七言絶句

七言絶句

七言絶句とは

七言絶句(しちごんぜっく)とは漢詩の形式の一つで、1句に7語、全部で4句28語、五言絶句に次いで短い詩形の漢詩です。

元は絶句も律詩と呼ばれていました。

律詩の律は、法律や規律の律で、元々は「きまり」という意味です。つまり律詩は、音声上のきまりによって作られた詩ということになります。

きまりによって作られた詩は絶句、律詩ともにそうですから、最初は唐代に成立した近体詩全体、つまり絶句も律詩もともに律詩と呼ばれていましたが、その後全8句になる詩のみ「律詩」と言うようになりました。

それでは絶句はなぜ「絶句」というのか。これには諸説ありますが、長い詩から初めの4句を断ち切ったものだから、という説が一般的です。

七言絶句の起承転結

七言絶句は全部で4句、第1句は詠い起こし(起句)、第2句は前の句を受けてそこから発展させ(承句)、第3句は場面を転換し(転句)、第4句は全体を結んで終わらせます(結句)。これが起承転結で、七言絶句の漢詩は必ずこうした作りになっています。

押韻とは

漢詩、特に唐代以降の近体詩は1句2句4句で韻を踏みます(1句は踏まないことも)。これを押韻(おういん)と言います。「韻」とは発音した時耳に残る音の響きのことです。押韻は同じ響きを持つ語を句の終わりに置くことで、音声的な美しさを作るのです。

代表的な七言絶句の作品

それでは代表的な七言絶句の漢詩を見てみましょう。

七言絶句の例-1 『早発白帝城』

まずは李白の『早発白帝城』(つとに白帝城を発す)から。李白は絶句を得意としました。

『早発白帝城』の原文

早発白帝城

朝辞白帝彩雲間

千里江陵一日還

両岸猿声啼不住

軽舟已過万重山

『早発白帝城』の書き下し文

つとに白帝城を発す

あしたに辞す 白帝 彩雲さいうんかん

千里の江陵 一日いちにちにして還る

両岸の猿声えんせい 啼いて尽きず

軽舟けいしゅう すでに過ぐ 万重ばんちょうの山

『早発白帝城』の現代語訳

朝早く白帝城を発つ

早朝美しい朝焼けの雲間にある白帝城に別れを告げ

千里のかなたにある江陵にたった一日で戻る

長江の両岸からは猿の声が途切れることなく

船は軽々と幾重にも重なる山を通り抜けた

1句2句4句、間・環・山で韻を踏んでいます。日本語の漢字音では「カン・カン・サン」ですが、現代中国語ですと「ジエン・ホアン・シャン」に近い音になります。

第1句で始まり、第2句でそれを受け、軽やかでスピーディな船の動きを描きます。第3句で猿の声が耳に入ってきて場面が変わり、結びの4句で周囲の峻険な山々に目を向け、それらをいつのまに通り抜けた船のスピードへの感嘆の思いを余韻として残します。

七言絶句の例-2 『楓橋夜泊』

もう一つ、中唐の詩人、張継の『楓橋夜泊』(ふうきょう やはく)と題する詩を紹介しましょう。漢文の教科書に必ず取り上げられる有名な詩です。

『楓橋夜泊』の原文

月落烏啼霜満天

江楓漁火対愁眠

姑蘇城外寒山寺

夜半鐘声到客船

『楓橋夜泊』の書き下し文

月落ちからす啼いて霜天に満つ

江楓漁火愁眠こうふうぎょかしゅうみんに対す

姑蘇こそ城外の寒山寺

夜半やはん鐘声しょうせい客船かくせんに到る

『楓橋夜泊』の現代語訳

月は沈んであたりは闇、カラスが鳴いて一面霜が降りそうな寒い夜

旅の寂しさに眠れないでいる私の目に、川岸のカエデの葉といさり火が赤々と

蘇州の町の郊外にある寒山寺からは

真夜中の鐘の音がこの船にまで響き渡ってくる

2句4句、眠・船で韻を踏んでいます。日本語の漢字音では「ミン・セン」ですが、現代中国語ですと「ミエン・チュアン」に近い音になります。

第1句で始まり、第2句でそれを受け、旅先で眠れぬ夜の周囲の情景を描きます。第3句では鐘の音が聞こえてきて、場面は視覚の世界から聴覚の世界に移ります。結びの4句で「真夜中の鐘がここまで聞こえてくることだ」としみじみとした余韻を伝えます。

李白、張継いずれの七言絶句も型をきっちり守りながら、それと感じさせず、読者を詩の世界にいざなってくれます。