七言律詩
七言律詩とは
七言律詩(しちごん りっし)とは漢詩の形式の一つで、1句7語、全部で8句56語になる詩形の漢詩です。
律詩の律は、法律や規律の律で、元々は「きまり」という意味です。つまり律詩は、音声上のきまりによって作られた詩ということになります。
きまりによって作られた詩は絶句、律詩ともにそうですから、最初は唐代に成立した近体詩全体、つまり絶句も律詩もともに律詩と呼ばれていました。その後全8句になる詩のみ「律詩」と言うようになりました。
押韻とは
漢詩、特に唐代以降の近体詩は1句2句4句で韻を踏みます(1句は踏まないことも)。これを押韻(おういん)と言います。「韻」とは発音した時耳に残る音の響きのことです。押韻は同じ響きを持つ語を句の終わりに置くことで、音声的な美しさを作るのです。
対句とは
対句とは、2つの句が(つまり2行あるいは2文が)文法的また意味上も対称的(シンメトリー)に対応する技法です。
絶句ではこれは要求されませんが、全8行になる律詩では最初の2句と最後の2句に挟まれたところ、つまり真ん中の4句はすべて対句にしなければなりません。
七言律詩の例
七言律詩の例-1 『遊山西村』
それでは南宋の詩人・陸游の七言律詩『遊山西村』(山西の村に遊ぶ)を読んでみましょう。
『遊山西村』の原文
莫笑農家臘酒渾
豊年留客足鶏豚
山重水複疑無路
柳暗花明又一村
簫鼓追随春社近
衣冠簡朴古風存
従今若許閑乗月
拄杖無時夜叩門
『遊山西村』の書き下し文
笑う莫れ農家の臘酒の渾れるを
豊年客を留めて鶏豚足る
山重なり水複なりて路無きかと疑ふ
柳暗く花明らかに又一村
簫鼓追随して春社近し
衣冠簡朴にして古風存す
今従り若し閑かに月に乗ずることを許さば
杖を拄いて時と無く夜門を叩かん
渾・豚・村・存・門で押韻しています。
律詩の定石どおり2聯(第3句第4句)と3聯(第5句第6句)がそれぞれ対句になっています。原文と書き下し文で意味の切れ目に斜線を入れてあります。文構造と意味の両方で対になっているのがわかります。
第3句と4句の末尾が中国語と日本語ではズレがあって対に見えませんが、これは中国語と日本語では文構造が異なりますのでしかたがありません。中国語は目的語が動詞の後ろで「疑無路」となりますが、日本語は動詞が後ろになって「路無きかと疑う」となります。
『遊山西村』の現代語訳
師走に仕込んだ田舎のどぶろくだとお笑いなさるな
豊作の年で客をもてなす鶏や豚の肉もたんとある
山重なり川めぐり道はここまでと思いきや
柳の茂みの先に花が明るく咲いてまた村がひとつ
笛や太鼓の音が響いてきて春祭りが近いらしい
村人の服装は純朴で古風
月をたよりにまた来てもよいと言うなら
杖をついて時を定めず夜門を叩きますぞ
七言律詩の例-2 『香炉峰下新卜山居』
中唐の詩人・白居易(白楽天)の詩『香炉峰下新卜山居』(香炉峰下新たに山居を卜す)も七言律詩です。この詩は清少納言が『枕草子』で触れていることで日本では大変有名です。一番有名な部分が対句になっている3句と4句です。
『香炉峰下新卜山居』の原文
日高睡足猶慵起
小閣重衾不怕寒
遺愛寺鐘欹枕聴
香炉峰雪撥簾看
匡廬便是逃名地
司馬仍為送老官
心泰身寧是帰処
故郷何独在長安
『香炉峰下新卜山居』の書き下し文
日高く睡り足れるも猶起くるに慵し
小閣衾を重ねて寒きを怕れず
遺愛寺の鐘は枕に欹ちて聴き
香炉峰の雪は簾を撥げて看る
匡廬は便ち是れ名を逃るるの地
司馬は仍お老いを送るの官と為す
心泰かに身寧きは是れ帰処
故郷独り長安に在あるのみなる可けんや
「寒・看・官・安」で押韻しています。
2聯(3句4句)と3聯(5句6句)でそれぞれ対句になっています。
原文・書き下し文の意味の切れ目に斜線を入れました。
3聯(5句6句)の後半部分が中国語と日本語ではズレがあって対に見えませんが、これも日中の文構造が異なるところから来ています。中国語では動詞は前に、日本語は動詞は後ろに来ます。
是逃名地→「是」が動詞で英語のBe動詞に似た役目をします。動詞+目的語構造で、日本語に訳すと「名を逃げる地である」という意味になります。
為送老官→「為」が動詞で、これも動詞+目的語構造、日本語に訳すと「老いを送る官となる」
このように直訳にすると日中同構造になって対句であることがよくわかるのですが、「是」は日本では昔から「これ~(なり)」と読み習わしてきました。そこで一見対句に見えなくなっています。
では下にこの詩の現代語訳を挙げておきましょう。
『香炉峰下新卜山居』の現代語訳
陽は高く昇り寝足りていながらなお起きるのはものうい
小さな二階建ての草堂で布団を重ねて寝ているので少しも寒くはない
近くの遺愛寺の鐘の音は枕に頭をつけたまま耳を傾け
香炉峰の雪はすだれをあげてながめる
廬山はこれ隠遁の地
司馬という役職もまた老人用の閑職だ
心身ともにやすらかに過ごせるところこそ己が帰るべき場所
長安の都だけがふるさとではない
七言律詩の難易度
漢詩を作る練習としてはまず七言絶句からスタート、次に五言律詩、七言律詩と進むのがよく、こうしているうちに五言絶句は作れるようになると言われます。前三つの詩を「三体」と呼び、宋代にこの三体の模範を集めた『三体詩』(さんていし)という本が詩を作ろうという人々のために出版されました。
なぜこの順序かというと、五言絶句は使える言葉がわずか20なので難しく、最初はもう少しゆとりのある七言絶句から始め、次に対句を作る練習として五言律詩、最後が七言律詩だそうで、つまり七言律詩はきわめて難しいとされています。