『静夜思』李白

『静夜思』李白

静夜思せいやし』は李白の代表的な詩です。漢文の教科書で読んだ人も多いことでしょう。中国でも誰もが知っていると言ってよい有名な詩です。非常にわかりやすく、それでいて通俗的ではない、清らかな月の光としみじみとした郷愁が染み入ってくる詩です。

ここでは『静夜思』の原文・書き下し文・現代語訳・解説・作者である李白の紹介などをしていきます。

『静夜思』の原文

床前看月光

疑是地上霜

挙頭望山月

低頭思故郷

『静夜思』の書き下し文

床前しょうぜん月光を看る

疑うらくはれ地上の霜かと

こうべを挙げて山月を望み

首をれて故郷を思う

『静夜思』の現代語訳

寝台の前で月の光を見る

地面に降りた霜のようだ

顔を挙げて山の上の月をながめ

頭を垂れて故郷を思う

『静夜思』の解説

中国人は古代からベッドで眠り、これを「床」と言います。ただ現代風あるいは洋風ベッドとは異なり、椅子がわりにして人と語らったり、ダイニングがわりにして食事をしたり…生活の場であったという説もあります。

確かに今でも冬は厳しい寒さの中国東北部では炕(オンドル…煮炊きの熱を誘導して暖かいベッドのようにした暖房装置)の上では小机を置いて食事をしたりお茶を飲んだりしています。

またこの「床」を井戸(正確には井戸の縁)と取る説もあります。中国語では今も「井床」と言います。もしこの意味なら詩人は部屋の中ではなく、外で月を眺めていることになります。

第1句の最後「看月光」の3字を「明月光」とする読み方もあり、中国人にこの詩を読んでもらうとこちらで読む人が多いです。古い資料では「看月光」となっており、日本の漢文の教科書もそうなっていますので日本人はたいていこちらで覚えています。

実は漢詩は長い時間をかけて写し続けているうちに一部の作品は元の姿とは幾分違ってしまっているのですが、その中で昔の面影をそのままとどめているものが2種類あります。そのうちの一つは遣唐使などが日本に持ち帰ったもの、もう一つは敦煌文書として発掘されたものです。遣唐使が持ち帰った唐代の写本は正確に写されて後世に伝わり、元の作品と異なってしまっているものはありません。替えるほどの中国語の知識がなかったこともあるでしょうが、やはり何といってもそこには深い尊敬があったのでしょう。

敦煌文書というのは20世紀になって発掘された中国の敦煌・莫高窟からの大量の文書で、11世紀の宋代初期、この石窟の入り口が封印されたために昔のものがそのまま保存されているのです。

ともあれこうしたことを考えるとおそらく李白が書いたのは「看月光」、その後伝わる中で中国では「明月光」となり、多くの中国人はこちらで覚えているのでしょう。

ニュアンスとしては「看月光」は最初から月の光を見ようとして見ていますが、「明月光」だと月光にふと気づいた感があります。こちらの方が味わい深いとする人もいます。

第2句の冒頭「疑是」は「~と疑った」ということではなく「これって~ではないの?」という語感を持つ比喩・たとえです。「霜かと思ったら月の光だったんだ…」ということです。地面が白く光っていたんでしょうね。そして一瞬霜と見間違えるのですから季節は秋、それも深まりつつある秋でしょう。

秋の夜更け、すでに人は寝静まっている時間です。詩人は寝付かれないまま寝台の前の月の光を眺めます。もしこれが井戸ならば、寝付かれないまま部屋の外に出たのですね。

一瞬霜かと思うほどの白い光に、「ああ月の光だ」と顔を挙げると遠くに山並みが見え、その上にしらじらとした光を放つ月がかかっています。

この月は満月でしょう。中国人が愛でる月は基本満月です。満月こそが家族だんらんのシンボル。満月を見れば家族を思うというのが、典型的な中国人の心性です。

中国の中秋節は秋の満月を愛でる節句ですが、この日は家族団らんの日でもあります。まるい形は一人として家族が欠けていない、中国人の幸福と理想を意味するのです。

また月を見れば別の場所を思うというのも中国詩における定型的な発想の一つです。月はこの世をあまねく照らしていますから、自分が見ているこの月をはるか彼方のあの人も見ているだろうと思うのです。

月を見れば家族を思い故郷を思い…詩人はいつの間にかうつむいて思いにふけっています。

『静夜思』の形式・技法

『静夜思』の形式……五言絶句(5字の句が4行並んでいます)。

2つの句が文法的・意味的に対称的に対応するものを「対句」と言い、律詩や排律ではこれが要求されますが、絶句では要求されません。がこの詩では3句と4句が対句になっています。

『静夜思』の押韻……光・霜・郷。

『静夜思』が詠まれた時代

唐の時代区分(初唐・盛唐・中唐・晩唐)

唐詩が書かれた時代は、しばしば初唐(618~709)・盛唐(710~765)・中唐(766~835)・晩唐(836~907)に分けて説明します。時代の変化を表わすとともに、詩の持ち味の変化も表します。

『静夜思』が詠まれたのは盛唐の頃です。

『静夜思』の作者「李白」について

李白
李白。

李白りはく(701~762)。

中国文学を代表する詩人。「詩仙」とも称されます。

生涯を漂泊の旅に生き、中国文学史に輝く巨星の一つでありながら不遇の一生を送りました。

故郷は蜀(四川省)と言われていますがはっきりはしません。この詩が書かれたのは李白20代の半ばすぎと言われています。官職につき中央政界で活躍せん、とばかりはやる心で故郷をあとにした李白ですが、思うように事は運びません。旅の途中、湖北省の安陸という地方で作られた詩とも言われており、ここは李白が最初の結婚をした場所ですが、この時はどうだったのか。李白の人生を示す資料はきわめて乏しく、詩の場所や時間を特定するのも難しく、ある本では安陸で作られたと書かれ、ある本にはそうした記載はありません。

いずれにせよこの詩から感じられる感慨は、静かで清らかな透明感と郷愁です。家族のようすや縁戚関係など複雑な人間模様はどこからも感じられません。

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