『石壕吏』杜甫

『石壕吏』杜甫

石壕吏』は759年、杜甫47歳の頃、洛陽西の石壕という村での見聞を詠んだ詩です。「三吏三別」と通称される6首の詩の一つで、杜甫社会詩の傑作と言われています。

ここでは『石壕吏』の原文・書き下し文・現代語訳・解説・作者である杜甫の紹介などをしていきます。

『石壕吏』の原文

暮投石壕邨

有吏夜捉人

老翁逾墻走

老婦出門看

吏呼一何怒

婦啼一何苦

聴婦前致詞

三男鄴城戍

一男附書至

二男新戦死

存者且偸生

死者長已矣

室中更無人

惟有乳下孫

有孫母未去

出入無完裙

老嫗力雖衰

請従吏夜帰

急応河陽役

猶得備晨炊

夜久語声絶

如聞泣幽咽

天明登前途

独与老翁別

『石壕吏』の書き下し文

暮に石壕の邨に投ず

吏有り夜人を捉う

老翁かきえて走り

老婦門をでて看る

吏の呼ぶこといつに何ぞ怒れる

婦のくこと一に何ぞ苦しき

婦のすすんでを致すを聴くに

三男鄴さんだんぎょうじょうまも

一男いちだん書を附して至る

二男にだん新たに戦死すと

存する者はしばらく生をぬす

死せる者はとこしへにみぬ

室中しつちゅう更に人無く

乳下にゅうかの孫有るのみ

孫に母の未だ去らざる有るも

出入しゅつにゅう完裙かんくん無し

老嫗ろうう力衰へたりといえど

請ふ吏に従つて夜せん

急にようえきに応ぜば

晨炊しんすいに備うるを得ん

夜久しうしてせい絶え

泣いてゆうえつするを聞くが如し

天明前途に登り

独り老翁と別る

『石壕吏』の現代語訳

暮に石壕の村で宿をとった

夜役人が兵隊にしようと人をつかまえにきた

宿の老主人は垣根を越えて逃げていった

宿の老女は玄関まで出ていった

役人が怒って怒鳴る

老女はただ泣きくれる

彼女は前に進み出てあいさつを述べる

息子三人兵隊として鄴城で守りについておりました

そのうちの一人が手紙を寄こしました

それによると息子二人は戦死したとのことです

残された者はなんとか生きていますが

死んだ者はもう帰ってはきません

我が家にはこれ以上兵に出す人間はおらず

まだお乳を飲んでいる孫がいるばかり

孫の母親はまだこの家におりますが

外に出ようにもまともなスカートもないありさま

この私め老いて力は衰えましたが

お役人様についてこれからお役所に行かせてください

急いで河陽で仕事につくなら

朝食の支度ぐらいはできるでしょう

夜が更け話し声も絶えた

むせび泣く声が聞こえてきた気がする

夜が明け旅を急ごうと

宿の主の老人ただ一人に別れを告げる

『石壕吏』の解説

第1句「石壕」

「石壕」は村の名前。「夜この村に投宿する」。

第2句「吏」

「吏」は下級役人。「するとこの宿に兵隊を召集しようと役人がやってきた」。

第3句「老翁」

「老翁」は「老人」、この宿の主です。

第4句「老婦出門看」

「老婦出門看」は「その老人の妻である老婦人が入り口に出て役人に応対した」。

第5句「一何怒」

「一何怒」は「なんと腹を立てていることか」。

第6句「婦啼」

「婦啼」は「その老婦人が泣く様子」。

第7句「致詞」

「致詞」は「話をする」。

第8句「三男」

「三男」は「三人の息子」。鄴城戍

第9句「一男」

「一男」は「三人の息子のうちの一人」。「書」は「手紙」。

第10句「二男」

「二男」は「息子のうち二人」。

第11句「且偸生」

「且偸生」は「とりあえずなんとか生きている」。

第12句「長已矣」

「長已矣」は「永遠に終わった」。

第13句「更無人」

「更無人」は「ほかに誰もいない」。

第14句「乳下」

「乳下」は「お乳を飲んでいる」。

第15句「未去」

「未去」は「未だ去らず」。夫が死んだからと言ってまだこの家から出ていってはいない。

第16句「完裙」

「完裙」は「ちゃんとしたスカート」。

第17句「老嫗」

「老嫗」は「老女」。

第18句「請」

「請」は「お願いします」。「夜帰」は「夜に役所に向かう」。

第19句「河陽役」

「河陽役」は「河陽での仕事」。河陽は洛陽の東北にある地名です。

第20句「晨炊」

「晨炊」は「朝食用の炊事」。

第21句「語声」

「語声」は「話し声」。

第22句「幽咽」

「幽咽」は「むせび泣く」。

第23句「天明」

「天明」は「夜が明ける」。

第24句「老翁」

「老翁」は「老人。垣根を越えて逃げていったこの宿の主」。

『石壕吏』の時代背景

実際の見聞に基づいていますから実にリアルな詩です。

「老人」「老女」と出てきますが、おそらくは40代~50代、今ならまだ中年の人たちでしょう。息子三人は20代、三人中二人は戦死してしまったというのです。さらに宿の主まで兵隊にとられてはこの後この家族はどうやって生きていくのでしょうか。応対に出た女主は気丈にも自分が飯炊きにいくからと言って、家と家族を守ろうとします。

ずいぶんむごい役所だと思いますが、このいくさは西域の胡人たちが攻め込んできたための国土防衛戦争です。戦争に負けてしまっては胡人たちに征服され一層むごい目に遭うかもしれません。

当時杜甫は長年の願いがかなって役人になって数年。王朝側の人間です。がこの詩ではいっさいの理屈や杜甫自身の感情を語らず、苦難の物語は登場人物に語らせて深い余韻を残しています。

『石壕吏』の形式・技法

『石壕吏』の形式……12韻(24句)の五言排律(五言律詩を伸ばしたもの)。

『石壕吏』が詠まれた時代

唐の時代区分(初唐・盛唐・中唐・晩唐)

唐詩が書かれた時代は、しばしば初唐(618~709)・盛唐(710~765)・中唐(766~835)・晩唐(836~907)に分けて説明します。時代の変化を表わすとともに、詩の持ち味の変化も表します。

『石壕吏』が詠まれたのは盛唐の頃です。

『石壕吏』の作者「杜甫」について

杜甫(とほ…712~770)

李白とともに唐代を代表する詩人。「詩聖」とも称されます。役人の家系に生まれ官職につくべく努力をするのですが、やっと低い地位の官職につけたのが44歳。その後戦乱に巻き込まれ安禄山の軍隊につかまって長安に幽閉されてしまいます。やがて唐朝はなんとか平穏を戻し、杜甫も官職に復帰するのですが、それからまもなく天子を諫める言葉を発したかどで左遷されてしまいます。758年の暮れ、杜甫は洛陽に出張しその後左遷先の華州に戻るのですが、その途中目にした情景を「三吏三別」六首に著します。その一つがこの「石壕の吏」です。

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