のぼり)」です。この時代にもうあったのですね。ネオンサインみたいなものでしょう。それが風にゆらゆら吹かれています。

1句2句は美しい春の景色で、暖かな春の日差しの中の景色でしょう。

第3句「南朝四百八十寺」

「起承転結」の「転」、同じ江南の風景ですが、場面は突然うらうらかな春景色から変わります。江南(長江下流の南、蘇州や無錫など)は南朝(439~589…この時代北は「北魏」に統治され、南は「宋・斉・梁・陳」の4つの王朝が興亡)によって治められ、仏教が盛んで、特に梁の武帝の時代が最盛期で首都「建康」(のちの南京)には多くの仏教寺院がありました。これが「南朝四百八十寺」で、本当に480寺あったわけではなく、この480という数字は数多いことを意味しています。

それにしてもこの「南朝四百八十寺」の日本語の読み方、「なんちょう しひゃく はっしんじ」はいいですね。これが「よんひゃくはちじゅうじ」では詩になりません。「しひゃく はっしんじ」で日本語では7音、しかも中に「っ」という促音便と「ん」という撥音便が入って、語の勢いが心地よいリズムをもたらしています。この読み方は適当に決めたわけではなく、「十」の中国語の平仄(ひょうそく)に合わせた読みになっているのだそうです。

第4句「多少楼台煙雨中」

「多少」は「多くの」。「楼台」は「楼閣」、高い建物のことです。「煙雨」は「霧雨」。

3句4句は前2句のうららかな景色とは異なり、春雨けぶる景色です。そこに数多くの南朝時代…杜牧の生きた時代から数百年の昔…の寺院が春雨にぼおっと見えているのです。これはその時杜牧が見ている景色というより、イメージの世界なんでしょう。うららかな春景色の向こうに昔の景色がぼんやりと重なって、重層的な江南の春を作り上げています。

『江南春』の形式・技法

『江南春』の形式……七言絶句。

『江南春』の押韻……紅・風・中。

『江南春』が詠まれた時代

唐の時代区分(初唐・盛唐・中唐・晩唐)

唐詩が書かれた時代は、しばしば初唐(618~709)・盛唐(710~765)・中唐(766~835)・晩唐(836~907)に分けて説明します。時代の変化を表わすとともに、詩の持ち味の変化も表します。

『江南春』が詠まれたのは晩唐の頃です。

『江南春』の作者「杜牧」について

杜牧(と・ぼく…803~852)は晩唐(ばんとう…唐の最後の70年余りを指す言葉)を代表する詩人です。杜牧とあります。杜甫と同じ苗字ですね。杜甫とは先祖を同じくする、つまり遠い親戚です。科挙にチャレンジしても合格できなかった杜甫とは異なり、かなり若くして科挙に合格し官職についていますが、あまり出世はできませんでした。

杜牧の詩は一幅の絵と呼びたくなるものが多く、この詩もまさにそうした絵のような詩です。日本ですと蕪村(与謝蕪村よさ ぶそん…1716~1784…江戸中期の俳人・画家)の詩風が杜牧に似ていると感じることがあります。

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