『離騒』屈原

『離騒』屈原

離騒』(りそう)とは、古代中国の歌集『楚辞』(そじ)の中の作品です。戦国時代の楚の政治家にして詩人・屈原(くつげん…BC343頃~BC278頃)の作品で、『楚辞』の詩はみな長いのですが、この詩も全部で2500文字あります。絶句1篇で20文字ですからその長さがわかろうというものです。『離騒』の「離」は「出会う」、「騒」は「悩み・心配」という意味、懊悩する心情を詠ったものです。

まずは自分の紹介から始まり、次に楚の国王の取り巻きたちの邪悪さと自分の潔白、妥協のできない自分の性格、妥協せよと忠告する姉、それでは天帝に会って教えていただこうと天上界を旅する…という内容になっています。

旧暦五月五日の端午の節句はこの屈原をしのぶ日です。自分の意見が取り入れられず国を追われて放浪し、彼は最後に汨羅江(べきらこう)に身を投げてしまうのですが、そうした信念の人・屈原の心と行動を詠った抒情詩であり叙事詩でもある長編です。

ではこの長大な詩『離騒』の一部を下に紹介しましょう。天上界へと旅立つ時の詩です。

『離騒』の原文

前望舒役先駆兮

後飛廉役奔属

鸞凰為余先戒兮

雷師告余以未具

吾令鳳鳥飛黱兮

継之以日夜

瓢風屯其相離兮

師雲霓而来御

紛総総其離合兮

斑陸離其上下

吾令帝閽開関兮

倚閶闔而望予

『離騒』の書き下し文

望舒ぼうじょを前に先駆せしめ

れんを後にしてほんぞくせしむ

らんこう余が為に先づいまし

雷師らいしわれに告ぐるに未だそなはらざるを以てす

われ鳳鳥ほうちょうをして飛黱ひとうせしめ

これに継ぐに日夜を以てせしむ

ひょうふうあつまつて其れ相離れ

雲霓うんげいひきゐて来りむか

ふんとして総総として其れ離合し

はんとして陸離として其れしょう

われ帝閽ていこんをして関を開かしむるに

閶闔しょうこうつてわれを望む

『離騒』の現代語訳

月の車の御者である望舒を先頭に馬車を走らせよう

風神である飛廉を後ろにつけて走らせよう

鸞と鳳凰は私を守ろうと警戒しつつ飛んでいく

雷神はまだ準備ができていないと教えてくれる

まず鳳凰を飛ばしてそのあとについて

昼に夜を継いで急ぐと

風神が集まってきてはまた離れ

雲や虹を引き連れて迎えてくれる

入り乱れたり離れたり合わさったり

混じっては分散し上がってはまた下がり

天帝の宮殿の門を開けてもらおうとするも

門番は門に寄りかかったまま私をながめるのみ

「離騒」は嘆きの詩ですが、そうかと思うと一転こうした神話的な世界が詠われます。壮大なファンタジーの世界です。

月は馬車に乗って空を駆け巡る…素敵なイメージですね。その御者の名前は「望舒」さん。

6句目の「継之以日夜」は今も中国語の中でよく使われています。日本語でも「昼に夜を継いで」といいますね。この詩から来ているのかもしれません。

外国人には難しい詩ですが、こうして読み砕いていくとすばらしい幻想の世界が現れます。

『離騒』の解説

第1句「前望舒役先駆兮」

「望舒」は「月の車をひく御者」。この句は、月は馬車に乗って夜空を回るという言い伝えを元にしています。

第2句「後飛廉役奔属」

「飛廉」は「風の神」。

第3句「鸞凰為余先戒兮」

「鸞凰」は「鸞」と「鳳凰」二羽の鳥。

第4句「雷師告余以未具」

「雷師」は「雷神」。

第7句「瓢風屯其相離兮」

「瓢風」は「つむじ風」。

第8句「師雲霓而来御」

「雲霓」は「雲と虹」。

第11句「吾令帝閽開関兮」

「帝閽」は天帝の宮殿の門。

第12句「倚閶闔而望予」

「閶闔」は「天上界の門」。

『離騒』の形式・技法

『離騒』が作られた頃は、まだ漢詩の型はできていません。これができるのは唐の時代です。

中国大陸南方の地・楚の国の歌謡のリズムは3音が基本。さらに「兮」(中国語では「シー」、日本語では「けい」と読ませる)という助字…意味は持たず、旋律に合わせて音を伸ばす役割を担う…が必ず使われます。

『離騒』の作者「屈原」について

屈原(くつげん…BC343頃~BC278頃)は戦国時代・楚の国の政治家にして詩人です。外交政策で周囲の役人たちと対立し、結果追放されてしまいます。楚の国内を放浪し、汨羅江(べきらこう)という湖南省北部、長江支流の川に身を投げて亡くなりますが、その愛国の心は民衆にもよく知られていて同情を集め、それが今日の「端午節」につながりました。

日本で「端午節・端午の節句」は古来男の子の節句ですが、この節句の発生地・中国では愛国詩人・屈原を悼む日です。その遺体をさがそうと船を出したのが「ドラゴンボート」となり、遺体が魚に食われないようにと米をまいたのが「ちまき」の風習となったと言われます。

正義感の強い信念の人であり、妥協をしない頑固一徹の人でそれが悲劇を招きますが、この懊悩の詩「離騒」もまたそうした人柄を自ら詠っています。

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