『長恨歌』白居易

『長恨歌』白居易

長恨歌ちょうごんかとは唐代の皇帝・玄宗皇帝とその愛妃・楊貴妃の悲劇を詠んだ有名な詩です。安禄山の乱でこの悲劇が起きてから50年後に120句という長さを持つ詩は作られました。白居易35歳、9世紀初めの作品です。紫式部や清少納言が生きた時代より150年ほど昔ですが、この詩の入った『白氏文集』は日本にも伝えられていて、『源氏物語』や『枕草子』にも影響を与えたと言われています。

ここでは長恨歌の原文・書き下し文・現代語訳・解説・白居易の紹介などをしていきます。

絶句の30倍、律詩の15倍の長さを持つ詩ですので、少しずつ区切って読んでいきましょう。

『長恨歌』の原文1

漢皇重色思傾国

御宇多年求不得

楊家有女初長成

養在深閨人未識

天生麗質難自棄

一朝選在君王側

迴眸一笑百媚生

六宮粉黛無顔色

『長恨歌』の書き下し文1

かんこう色を重んじて傾国けいこくを思ふ

御宇ぎょう多年求むれども得ず

楊家ようかむすめ有り初めて長成す

養はれて深閨しんけいに在り人いまだ識らず

天生の麗質みずから棄て難く

一朝いっちょう選ばれて君王のかたわらに在り

ひとみめぐらし一笑すればひゃく生じ

六宮ろっきゅう粉黛ふんたい顔色がんしょく無し

『長恨歌』の現代語訳1

漢の皇帝は美人を得たいと思いながら

これまでの長い治世に求めても得られなかった

楊家に一人の娘あって大人になり

家の奥で育てられ人に知られることはなかった

持って生まれた美貌は隠しがたく

ある日選ばれて君主の傍らに召された

瞳をめぐらし微笑めば媚びが生まれて

後宮の美人たちも形無しとなる

『長恨歌』の解説1

第1句「漢皇重色思傾国」

第1句:「漢王」は「玄宗皇帝」を指します。直接指すのをはばかったためこういう書き方になっています。「傾国」は「絶世の美女」。美女を得た帝王が政治を忘れ国を傾けてしまうほどだ、というところから生まれた言葉です。

第2句「御宇多年求不得」

第2句:「御宇」は「治世の間」。

第8句「六宮粉黛無顔色」

第8句:「六宮」は「宮中の奥御殿」。「粉黛」は「美女」を指します。

『長恨歌』の原文2

春寒賜浴華清池

温泉水滑洗凝脂

侍児扶起嬌無力

始是新承恩沢時

雲鬢花顔金歩揺

芙蓉帳暖度春宵

春宵苦短日高起

従此君王不早朝

『長恨歌』の書き下し文2

春寒うしてよくを賜ふせい

温泉水滑らかにしてぎょうを洗ふ

児扶じたすけ起こせばきょうとして力無し

始めて是れ新たに恩沢おんたくくる時

うんびん顔金歩揺がんきんぽよう

芙蓉のとばり暖かにして春宵しゅんしょうわた

春宵はなはだ短く日高うして起く

此れり君王早朝せず

『長恨歌』の現代語訳2

春のまだ寒い時期華清の宮で湯浴みを賜り

温泉のお湯はなめらかに美しい肌を洗う

侍女が支えるもなよなよと力なく

これが初めて天子の寵愛を受けた時

豊かな髪の毛に金の髪飾りが揺れ

蓮のとばりの温もりの中春の夜を過ごす

春の夜は短くて陽が高く昇ってやっと起きる

天子はこののち早朝の仕事をやめてしまった

『長恨歌』の解説2

第1句「春寒賜浴華清池」

第1句:「華清池」は「華清宮」の温泉。中国でも昔から温泉があったのですね。ただし皇帝ご一族用です。

第1句「温泉水滑洗凝脂」

第2句:「凝脂」は「きめ細かな肌」。

第1句「雲鬢花顔金歩揺」

第5句:「雲鬢」は「ふさふさした髪の毛」、「金歩揺」は「歩くと揺れる金のかんざし」。

第1句「芙蓉帳暖度春宵」

第6句:「芙蓉帳」は「蓮の模様を縫い取りしたとばり」、「度春宵」は「春の夜を過ごす」。

第1句「従此君王不早朝」

第8句:「早朝」は「朝早くから政務を執る」。玄宗皇帝はその治世の前半は「開元の治」と呼ばれすばらしい政治をしていたのですが、後半は政治に飽き反乱を招き寄せ、唐の隆盛はこれ以後下降線をたどりやがて滅びます。

『長恨歌』の原文3

承歓侍宴無閑暇

春従春遊夜専夜

後宮佳麗三千人

三千寵愛在一身

金屋粧成嬌侍夜

玉楼宴罷酔和春

姉妹弟兄皆列土

可憐光彩生門戸

遂令天下父母心

不重生男重生女

『長恨歌』の書き下し文3

歓をけ宴にして閑暇かんか無く

春は春遊に従い夜は夜を専らにす

後宮の佳麗三千人

三千の寵愛一身に在り

金屋粧きんおくよそおい成ってきょうとして夜に侍し

玉楼宴んで酔うて春に和す

姉妹しまいていけい皆土をつら

あわれし光彩門戸に生ずるを

遂に天下の父母の心をして

男を生むを重んぜず女を生むを重んぜしむ

『長恨歌』の現代語訳3

寵愛を受けて宴に侍り常におそばに

春の遊びにも夜のしとねにも

後宮の美女三千人

三千の寵愛を一身に受ける

綺羅の住まいと美しい化粧

玉楼の宴が終われば春の気に酔う

兄弟姉妹いずれも高い地位を得て

光が門に射し込んで羨ましいことだ

この世の親たちはみな

生むなら娘、息子は要らぬと思いだす

『長恨歌』の解説3

第5句「金屋粧成嬌侍夜」

第5句:「金屋」は「美しい部屋」。

第6句「玉楼宴罷酔和春」

第6句:「和春」は「春の雰囲気に溶け込む」。

第7句「姉妹弟兄皆列土」

第7句:「列土」は「高官に並んで領地を連ねる」。

第8句「可憐光彩生門戸」

第8句:「可憐」は「羨ましい」。

『長恨歌』の原文4

驪宮高処入青雲

仙楽風飄処処聞

緩歌慢舞凝糸竹

尽日君王看不足

漁陽鞞鼓動地来

驚破霓裳羽衣曲

『長恨歌』の書き下し文4

驪宮りきゅう高きところ青雲に

せんがく風にひるがえりて処処しょしょに聞こゆ

緩歌慢かんかまん糸竹しちくらし

尽日じんじつ君王看れども足らず

ぎょようへい地を動かして来たり

驚破きょうはげいしょう羽衣ういの曲

『長恨歌』の現代語訳4

華池の離宮は空高くあり

妙なる音曲が風にただよう

歌や舞、管弦の調べに

天子は終日これを楽しみ飽きることがない

突然沸き起こる謀反の陣太鼓

霓裳羽衣妙なる調べの夢を破る

『長恨歌』の解説4

第1句「驪宮高処入青雲」

第1句:「驪宮」は「離宮の華清宮」。

第1句「緩歌慢舞凝糸竹」

第3句:「慢舞」は「ゆっくりと舞う」。「凝糸竹」は「管弦の妙を尽くす」。

第1句「漁陽鞞鼓動地来」

第5句:「漁陽鞞鼓」は「安禄山の乱」のこと。「漁陽」は安禄山の任地。「鞞鼓」は「いくさの陣太鼓」。

第1句「驚破霓裳羽衣曲」

第6句:「霓裳羽衣曲」は玄宗皇帝の作曲、楊貴妃はこれで舞うのを得意としたと言います。玄宗も楊貴妃も音楽への造詣が深かったそうです。

『長恨歌』の原文5

九重城闕煙塵生

千乗万騎西南行

翠華揺揺行復止

西出都門百余里

六軍不発無奈何

宛転蛾眉馬前死

花鈿委地無人収

翠翹金雀玉搔頭

君王掩面救不得

迴看血涙相和流

『長恨歌』の書き下し文5

九重きゅうちょう城闕じょうけつ煙塵生じ

千乗せんじょうばん西南に行く

翠華すいか揺揺として行きてとどまり

西のかた都門ともんづること百余里

りくぐん発せず奈何いかんともする無く

宛転えんてんたる蛾眉馬前に死す

花鈿かでんは地にてられて人の収むる無し

翠翹金雀玉搔頭すいぎょうきんじゃくぎょくそうとう

君王おもておおうて救ひ得ず

かいり看れば血涙けつるい相和して流る

『長恨歌』の現代語訳5

九重の城門から土煙をあげて

千乗万騎が西南に向かう

天子の御旗をひるがえし行っては止まり止まっては行き

都の門を西に十数里

兵士は動かず万事休して

傾国の美女馬嵬に死す

金の飾りが地に落ちても拾う者なく

美しい髪飾りやら玉のかんざしやら

天子は救うことができずに顔を覆うばかり

血と涙ともに流れる

『長恨歌』の解説5

第1句「九重城闕煙塵生」

第1句:「城闕」は「御所の門」。

第2句「千乗万騎西南行」

第2句:「千乗万騎」は「天子の軍」。

第3句「翠華揺揺行復止」

第3句:「翠華」は「かわせみの羽で飾った天子の旗」。

第4句「西出都門百余里」

第4句:「百余里」ですが、唐代の「里」は400~600メートルくらいであまりはっきりしません。現代中国で「1里」は500メートルです。500メートルで計算するなら「百里」は50キロ。日本の「里」は4キロですから、この日本の「里」で表すなら「10数里」となります。

第5句「六軍不発無奈何」

第5句:「六軍」は「天子の軍」。

第6句「宛転蛾眉馬前死」

第6句:「宛転」は「眉の美しくすんなりした様」。「馬前死」は楊貴妃が馬嵬(ばかい…陝西省)で殺されたことを示します。有名な楊貴妃最期の場面です。当時38歳。ハリウッドを代表する女優さんのマリリン・モンローやイギリス王室のダイアナ妃もこのくらいの年齢で亡くなっていますね。まだまだ美しさの真っ盛りです。

第7句「花鈿委地無人収」

第7句:「花鈿」は「女性の額に貼る金色の飾り」。

第8句「翠翹金雀玉搔頭」

第8句:「翠翹」は「かわせみの羽で作った髪飾り」。「金雀」は「金で作ったスズメの形のかんざし」。「玉搔頭」は「玉で作ったこうがい」。

『長恨歌』の原文6

黄埃散漫風蕭索

雲桟縈紆登剣閣

峨眉山下少人行

旌旗無光日色薄

蜀江水碧蜀山青

聖主朝朝暮暮情

行宮見月傷心色

夜雨聞鈴腸断声

『長恨歌』の書き下し文6

黄埃こうあい散漫さんまんかぜ蕭索しょうさく

雲桟うんさん縈紆えいう剣閣けんかくに登る

峨眉山がびさん下人げにんの行くことまれ

旌旗せいき光無く日色薄し

蜀江しょくこうみずみどりにして蜀山しょくざんは青く

せいしゅちょうちょうの情

行宮あんぐうに月を見れば傷心の色

夜雨やうに鈴を聞けば腸断ちょうだんの声

『長恨歌』の現代語訳6

黄塵がたちこめ風は物寂しく

絶壁の桟道をうねりくねって剣閣を登る

峨眉山のふもとは行く人もまれで

軍旗は光を失い日の色も薄い

蜀江蜀山ともに緑美しいけれど

天子は朝に夜に思いにふける

臨時の行宮で月を見ても心は痛み

夜の雨に鈴の音を聞けば断腸の思い

『長恨歌』の解説6

第1句「猿嘯哀」

第1句:「蕭索」は「物寂しい」。

第1句「猿嘯哀」

第2句:「雲桟」は「雲に届くほどの高い桟道(さんどう…山の絶壁に棚のように張り出して作った道)」。「縈紆」は「うねりくねる」。「剣閣」は蜀にある最も険しい山。

第1句「猿嘯哀」

第3句:「峨眉山」は蜀にある名山。

第1句「猿嘯哀」

第5句:「蜀江蜀山」は蜀の川や山。

この場面の情景

ここで描かれる情景は実に物寂しい。2番目の句の「雲桟」は絶壁に張り付くようにして越えていきます。厳しい山歩きです。ちなみに「箱根の山は天下の険」で始まる『箱根八里』の歌の2番ではこの「蜀の桟道」が詠まれています。「一夫関に当たるや、萬夫も開くなし」(一人が関を守れば万人の敵が攻めてきても突破できない)という難しい歌詞もありますが、これは李白の詩『蜀道難』から取られています。

『長恨歌』の原文7

天旋日転迴竜馭

到此躊躇不能去

馬嵬坡下泥土中

不見玉顔空死処

君臣相顧尽霑衣

東望都門信馬帰

『長恨歌』の書き下し文7

めぐり日転じて竜馭りゅうぎょめぐらし

此に到りて躊躇ちゅうちょして去るあたはず

馬嵬坡下ばかいはか泥土でいどうち

玉顔を見ずむなしく死せるところ

君臣あいかえりみてことごところもうるほす

東のかた都門を望み馬にまかせて帰る

『長恨歌』の現代語訳7

乱が収まり都に戻る

この場所からは足が先に進まない

馬嵬の坂の泥土の中

貴妃の玉顔がむなしく消えた場所

君臣互いに見合っては涙を流し

馬の歩みのままに東の都門をめざす

『長恨歌』の解説7

第1句「天旋日転迴竜馭」

第1句:「天旋日転」は天下の情勢が一変すること。ここでは安禄山の乱がおさまったことを指す。「迴竜馭」は「天子の車を返す」。玄宗が長安に帰ったということ。

第1句「馬嵬坡下泥土中」

第3句:「馬嵬坡下」は「馬嵬の坂の下」。

第1句「不見玉顔空死処」

第4句:「玉顔」は楊貴妃の美しい顔。

『長恨歌』の原文8

帰来池苑皆依旧

太液芙蓉未央柳

芙蓉如面柳如眉

対此如何不涙垂

春風桃李花開夜

秋雨梧桐葉落時

『長恨歌』の書き下し文8

帰り来ればえん皆旧に依る

たいえきの芙蓉未央びおうの柳

芙蓉はおもての如く柳は眉の如し

此に対して如何いかんぞ涙垂れざらん

春風とう花開く夜

秋雨梧桐しゅううごとう葉落つる時

『長恨歌』の現代語訳8

帰ってくれば宮殿の庭は昔のまま

太池の芙蓉や未央宮の柳

芙蓉はあのかんばせに柳は美しい眉に

どうして涙を流さずにいられよう

春風に桃すももの花が開く夜

秋雨に桐の葉が落ちる時

『長恨歌』の解説8

第2句「太液芙蓉未央柳」

第2句:「太液」は池の名前、「未央」は宮殿の名前。

『梧桐雨』

『梧桐雨』というげんの雑劇がありますが、玄宗と楊貴妃の物語です。この題名はこの「秋雨梧桐葉落時」から採ったものです。

『長恨歌』の原文9

西宮南苑多秋草

宮葉満階紅不掃

梨園弟子白髪新

椒房阿監青娥老

『長恨歌』の書き下し文9

西宮せいきゅう南苑なんえんしゅうそう多し

きゅうようきざはしに満ちて紅掃くれないはらはず

梨園りえん弟子ていし白髪はくはつ新たに

椒房しゅうぼう阿監あらん青娥せいが老いたり

『長恨歌』の現代語訳9

西の御所も南の御所も秋草が生え

宮殿は落ち葉で覆われきざはしの紅葉も払われず

梨園の役者たちも白髪頭になり

皇后おつきの女官がしらもすっかり老いた

『長恨歌』の解説9

第1句「西宮南苑多秋草」

第1句:「西宮」は長安の北にあった玄宗の御所。「南苑」は長安の東南にあった御所。

第3句「梨園弟子白髪新」

第3句:「梨園」は玄宗が設けた役者・楽師の養成所。後に演劇界という意味になる。

第4句「椒房阿監青娥老」

第4句:「椒房」は皇后の居室。「阿監」は「女官の監督」。「青娥」は「若い美人の眉」。

『長恨歌』の原文10

夕殿蛍飛思悄然

孤灯挑尽未成眠

遅遅鐘鼓初長夜

耿耿星河欲曙天

鴛鴦瓦冷霜華重

翡翠衾寒誰与共

悠悠生死別経年

魂魄不曾来入夢

『長恨歌』の書き下し文10

せき殿でん蛍飛んで思ひしょうぜん

孤灯ことうかかげ尽くして未だ眠りを成さず

遅遅ちちたるしょう初めて長き夜

耿耿こうこうたるせいけんと欲する天

鴛鴦えんおうの瓦冷やかにしてそう重く

翡翠ひすいしとね寒うしてたれと共にせん

悠悠たる生死別れて年をたり

魂魄こんぱくかつて来たりて夢にらず

『長恨歌』の現代語訳10

夕暮れに飛ぶホタルを見てもの思いに沈み

灯火が燃え尽きてもまだ眠れぬ

時を打つ鐘の音に不眠の夜は長く

天の川は遠く光り天は明けようとしている

オシドリの瓦は冷たい霜を乗せ

翡翠のしとねを共にする者もいない

はるかに生死を別にして年を重ね

愛しき者の魂魄は夢に出てきてはくれぬ

『長恨歌』の解説10

第4句「耿耿星河欲曙天」

第4句:「耿耿」は遠く小さく光る様子。「星河」は「天の川」。

第5句「鴛鴦瓦冷霜華重」

第5句:「鴛鴦瓦」はオシドリに形を似せた瓦。

『長恨歌』の原文11

臨邛道士鴻都客

能以精誠致魂魄

為感君王展転思

遂教方士殷勤覓

『長恨歌』の書き下し文11

臨邛りんこうの道士こうかく

せいせいもっ魂魄こんぱくを致す

君王展転くんのうてんてんの思ひに感ずるが為に

つい方士ほうしをしていんぎんもとめしむ

『長恨歌』の現代語訳11

ひとりの道士を宮殿に招けば

祈りによって魂を呼ぶという

夜眠れぬ天子のために

心をこめて死者の御霊を求める

『長恨歌』の解説11

第1句「臨邛道士鴻都客」

第1句:「臨邛」は四川省にある地名。「道士」は神仙の術をする人。方士とも。「鴻都」は宮門の名。

第3句「為感君王展転思」

第3句:「展転」は夜眠れずにたびたび寝返りを打つこと。

『長恨歌』の原文12

排空馭気奔如電

昇天入地求之遍

上窮碧落下黄泉

両処茫茫皆不見

忽聞海上有仙山

山在虚無縹緲間

楼閣玲瓏五雲起

其中綽約多仙子

中有一人字太真

雪膚花貌参差是

『長恨歌』の書き下し文12

空(くう)を排し気に馭(ぎょ)して奔(はし)ること電(いかづち)の如く

天に昇り地に入て之を求むることあまね

かみ碧落へきらくきわしも黄泉こうせん

両処りょうしょ茫茫ぼうぼうとして皆見えず

たちまち聞く海上に仙山有るを

山は虚無縹緲きょむひょうびょうの間に在りと

楼閣ろうかく玲瓏れいろうとしてうん起こる

其の中綽うちしゃくやくとして仙子多し

中に一人いちにん有りあざなは太真

雪膚花貌参差せっぷかぼうしんしとしてこれれならん

『長恨歌』の現代語訳12

空を押しのけ稲妻のように走りゆき

天に昇り地に潜ってくまなく探す

上は紺碧の空、下は黄泉の国

いずれも茫々と霞んで見つけることができない

ふと耳にする海上に仙山があると

海の果てのぼおっと霞んだところ

楼閣が美しくそびえ五色の雲が湧き

しとやかで美しい仙女たち

その中に太真という名の仙女あり

雪の肌に花のかんばせこれぞまさにかの人ならん

『長恨歌』の解説12

第3句「上窮碧落下黄泉」

第3句:「碧落」は「青空」。「黄泉」は「あの世・地下」。

第6句「山在虚無縹緲間」

第6句:「縹緲」は「遠くかすか」。

第7句「楼閣玲瓏五雲起」

第7句:「玲瓏」は「さえて鮮やか」。「五雲」は「五色の雲」。

第8句「其中綽約多仙子」

第8句:「仙子」はここでは仙女の意味。

第10句「雪膚花貌参差是」

第10句:「参差」は「どうやら」。

『長恨歌』の原文13

金闕西廂叩玉扃

転教小玉報双成

聞道漢家天子使

九華帳裏夢魂驚

攬衣推枕起徘徊

珠箔銀屛邐迤開

『長恨歌』の書き下し文13

金闕きんけつ西廂せいしょう玉扃ぎょくけいを叩き

転じて小玉しょうぎょくをして双成そうせいに報ぜしむ

聞くならく漢家かんかの天子の使なりと

きゅうちょう裏夢りむこん驚く

衣をり枕を推しちて徘徊はいかい

珠箔銀屛邐迤しゅはくぎんぺいりいとして開く

『長恨歌』の現代語訳13

黄金の宮殿西の離れの玉のとびらを叩き

二人の侍女に導かれて入る

漢の天子の使いと聞いて

美しいとばりの中で夢にいた魂が驚く

衣を取り枕を押しやり行きつ戻りつ

玉のすだれを開けて出てくる

『長恨歌』の解説13

第1句「金闕西廂叩玉扃」

第1句:「西廂」は「西の離れの間」。「玉扃」は「玉のかんぬき」。ここでは扉の意味。

第2句「転教小玉報双成」

第2句:「小玉」「双成」はともに侍女の名前。

第3句「聞道漢家天子使」

第3句:「聞道」は「聞けば~ということだ」。

第4句「九華帳裏夢魂驚」

第4句:「九華帳」は「いろいろな花模様を縫い取りしたとばり」。

第6句「珠箔銀屛邐迤開」

第6句:「珠箔」は「玉のすだれ」。「邐迤」は「次々に連なり続くさま」。

『長恨歌』の原文14

雲鬢半偏新睡覚

花冠不整下堂来

風吹仙袂飄颻挙

猶似霓裳羽衣舞

玉容寂寞涙闌干

梨花一枝春帯雨

『長恨歌』の書き下し文14

うんびん半ばかたより新たにねむりより覚め

花冠かかん整はず堂をくだりてきた

風はせんべいを吹いて飄颻ひょうようとして挙がり

猶ほ似たりげいしょう羽衣ういの舞

ぎょくよう寂寞せきばくとして涙らんかん

梨花りか一枝いっし春雨はるあめを帯ぶ

『長恨歌』の現代語訳14

目覚めのおぐしは半ば傾き

花のかんむりが整わぬまま堂を下りれば

仙女の袖を風が吹き上げて

まるで霓裳羽衣を舞うかのよう

花のかんばせは寂しく涙を流し

梨の花ひとえだ春の雨に濡れる

『長恨歌』の解説14

第5句「玉容寂寞涙闌干」

第5句:「闌干」は涙がはらはらと落ちる様子。

『長恨歌』の原文15

含情凝睇謝君王

一別音容両渺茫

昭陽殿裏恩愛絶

蓬萊宮中日月長

迴頭下望人寰処

不見長安見塵霧

唯将旧物表深情

鈿合金釵寄将去

釵留一股合一扇

釵擘黄金合分鈿

但令心似金鈿堅

天上人間会相見

『長恨歌』の書き下し文15

情を含みひとみを凝らして君王に謝す

一別いちべつ音容おんようふたつながら渺茫びょうぼう

しょうよう殿でん恩愛おんあい絶え

蓬萊宮中日月じつげつ長し

こうべめぐらしてしも人寰じんかんところを望めば

長安を見ずしてじんを見る

ただ旧物をもって深情を表はさん

鈿合金釵てんごうきんさい寄せち去らしむ

釵はいっとどごういっせん

釵は黄金をき合はでんを分かつ

だ心をして金鈿きんでんの堅きに似しむれば

天上てんじょう人間会じんかんかならず相まみえん

『長恨歌』の現代語訳15

情を含みまなこを凝らして言う、なんとありがたいこと

お別れしたあとは声もお姿もぼんやりとし

ともに過ごした昭陽殿での寵愛も絶え

仙界の蓬莱宮での暮らしが長くなりました。

この世を一目見ようとしても

長安は見えず塵霧のみが見えます

せめて天子にいただいたものを私の想いの代わりに

螺鈿の箱と金のかんざし

かんざしは半分螺鈿の箱も片方だけ

それぞれを二つに分けて

互いの心を金と貝の堅さに学ばせるなら

あの世とこの世いつかはお会いできましょう。

『長恨歌』の解説15

第1句「含情凝睇謝君王」

第1句:「凝睇」は「伏し目でじっと思い詰める」。

第2句「一別音容両渺茫」

第2句:「音容」は玄宗の声や顔。

第3句「昭陽殿裏恩愛絶」

第3句:「昭陽殿」は楊貴妃が生前いた後宮の名。

第4句「蓬萊宮中日月長」

第4句:「蓬萊宮」は海中にある仙人の宮殿。

第5句「迴頭下望人寰処」

第5句:「人寰」は「人間世界」。

第7句「唯将旧物表深情」

第7句:「旧物」は昔玄宗から賜った記念の品。

第8句「鈿合金釵寄将去」

第8句:「鈿合」は貝細工の蓋がついた箱。「金釵」はふたまたの黄金のかんざし。

第9句「釵留一股合一扇」

第9句:「一扇」合わせ箱の片一方。

第11句「但令心似金鈿堅」

第11句:「令」は使役を意味する。

第12句「天上人間会相見」

第12句:「人間」は人間世界。

『長恨歌』の原文16

臨別殷勤重寄詞

詞中有誓両心知

七月七日長生殿

夜半無人私語時

在天願作比翼鳥

在地願為連理枝

天長地久有時尽

此恨綿綿無絶期

『長恨歌』の書き下し文16

別れに臨んでいんぎんに重ねてことばを寄す

詞中しちゅうに誓ひ有り両心りょうしんのみ知る

七月しちがつ七日なぬか長生ちょうせい殿でん

夜半やはん人無く私語の時

天に在りては願はくは比翼ひよくの鳥と

地に在りては願はくは連理の枝とらんと

天長く地久しきも時有りて尽くるも

此の恨みは綿綿として絶ゆるとき無からん

『長恨歌』の現代語訳16

別れに臨んで使者にことばを託し

その中に二人のみ知る誓いのことば

七夕の日に長生殿で

夜半に二人だけでことばを交わす

天にあっては比翼の鳥に

地にあっては連理の枝に

天長く地久しくも尽きる時あり

この恨み綿々として絶えることなし

『長恨歌』の解説16

第3句「猿嘯哀」

第3句:「長生殿」は華清殿の中の神仙を祭った御殿。

第5句「猿嘯哀」

第5句:「比翼鳥」は雌雄二羽が翼を連ねて飛ぶといわれる鳥。愛情の深い夫婦にたとえます。

第6句「猿嘯哀」

第6句:「連理枝」は根元は二つで幹枝の部分の木目が一つになっている木。

「比翼の鳥」と「連理の枝」

「比翼の鳥」「連理の枝」は結婚式の色紙などによく書かれます。

『長恨歌』が詠まれた場所・時代

唐の時代区分(初唐・盛唐・中唐・晩唐)

唐詩が書かれた時代は、しばしば初唐(618~709)・盛唐(710~765)・中唐(766~835)・晩唐(836~907)に分けて説明します。時代の変化を表わすとともに、詩の持ち味の変化も表します。

『長恨歌』が詠まれたのは中唐の頃です。

『長恨歌』の作者「白居易」について

白居易(白楽天)(772~846)は名を居易きょいといい、楽天はあざなです。若くして科挙に合格し、時に左遷されながらも役人生活を全うしました。

長恨歌は作者35歳の時の作品で、長恨歌の出来事が起きてから50年後に書かれました。

当時白居易は長安の西・馬嵬という楊貴妃が殺された場所の近くで地方役人をしていました。ある日友人二人と酒を飲んでおしゃべりをしていた時、一人が白居易に楊貴妃の物語を詩に詠って後世に伝えたらどうかと勧め、こうしてこの長い物語詩が生まれた、という話が残っています。この作品は当時大変な人気を博し、「長恨歌の白楽天」と呼ばれるようになったということです。

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