『楓橋夜泊』張継

『楓橋夜泊』張継

楓橋ふうきょう夜泊やはく』は、中唐(盛唐50年に続く時代が中唐70年です)の詩人・張継(ちょう・けい…生没年不詳)の七言絶句。詩の中で蘇州郊外の名刹(めいさつ)・寒山寺が詠まれていて、この詩ゆえに寒山寺を訪れる人が絶えません。その中には中学・高校でこの詩を学んだ日本人の中高年とおぼしき人々もたくさん見かけます。

ここでは『楓橋夜泊』の原文・書き下し文・現代語訳・解説・作者である張継の紹介などをしていきます。

『楓橋夜泊』の原文

月落烏啼霜満天

江楓漁火対愁眠

姑蘇城外寒山寺

夜半鐘声到客船

『楓橋夜泊』の書き下し文

月落ちからす啼いて霜天に満つ

江楓漁火愁眠こうふうぎょかしゅうみんに対す

姑蘇こそ城外の寒山寺

夜半やはん鐘声しょうせい客船かくせんに到る

『楓橋夜泊』の現代語訳

月は沈んであたりは闇、カラスが鳴いて一面霜が降りそうな寒い夜

旅の寂しさに眠れないでいる私の目に、川岸のカエデの葉といさり火が赤々と

蘇州の町の郊外にある寒山寺からは

真夜中の鐘の音がこの船にまで響き渡ってくる

『楓橋夜泊』の解説

題名…「楓橋」

「楓橋」は「蘇州の町にある橋の名前」。楓江という川にかかっています。作者の乗った船もこの橋のそばに停泊しているのでしょう。

第1句「月落烏啼霜満天」

第1句…「霜満天」 は「ひどく寒く霜が一面に降りそうな天気」。

第2句「江楓漁火対愁眠」

「江楓」は「川のほとりのカエデ」。晩秋の詩ですからカエデは真っ赤に紅葉しています。「漁火」は「漁火」(いさりび…魚をおびき寄せるための火)。赤いいさり火が紅葉したカエデを赤く照らし出しています。「愁眠」は「寂しくて眠れない」。暗闇に浮かぶ赤い色が寝付けないでいる私の目に入ってきます。

第3句「姑蘇城外寒山寺」

「姑蘇城」は「江蘇省の呉県・今の蘇州」。「寒山寺」は蘇州に今もあるお寺です。

第4句「夜半鐘声到客船」

「客船」は客を乗せる船。大きな船なのでしょう。船の中で身を横たえている私の耳には寒山寺が夜中の時を打つ鐘の音が聞こえてきます。

口ずさみやすい音

晩秋と旅愁と…。寂しげな詩ですが、「蘇州」・「寒山寺」といずれも魅力的な地名を詠みこんだ印象的な情景と、中日いずれの言葉でも口ずさみやすい音…「ユエ・ルオ・ウー・ティ・シュアン・マン・ティエン」「ツキ・オチ・カラス・ナイテ・シモ・テンニ・ミツ」、中国でも日本でもよく知られています。中国人の知り合いができたら日中両語で暗唱し合っても楽しいです(私の実体験より)。

『楓橋夜泊』の形式・技法

『楓橋夜泊』の形式……七言絶句(7語を1句として全部で4句となる詩型)です。

『楓橋夜泊』の押韻……天・眠・船。

『楓橋夜泊』が詠まれた時代

唐の時代区分(初唐・盛唐・中唐・晩唐)

唐詩が書かれた時代は、しばしば初唐(618~709)・盛唐(710~765)・中唐(766~835)・晩唐(836~907)に分けて説明します。時代の変化を表わすとともに、詩の持ち味の変化も表します。

『楓橋夜泊』が詠まれたのは盛唐・中唐の頃です。

『楓橋夜泊』の作者「張継」について

張継(ちょう・けい…生没年不詳)は詩人・役人。湖北省出身。

この詩は大変有名で「楓橋の張継」と呼ばれてきました。昔から張継にならってこの地で詩を書く人もたくさんいたと言います。今はこの橋のほとりに張継の銅像が建てられています。

楓橋夜泊の石碑
楓橋夜泊の石碑。