楚辞

楚辞

楚辞とは

楚辞そじ』とは、中国戦国時代後期に楚(長江の中流地域)で詠われた韻文を集めた書です。またこの歌謡の様式を指すこともあります。

楚辞の成立について

『楚辞』は、散逸していたものを前漢末に劉向(りゅう・きょう…BC77~BC6 前漢の学者・政治家)が全16巻にまとめました。集められた主な作品の作者は屈原(くつげん…BC343頃~BC278頃 戦国時代の楚の人 作品に『離騒』など)と宋玉(そう・ぎょく…生没年不詳 屈原の弟子と言われ、作品に『九弁』など)です。普通『楚辞』という時は屈原と宋玉二人の作品を指します。

劉向がまとめていなければ秦の始皇帝による「焚書」(本を焼いてしまうこと。秦の始皇帝の焚書坑儒が有名。諸子百家の書や秦以外の歴史書などが焼かれた)によって現代まで残らなかったかもしれない、と言われています。

詩経と楚辞

中国最古の詩集は西周時代の『詩経』で、その次に古い詩集が『楚辞』です。この二つの詩集は対照的で、詩経は黄河流域で作られ、楚辞は長江流域で作られました。

また詩経は民謡風で結婚や農作業など古代人の暮らしぶりを詠ったものが多く、楚辞は屈原など個人による歌が楚辞のメロディで詠われました。また神話的、幻想的であることも楚辞の特徴です。

リズムとしては詩経が1句4語であるのに対し、楚辞は3語や6語。間に兮(けい・シー)という語調を整える助字が入るのも楚辞の特徴です。

また詩経は短い詩形のものが多いのですが、楚辞は1篇1篇がとても長く、楚辞の代表作『離騒』は全部で2500字もあります。

代表作・離騒

楚辞の代表的な作品は屈原による『離騒』です。

屈原は楚の貴族の出身で、楚の国の大臣を務めた政治家です。当時は戦国時代、戦国の七雄と呼ばれる7つの国が互いに争い、しのぎを削っていました。その中では西の秦が最も強大で、楚はその隣に位置していました。どこと同盟を組んだらよいのかなど外交政策をめぐって屈原は中傷を受け、朝廷から追放されます。その後漢水・洞庭湖・湘水…などをさすらい、最後に汨羅江(べきらこう)という湖南省北部、長江支流の川に身を投げて亡くなります。

屈原の作品はこうした流浪の日々に作られたと言われます。『離騒』も湘水のほとりで自分の身の上を嘆いて詠ったものです。神話的、幻想的と言われる楚辞の特徴がよくわかる作品です。

主人公は王族の生まれながらこの世に受け入れられず、天上への旅を企てます。ではその部分のみ下に紹介しましょう。

『離騒(抄)』

『離騒』の原文

前望舒役先駆兮

後飛廉役奔属

鸞凰為余先戒兮

雷師告余以未具

吾令鳳鳥飛黱兮

継之以日夜

瓢風屯其相離兮

師雲霓而来御

紛総総其離合兮

斑陸離其上下

吾令帝閽開関兮

倚閶闔而望予

『離騒』の書き下し文

望舒ぼうじょを前に先駆せしめ

れんを後にしてほんぞくせしむ

らんこう余が為に先づいまし

雷師らいしわれに告ぐるに未だそなはらざるを以てす

われ鳳鳥ほうちょうをして飛黱ひとうせしめ

これに継ぐに日夜を以てせしむ

ひょうふうあつまつて其れ相離れ

雲霓うんげいひきゐて来りむか

ふんとして総総として其れ離合し

はんとして陸離として其れしょう

われ帝閽ていこんをして関を開かしむるに

閶闔しょうこうつてわれを望む

『離騒』の解説

第1句「望舒」は「月の車をひく御者」。この句は、月は馬車に乗って夜空を回るという言い伝えを元にしています。

第2句「飛廉」は「風の神」。

第3句「鸞凰」は「鸞」と「鳳凰」二羽の鳥。

第4句「雷師」は「雷神」。

第7句「瓢風」は「つむじ風」。

第8句「雲霓」は「雲と虹」。

第11句「帝閽」は天帝の宮殿の門。

第12句「閶闔」は「天上界の門」。

『離騒』の現代語訳

月の車の御者である望舒を先頭に馬車を走らせよう

風神である飛廉を後ろにつけて走らせよう

鸞と鳳凰は私を守ろうと警戒しつつ飛んでいく

雷神はまだ準備ができていないと教えてくれる

まず鳳凰を飛ばしてそのあとについて

昼に夜を継いで急ぐと

風神が集まってきてはまた離れ

雲や虹を引き連れて迎えてくれる

入り乱れたり離れたり合わさったり

混じっては分散し上がってはまた下がり

天帝の宮殿の門を開けてもらおうとするも

門番は門に寄りかかったまま私をながめるのみ

「離騒」は嘆きの詩ですが、そうかと思うと一転こうした神話的な世界が詠われます。壮大なファンタジーの世界です。

月は馬車に乗って空を駆け巡る…素敵なイメージですね。その御者の名前は「望舒」。

6句目の「継之以日夜」は今も中国語の中でよく使われています。日本語でも「昼に夜を継いで」といいますね。この詩から来ているのかもしれません。

外国人には難しい詩ですが、こうして読み砕いていくとすばらしい幻想の世界が現れます。

難解ですが、目をつぶってイメージしてみると、漆黒の宇宙に月の馬車が巡り始め、風神や雷神がうごめき、鳥神がはばたき…幻想的で美しい世界がひろがっていきます。

漢字の喚起力の魅力にも気づきます。

中国語で音読してみると助字の兮(シー)の響きが独特です。

『楚辞』の作品としてはほかに『湘夫人』『漁父』『天問』などがあります。

また楚辞風の作品としては『垓下の歌』があります。楚の項羽が漢の劉邦との戦いで敗北をさとった時の歌です。