『月夜』杜甫
『月夜』は杜甫が長安で軟禁状態の時に家族を思って作られた詩です。杜甫がめでたく官職についてまもなく安禄山の乱が起きます。かの有名な玄宗と楊貴妃の悲劇の背景になった事件です。玄宗が楊貴妃などを連れて南西の地に避難するとそのすきを狙うかのように、息子の皇太子が粛宗として即位します。この情報を得て杜甫はここぞ王朝のお役に立つときだとばかり、粛宗の仮御所にはせ参じ、その途中で安禄山軍につかまってしまいます。杜甫は長安に連行されそこで軟禁状態に置かれるのですが、その時遠く離れた妻を思って作られた杜甫46歳のときの歌です。
ここでは『月夜』の原文・書き下し文・現代語訳・解説・杜甫の紹介などをしていきます。
『月夜』の原文
今夜鄜州月
閨中只独看
遥憐小児女
未解憶長安
香霧雲鬟湿
清輝玉臂寒
何時倚虚幌
双照涙痕乾
『月夜』の書き下し文
今夜鄜州の月
閨中只独り看るならん
遥かに憐れむ小児女の
未だ長安を憶ふを解せざるを
香霧に雲鬟湿い
清輝に玉臂寒からん
何れの時か虚幌に倚り
双に照されて涙痕乾かん
『月夜』の現代語訳
今夜鄜州(この時杜甫の家族がいた場所)の空にかかる月を
妻は閨で独り眺めていることだろう。
可哀そうな幼い子供たちは
父が長安でとらわれの身になっていることなどまだ何もわかるまい。
妻は豊かな髪を夜霧に湿らせ
衣から出た美しい白い肌は月の光に寒々と照らされていることだろう。
いつになったら帳に寄り添って
二人涙の乾いた顔を月の光に照らす日が来るだろう。
『月夜』の解説
「閨」は女性の部屋のこと、「小児女」は幼い子供たちのことです。このころ杜甫には4人の子供がいて(実は5人ですが、下の男の子はこのころすでに栄養失調で亡くなっています)、男の子二人はまだ幼児期、女の子二人の年齢は不明です。
「香霧」は霧の美称、「雲鬟」は女性の美しい髷のこと。
「清輝」は清らかな月の光、「玉臂」は玉のように美しい腕のこと。物思いに沈んで頬杖をつくことで、長い衣のそでから素肌が露わになっている様子を表しています。
「虚幌」は部屋のカーテン。月の光を透すカーテンという説も。
夫を思う美しい妻の姿が歌われていますが、当時杜甫の奥さんはすでに5人の子持ち。貧窮の中で下の男の子を亡くしています。美女だったのかもしれませんが、貧しい暮らしの中、身なりをかまうような時間もお金もなかったことでしょう。
こうした当時の状況と詩に歌われている妻の姿はあまりにかけ離れています。
これについては当時こうした状況にある「妻」は詩のテーマとしては取り上げられることがなく、したがって伝統的な楽府(民謡風の歌)の「閨怨詩(けいえんし)」(夫と離れた妻の寂しさを歌う詩)の中の語彙を使うしかなかったからだ、という説があります。
詩を詩として背景なしに単独で味わうなら言葉も情景も美しい詩で、人々に愛された理由がよくわかりますが、当時の杜甫やその家族の状況を知ってこの詩を読むと、糟糠の妻(そうこうのつま…貧しさの中苦労を共にした妻)の描き方に違和感のある詩です。
『月夜』の形式・技法
『月夜』の形式……五言律詩。(5字の句が8行並んでいます)
『月夜』の技法……「看、安、寒、乾」で押韻。
『月夜』が詠まれた時代
唐詩が書かれた時代は、しばしば初唐(618~709)・盛唐(710~765)・中唐(766~835)・晩唐(836~907)に分けて説明します。時代の変化を表わすとともに、詩の持ち味の変化も表します。
『月夜』が詠まれたのは盛唐の頃です。
『月夜』の作者「杜甫」について
杜甫(とほ…712~770)
唐代を代表する詩人、「詩聖」とも称されます。唐朝で官職につくべく懸命な努力をしますが、40半ばにしてやっと下層役人になれたと思ったのもつかの間、内乱に巻き込まれ軟禁の身となってしまいます。長安の月を見ながら妻や子を思って歌った詩です。