『鹿柴』王維
『鹿柴』(ろくさい)とは、盛唐の詩人・王維(おう・い…669~761)によって詠まれた詩・五言絶句です。
ここでは『鹿柴』の原文・書き下し文・現代語訳・解説・作者である王維の紹介などをしていきます。
『鹿柴』の原文
空山不見人
但聞人語響
返景入深林
復照青苔上
『鹿柴』の書き下し文
空山人を見ず
但人語の響くを聞くのみ
返景深林に入り
復た照らす青苔の上
『鹿柴』の現代語訳
ひっそりとした山には人の姿がない
ただ耳を澄ませば人の声が聞こえてくる
夕日が深い森の中に射し込み
また青苔の上を照らす
『鹿柴』の解説
この『鹿柴』という詩は『輞川(もうせん)集』20首の第4首です。
輞川は長安の南郊外にある地名で、ここに王維の別荘がありました。輞川は川あり山あり谷あり、景色の美しい所で、中でも美しい場所を20選んで「輞川二十景」としています。そのうちの一か所が「鹿柴(ろくさい)」という場所で、この詩ではここが詠まれています。「鹿柴」は元々の意味は野生の鹿の侵入を防ぐ柵を意味します。
第1句「空山」
「空山」は「人のいない山」。
第2句「人語」
「人語」は「人の話し声」。これは木こりたちの声でしょうか。
第3句「返景」
「返景」は「夕日」。
第4句「復」
「復」は「再び」。朝日が昇る時照らされ、今また夕日が斜めに差し込んで照らすという風景です。青苔が生えている場所ですから陽はほとんど射さないのでしょう。
『鹿柴』の情景
人気のない森の中、木が鬱蒼と茂っています。静まり返った森の中に遠くから人の話し声が響いてきます。木々の高みから斜めに夕方の光が射し、地面の青い苔が照らし出されています。
山に入ればどこでも見られそうな景色ですが、詩になる一瞬を歌っているのですね。
『鹿柴』の形式・技法
『鹿柴』の形式……五言絶句。
『鹿柴』の押韻……「響・上」で韻を踏んでいます。
『鹿柴』が詠まれた時代
唐詩が書かれた時代は、しばしば初唐(618~709)・盛唐(710~765)・中唐(766~835)・晩唐(836~907)に分けて説明します。時代の変化を表わすとともに、詩の持ち味の変化も表します。
『竹里館』が詠まれたのは初唐・盛唐の頃です。
『鹿柴』の作者「王維」について
王維(おう・い…669~761)は李白や杜甫と同時代の人ですが、この二人とは違って若くして科挙に合格し、役人としてまずまず順調な日々を送ります。
王維は絵や書、音楽にも高い才能を発揮し、宮廷詩人として活躍しました。その後長安郊外に別荘を買い、この別荘に「輞川荘(もうせんそう)」と名付けます。ここで紹介した詩はこの別荘近辺の景勝の地を詠んだものです。
王維は絵も描き文人画(ぶんじんが…プロの画家ではなく、文人、知識人が描く絵のこと)の祖とされていますが、彼の詠む詩では詩が成立する瞬間が絵としても美しい瞬間になり得ていて、まさに詩人と画家の魂を持つ人であることがわかります。王維の絵とされて残っているものはあまりありません。
王維はまた、同時代の李白が「詩仙」、杜甫が「詩聖」とされるのに対し、「詩仏」と呼ばれています。字(あざな)が「摩詰(まきつ)」で、名と字を一緒に読むと「維摩詰(ゆいまきつ)」となり、これはインドの在家信者として「維摩経」という経典に描かれた人物の漢字名です。母親がこう名付けたと言われますが、彼自身晩年になると仏教色の強い詩を詠んでいます。