『竹里館』王維

『竹里館』王維

竹里館ちくりかんとは、盛唐の詩人・王維おうい(669~761)によって詠まれた詩・五言絶句です。

ここでは竹里館の原文・書き下し文・現代語訳・解説・作者である王維について紹介していきます。

『竹里館』の原文

独坐幽篁裏

弾琴復長嘯

深林人不知

明月来相照

『竹里館』の書き下し文

独り坐す幽篁ゆうこうの裏

だんきん長嘯ちょうしょう

しんりん人知らず

明月来たつてあいらす

『竹里館』の現代語訳

竹やぶの中に一人で座る

きんを弾き、声を伸ばして朗詠する

深い竹林の中にいる私に誰も気づかない

明るい月だけがやってきて私を照らす

『竹里館』の解説

第1句「独坐幽篁裏」

「幽篁」は竹やぶ。題名の「竹里館」は「竹やぶの中のやかた」です。

第2句「弾琴復長嘯」

「琴」は「きん」と読みます。「琴」を弾くのは当時の知識人のたしなみでした。「長嘯」は声を長く引いて歌うこと。

第3句「深林人不知」

「深林」は「深い竹林の中」。「人不知」は「誰も私がここにいることを知らない」。

第4句「明月来相照」

「明月」は「明るい月」。中国の詩文で月はしばしば、孤独の人を慰めるものとして歌われています。

『竹里館』は『輞川(もうせん)集』20首の一つ

この詩も『鹿柴ろくさい』同様、王維の別荘地・輞川もうせん二十景の一つを詠ったものです。

『竹里館』の形式・技法

『竹里館』の形式……五言絶句。

『竹里館』の押韻……「嘯・照」で韻を踏んでいます。

『竹里館』が詠まれた時代

唐の時代区分(初唐・盛唐・中唐・晩唐)

唐詩が書かれた時代は、しばしば初唐(618~709)・盛唐(710~765)・中唐(766~835)・晩唐(836~907)に分けて説明します。時代の変化を表わすとともに、詩の持ち味の変化も表します。

『竹里館』が詠まれたのは初唐・盛唐の頃です。

『竹里館』の作者「王維」について

王維(おう・い…669~761)は李白杜甫と同時代の人ですが、この二人とは違って若くして科挙に合格し、役人としてまずまず順調な日々を送ります。

王維は絵や書、音楽にも高い才能を発揮し、宮廷詩人として活躍しました。その後長安郊外に別荘を買い、この別荘に「輞川荘」と名付けます。

王維は文人画(ぶんじんが…プロの画家ではなく、文人、知識人が描く絵のこと)の祖とされていて、この詩も情景が絵になって浮かびます。

王維は、李白の「詩仙」、杜甫の「詩聖」に対して「詩仏」と呼ばれます。

王維の名前そのものが仏教の有名な在家信者(ざいけ しんじゃ…仏教に帰依していながら出家せず普通の暮らしをしながら修行をする人)の名前を取っています。

そのあざなは「摩詰」、名「維」と字「摩詰」を一緒に読むと「維摩詰」(ゆいまきつ)となり、これはヴィマラキールティというインドの在家信者の名前になります。ちなみにこの人にまつわる物語を書いたものが『維摩経』(ゆいまきょう)という仏典。王維のお母さんがつけた名だそうです。

王維自身晩年になると仏教色が感じられる詩を書くようになります。

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