『送友人』李白
『送友人』とは、盛唐の詩人・李白が別れゆく友人を町はずれまで見送って詠んだ送別の詩です。対句を使って情景も音もしみじみとした味わいを残しています。
ここでは『送友人』の原文・書き下し文・現代語訳・解説・作者である李白の紹介をしていきます。
『送友人』の原文
青山橫北郭
白水遶東城
此地一為別
孤蓬万里征
浮雲遊子意
落日故人情
揮手自茲去
蕭蕭班馬鳴
『送友人』の書き下し文
青山(せいざん)北郭(ほっかく)に橫たわり
白水(はくすい)東城を遶(めぐ)る
此の地一たび別れを為(な)し
孤蓬(こほう)万里(ばんり)に征(ゆ)く
浮雲(ふうん)遊子(ゆうし)の意
落日故人の情
手を揮(ふ)って茲(ここ)自(よ)り去れば
蕭蕭(しょうしょう)として班馬(はんば)鳴く
『送友人』の現代語訳
青い山は城壁の北側に横たわり
白く流れる川は町の東側を巡っている
この地をひとたび離れれば
風に転がるヨモギのように遥かかなたまで行ってしまう
空に浮かぶ白い雲は旅立つ君の心
真っ赤な落陽は親友である私の心
手を振ってここで別れると
君を乗せて離れていく馬さえ寂しげにいななく
『送友人』の解説
第1句…「北郭」の「郭」は町をぐるりと取り巻く「城郭」。中国の都市は土壁でできた二重の城壁に囲まれていたといわれ、内側の城壁を「城」、外側の城壁を「郭」と呼んでいました。「北郭」は町はずれに近い方の城壁の北側。
第2句…「白水」は「川」。「東城」は城壁の東。
第3句…「別れを為す」は「別れる」。
第4句…「孤蓬」は枯れて折れ風に転がるヨモギ。「征」は「いくさに征く」意味でも使われますが、ここは「遠方に行く」。
第5句…「遊子」は「旅人」。ここでは「遠方に行く友」を指しています。
第6句…「落日」は「夕日」。「故人」は「古くからの友人」。ここでは作者。
第7句…「揮手」は「手を振る」。「茲」は「ここ」。
第8句…「蕭蕭」は「馬がいななく声」。もの寂しいという意味もあります。「班」は「別れる」、「班馬」は「ここから離れていく馬」。
いつのことなのか、友人とは誰なのか等については史料は残されていません。
とある町からどこか遠くに旅立つ友人を見送るために、李白も、そして旅立つ友人も馬の轡(くつわ)を並べて町はずれまでやってきたのです。
「もうこの辺で」「いやいやもう少し」と言いながら、とうとう町はずれの二つ目の城壁の外まで来てしまったのでしょう。
遥か北方には横たわる青い山が見え、白く光る川は町の東側をめぐっています。
ここでひとたび別れたならば、君は風に転がるあのヨモギのように、いったいどこまで行ってしまうのだろう。
現代の旅とは異なります。もしかしたら今生の別れかもしれません。
見上げれば青空に白い雲があてどなく流れていきます。その寄る辺のなさは旅立つ友人の心を表しているかのよう。
やがて太陽が赤みを増して沈もうとしています。じきにあたりは夕闇に閉ざされていくことでしょう。かけがえのない友を失う「私」の心のようです。
さあもう出発しないと夜になってしまう。名残惜しさを断ち切って馬のきびすを返し、振り返って手を振ると、友を乗せて走り出す馬もまた主の心を感じ取ったかのようにいななきます。
美しい情景と深い思いと…李白は馬の上でサラサラとこの詩を書いて、馬から下りると友に贈ったのでしょうか。別れ際にこんな詩をプレゼントされたら涙が出てきそうです。
この美しい送別の贈り物をもらった人は、きっとこれを生涯の宝として大切にしていたに違いありません。
『送友人』の形式・技法
五言律詩(5語を1句として全部で8句となる詩型)です。
「押韻」…城・征・情・鳴
律詩は普通3句4句と5句6句が対になりますが、この詩は1句と2句、5句と6句が対句になっています。
3句4句では青と白、山と川、北と東が対となり、5句6句では白と赤、雲と夕日、旅立つ友の心と残される私の思いが対になっています。
最後の句の「蕭蕭として班馬鳴く」と、寂しげな音も印象に残りますが、これは『詩経』小雅・車攻にある詩に「蕭蕭として馬鳴き」とあり、古典の本歌取りになっています。
ちなみに詩の中にある「孤蓬万里」という、これもまた印象的なフレーズをそのままペンネームにした詩人がいます。台湾の「孤蓬万里」氏で、戦前の日本語教育を受けた台湾人による短歌を編纂して『台湾万葉集』(1994年出版)を著しています。
『送友人』が詠まれた時代
唐詩が書かれた時代は、しばしば初唐(618~709)・盛唐(710~765)・中唐(766~835)・晩唐(836~907)に分けて説明します。時代の変化を表わすとともに、詩の持ち味の変化も表します。
『送友人』が詠まれたのは盛唐の頃です。
『送友人』の作者「李白」について
李白(りはく…701~762)
李白は杜甫と並んで唐詩の代表的な詩人で、スケールの大きな詩をたくさん残しました。
幼い頃から極めて優秀、20代半ばに任官を求めて故郷の蜀から江南に向かいます。就職活動は順調ではなく、苦節10数年、40代の初めに詩の才能を認められて、時の皇帝である玄宗皇帝のもとで宮廷文人の地位に就きました。けれども得意の日々は長く続かず、2年後には朝廷をお払い箱に、再び放浪の生活に戻ります。
この詩がこうした生涯のどの時点で書かれたのか、この詩を送った友人とは誰だったのか、史料は何も残されていません。
かけがえのない友との別れとその思いの一瞬を切り取った美しい詩です。
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