杜牧

杜牧

杜牧(と・ぼく…803~852)は晩唐(ばんとう…唐の最後の70年余りを指す言葉)を代表する詩人です。

ここでは杜牧の生涯と有名な漢詩について紹介していきます。

杜牧の生涯

杜牧は杜甫と先祖を同じくする遠い親戚で、名門の生まれです。科挙にチャレンジしても合格できずに苦労を重ねた杜甫とは異なり、かなり若くして科挙に合格して官職に就き恵まれた人生のスタートを切りました。ところがお坊ちゃん育ちの苦労知らず。役人としてはあまり出世することなく人生を終えました。

30を過ぎると家族のめんどうをみる必要もあって、都を離れ南方で役人を10年ほど勤めます。地方で役人をすると実入りが多かったからです。その江南の地で、美しい自然や美しい町を詠み、酒と美女を歌って風流公子と呼ばれました。

杜牧像
杜牧像。

『江南の春』

江南春

『江南春』(こうなん の はる)といえばこの杜牧の詩が浮かびます。漢文の教科書に必ずというほど載っている杜牧の代表作です。

『江南の春』の原文

千里鶯啼緑映紅

水村山郭酒旗風

南朝四百八十寺

多少楼台煙雨中

『江南の春』の書き下し文

千里鶯啼いて緑くれなゐに映ず

水村さんかく酒旗しゅきの風

南朝四百八十寺しひゃくはっしんじ

多少の楼台煙雨えんうの中

『江南の春』の現代語訳

千里四方のあちこちにウグイスが鳴き、赤い春の花が緑の木々に映えてなんとも美しい。

見渡せば水辺の村あり、山里の村あり。酒場の幟(のぼり)が風にはためいているのも見える。

南朝時代の四百八十を数える寺院。

たくさんの寺院の楼閣が春の霧雨にけぶっている。

詩の前半で詠まれる千里にも広がる広大な野のうららかな景色と後半で詠まれる春雨けぶる中にぼおっと霞んで杜牧の心に見えてくる数百年の昔の寺院…美しい江南の春が重層的に詠われています。日本語の書き下し文も思わず朗詠したくなる名調子です。

『清明』

清明

杜牧の詩をもう一つ紹介しましょう。『清明』という4月上旬のお墓参りの行事を詠った詩で杜牧らしいまるで一幅の絵のような詩です。

『清明』の原文

清明時節雨紛紛

路上行人欲断魂

借問酒家何処有

牧童遙指杏花村

『清明』の書き下し文

清明の時節 雨紛紛ふんふん

路上の行人こうじん こんを断たんと欲す

借問しゃもんす 酒家しゅかいずれのところにか有る

牧童 遙かに指す きょうの村

『清明』の現代語訳

清明節のころ雨がしとしとと降ってくる

道を行く旅人はなんとも気が滅入る思い

お尋ね申す 居酒屋の場所を教えてくれぬか

牛飼いの少年がはるか遠く杏の花咲く村を指さす

まだ肌寒い清明の頃の春雨、灰色の雨雲の下を歩く旅人の心が晴れやかであるはずもありません。どこかで一杯飲んでいくか…向こうから牛飼いの少年が牛の背に乗ってやってきます。このあたりに一杯やれるところはあるかね。少年が指さす先には杏の村がぼうっとかすんで見えます。

杜牧が活躍した時代

唐の時代区分(初唐・盛唐・中唐・晩唐)

唐詩が書かれた時代は、しばしば初唐(618~709)・盛唐(710~765)・中唐(766~835)・晩唐(836~907)に分けて説明します。時代の変化を表わすとともに、詩の持ち味の変化も表します。

杜牧が活躍したのは晩唐の頃です。

杜牧の関連ページ