『春夜宴桃李園序』李白

『春夜宴桃李園序』李白

春夜宴桃李園序』は盛唐の詩人・李白によって書かれた文章です。兄弟たちが集まって春の宴を開くにあたって書かれました。中国では「春夜宴从弟桃花园序」として知られています。日本語によるタイトルに入っていない「从弟」は父方のいとこを意味します。この文章の一部は松尾芭蕉の『奥の細道』の書き出しに使われていることでも有名です。

ここでは『春夜宴桃李園序』の原文・書き下し文・現代語訳・解説・作者である李白の紹介をしていきます。

『春夜宴桃李園序』の原文

春夜宴从弟桃李園序

夫天地者万物之逆旅、光陰者百代之過客。而浮生若夢。為歓幾何。古人秉燭夜遊、良有以也。

況陽春召我以煙景、大塊假我以文章。会桃李之芳園、序天倫之楽事。群季俊秀、皆為恵連。

吾人詠歌、独慚康楽。幽賞未已、高談転清。開瓊筵以坐華、飛羽觴而醉月。不有佳作、何伸雅懷。如詩不成、罰依金谷酒数。

『春夜宴桃李園序』の書き下し文

春夜(しゅんや)従弟の桃李(とうり)の園(えん)に宴(うたげ)をするの序(じょ)

夫(そ)れ天地(は)万物の逆旅(げきりょ)にして、光陰は百代の過客(かきゃく)なり。

而(しか)して浮生(ふせい)は夢のごとし。歓(かん)を為(な)すこと幾何(いくばくぞ。古人燭(しょく)を秉(と)りて夜に遊ぶは、良(まこと)に以(ゆえ)有るなり。

況(いわ)んや陽春我を召(まね)くに煙景を以(もっ)てし、大塊(たいかい)の我に假(か)すに文章を以てするをや。桃李(とうり)の芳園(ほうえん)に会(かい)し、天倫の楽事(がくじ)を序(じょ)す。群季(ぐんき)の俊秀(しゅんしゅう)は、皆(みな)恵連(けいれん)たり。 吾人(ごじん)の詠歌(えいか)は、独り康楽(こうらく)に慚(は)ず。 幽賞(ゆうしょう)未(いま)だ已(や)まず。高談(こうだん)転(うた)た清し。瓊筵(けいえん)を開きて以て華に坐し、羽觴(はしょう)を飛ばして月に酔う。

佳作有らずんば何ぞ雅懐(がかい)を伸べん。如(も)し詩成(な)らずんば罰(ばつ)は金谷(きんこく)の酒数(しゅすう)に依(よ)らん。

『春夜宴桃李園序』の現代語訳

春の夜に従弟の桃李の園で宴会を開くにあたっての序

月日は万物を泊める宿。時の流れはゆきかう旅人のようなものだ。

生者と死者の違いは夢を見ているか、夢から覚めたかの違いでしかない。

物事は永遠に移り変わり、追い求めても手にできる喜びはほんのわずかだ。古人は夜ろうそくをともして遊んだというが、その気持ちはよくわかる。穏やかな春が美しい景色で私たちを誘っているのだ。大自然はこの世ならぬ美景を私たちに見せる。桃花の香りの中、花園に兄弟たちが集まって楽しかった昔話にふける。弟たちはみな優秀で、謝恵運のような才能を持っている。一方私の詩はとてもその兄・謝霊運に及ばず恥じ入るばかりだ。清らかで雅(みや)びな遊びが繰り広げられ、闊達な議論もやがて清言雅語に代わっていく。敷物を広げて美しい花を愛で、酒杯を次々と酌み交わしては月の光の中に酔う。良い詩がなくてどうしてこの思いを伝えられよう。もしこの場で詩を作れないというなら、昔の金谷園の故事を真似て、罰として酒を三杯飲ませよう。

実に優美な世界です。後世の『紅楼夢』や巴金(1904~2005)の『家』に描かれた世界を彷彿とさせます。

『春夜宴桃李園序』の語釈

从弟:年下の従弟(いとこ)。中国で父系のいとこは実の兄弟同様の扱いになる。

序:序文。初めの言葉。

夫:そもそも。文の冒頭に用いる言葉。

逆旅:旅人を迎える。つまり宿のこと。

光陰:時。年月。

者:~というものは。語や句の後ろに置いて、それを主題として強調する。

過客:来てまた過ぎていく客。

浮生:泡沫(うたかた)のような人生。

若:~のようである。

幾何:どれほどのものか(反語表現)。たいしたことはない、ということ。

古人:昔の人。

秉燭:手にろうそくを持つ。

良:たしかに。本当に。

有以:理由がある。

況:ましてや。その上。

煙景:美しい景色。

大塊:大地。大自然。

假:授ける。

天倫之楽:兄弟が集まる楽しみ。

群季:弟たち。

俊秀:優れた才能を持つ。

恵連:謝霊運(しゃ れいうん…385~433…東晋から南朝・宋にかけての詩人)のこと。

吾人:われわれ。

慚:恥じる。

康楽:謝霊運を指す。康楽公に封じられたのでこう呼ばれる。

幽賞:美しい景色を楽しみながら、清雅な話題を論じる。

高談:おおいに議論をする。

転:ますます。

瓊筵:美しい宴の席。

羽觴:うしょう。左右に羽の形を持つ古代の杯。

伸:「申」に同じ。

雅懐:風雅な心。

金谷酒数:もし宴席で良い詩が書けなかったら、昔の金谷園での決まりに従い、罰として杯三杯の酒を飲む。

※参考…松尾芭蕉『奥の細道』序文

以下参考までに松尾芭蕉の『奥の細道』序文とその訳を載せます。

月日は百代(はくたい)の過客(かかく)にして、行きかう年もまた旅人なり。

舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老いをむかうるものは、日々旅にして旅を栖(すみか)とす。

古人も多く旅に死せるあり。

よもいづれの年よりか、片雲(へんうん)の風にさそわれて、漂泊の思いやまず、海浜にさすらえ、去年(こぞ)の秋江上(こうしょう)の破屋(はおく)にくもの古巣をはらいて、やや年も暮(くれ)、春立てる霞の空に白河の関こえんと、そぞろ神の物につきて心をくるわせ、道祖神のまねきにあいて、取るもの手につかず。

ももひきの破れをつづり、笠の緒付けかえて、三里に灸すゆるより、松島の月まず心にかかりて、住める方(かた)は人に譲り、杉風(さんぷう)が別墅(べっしょ)に移るに、

草の戸も 住替(すみかわ)る代(よ)ぞ ひなの家

面(おもて)八句を庵(いおり)の柱にかけ置く。

(現代語訳)

月日とは永遠の旅人であり、行き交う年もまた旅人である。

船の上で生涯を過ごし、馬に乗って旅する中で老いを迎える者は、日々が旅であり、旅を住みかとする。

いにしえの人も多く旅の途中で亡くなった。

私もいつの頃からか雲のたなびく風に誘われるように漂泊の思いがやまず、海辺をさすらい歩いていたが、去年の秋、川沿いの粗末な家を掃除して年も暮れようとするころ、春には霞たなびく空を見て白河の関を越えようと、人をそそのかすというそぞろ神にとり憑(つ)かれ道祖神なる旅の守り神に招かれて、とるもの手につかなくなり、ももひきの破れを繕い笠のひもを付け替えて膝わきの三里のツボにお灸をすえると、松島の月がまず気になり住まいは人に譲り杉風の別荘に移ろうと

草の戸も住み替わる代ぞひなの家

(粗末な家も住む人が替われば、ひな人形が飾られる家になることだろうよ)

と連句の表八句を庵の柱に掛けておいた。

上記は「夜宴从弟桃李園序」の「夫天地者万物之逆旅、光陰者百代之過」を受けての芭蕉『奥の細道』序文ですが、唐代のゴージャスな宴席から、江戸のわびさびの世界に入った感があります。

『春夜宴桃李園序』が書かれた時代

唐の時代区分(初唐・盛唐・中唐・晩唐)

唐の時代は、しばしば初唐(618~709)・盛唐(710~765)・中唐(766~835)・晩唐(836~907)に分けて説明します。

『春夜宴桃李園序』が書かれたのは盛唐の頃です。

『春夜宴桃李園序』の作者「李白」について

李白
李白。

李白(りはく…701~762)。

字(あざな)は太白、号は青蓮居士。「詩仙」とも呼ばれています。

祖籍は現・甘粛省天水。現・四川省江油で育ちました。

この序は開元21年(733年)前後に安陸(現・湖北省にある都市)という場所で書かれました。ちょうどこの頃李白は安陸の名家の娘と結婚をし、安陸を拠点に旅をしたり、長安に行って任官を求めたりしていました。

この詩はこうした時期、いとこたちと集まって気兼ねのいらない宴会を開いたのでしょう。

春の宵、月あかりのもと、桃や李の花の香りに包まれて、それぞれに詩の才能を持つ同世代の者たちの集まりです。うまい酒あり、美味しい料理あり、そして歌われる美しい詩の数々…やがて朝廷に招かれ玄宗皇帝に仕えた日もありながら、安史の乱の後には投獄されたり、放浪したり、波乱万丈の後半生が続きます。

李白、人生のちょうど真ん中あたりの穏やかで楽しいひとときの歌です。

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