『峨眉山月歌』李白

『峨眉山月歌』李白

峨眉がび山月さんげつうた』とは盛唐の詩人・李白りはく(701~762)の代表的作品の一つです。七言絶句、わずか28の文字の中に5つの地名・12の文字、残りわずか26の文字で雄大な景色と時の流れ、そして抒情じょじょうを歌っています。

ここでは『峨眉山月歌』の原文・書き下し文・現代語訳・解説・作者である李白の紹介をしていきます。

『峨眉山月歌』の原文

峨眉山月半輪秋

影入平羌江水流

夜発清溪向三峡

思君不見下渝州

『峨眉山月歌』の書き下し文

峨眉山月 半りんの秋

影は 平羌江へいきょうこうの水に入りて流る

夜 清溪せいけいを発して 三峡に向かう

君を思えど見えず 渝州ゆしゅうに下る

『峨眉山月歌』の現代語訳

峨眉山の上に見える秋の月は半月

月の光が平羌江へいきょうこうの水に映って流れる

清溪せいけいから船出して三峡に向かう

君を思っても君は見えず 船は渝州ゆしゅうに下っていく

『峨眉山月歌』の解説

この詩は李白24、5歳のころ、故郷の蜀から長江を下って諸国巡りの旅に出た時の詩とされています。

李白の生きた唐の王朝時代、立身出世を願う若者は中央政界での活躍を夢見ました。天子のそばで良き政治をする助けとなりたい、そうしてこその人生だと願っていたのです。

中国で役人になるにはかの有名な「科挙」という試験を突破しなければなりませんが、実はこの時代の科挙は万民に開かれたものという建前はあるものの、一族に商人や職人などがいればこの試験を受けることはできませんでした。

また仮に受験資格があったとしても有力者のつてがなければ仕官することもできなかったのです。

李白の父は裕福な商人で教育にも熱心だったと言われます。幼い頃からすぐれた才能を見せていたという李白、自分を中央官庁に売り込んでくれそうな有力者のつてを探すのを目的として、父親からたっぷりと旅費をもらって諸国行脚、人生の輝かしい幕を開けるべく武者修行の旅に出た時の詩がこの「峨眉山月歌」で、李白初期の代表作と言われています。

峨眉山
峨眉山。山頂から見える雲海が有名です。

峨眉山は蜀・今の四川省の名山で標高3098メートル、仏教や道教の聖地でもあるこの山は李白にとってなつかしいふるさとのシンボルでした。秋の夜、故郷の我が家を後にしてかたわらの峨眉山に目をやるとそこには半月がかかっています。その月の光はこの峨眉山の東を流れる平羌江(へいきょうこう)に映り、船の動きとともに月もついてくるのでしょう。月の光を「影」という言葉で表しています。「影」には「ものの影」という意味と「光」という意味があってここでは「月の光」を意味しています。

平羌江という川は三国時代蜀と魏の間に割拠した少数民族羌族(チャン族)と関係があるのでしょうか。この河は現在「青衣江」と呼ばれますが、「青衣」は京劇の女性役を意味する言葉でもあります。女性らしさをたたえた河なのかもしれません。

船は宿場「清渓」から出て長江の難所「三峡」に向かい、「渝州」に下っていきます。

三峡は重慶から湖北省にかけて連なる3つの峡谷「瞿塘峡」「巫峡」「西陵峡」を言い、三峡ダムができた今も迫力ある絶景で有名です。ここは水の流れが速く暗礁にぶつかって難破する可能性が高く長江の難所です。ここを越えると「渝州」、渝州は唐代の地名で現在の重慶を指すのだと言います。重慶は広く、そのどのあたりになるのでしょうか。李白はこの時「江陵」まで下ったという説もあります。江陵ならば現在の湖北省荊州、長江をぐっと東に下ったところです。

李白は青春の日の秋、四川省の峨眉山を出発して清渓から三峡を越え湖北省あたりまで、難所を無事に越え海のような長江を下っていったのでした。

さてこの詩で気になるのは「君を思う」の「君」は何を指すのかということです。

普通は「月」を指すと解釈するのですが、「月」に君と呼びかける例は他にあまりなく、やはりここは故郷に残した美しい女性を指すのではという専門家も。

さらには「君」は「月」を指すのだが、月は慕わしくても近づけない、眺めていても触れることはできない、だから友を想う心の象徴なのだという解釈も。

「峨眉山」の「峨眉」は「蛾眉」に似て、「蛾眉」は女性の美しい眉を意味します。「月」もまた女性がイメージされる言葉。「君」は峨眉山の月であり、その月はまた美しい女性でもある…この言葉からはいろいろなイメージが浮かび、まあどうとでもお好きに取ってくださいよ、と李白は言っているのかもしれません。

いずれにせよこの詩の最後で、未来に向かう心と裏腹の自分を故郷に引き留めようとするある種の未練、ある種の不安が見え隠れしているような気がします。

『峨眉山月歌』の形式・技法

『峨眉山月歌』の形式……七言絶句(7字の句が4行並んでいます)。

『峨眉山月歌』の押韻……「秋、流、州」。

『峨眉山月歌』が詠まれた時代

唐の時代区分(初唐・盛唐・中唐・晩唐)

唐詩が書かれた時代は、しばしば初唐(618~709)・盛唐(710~765)・中唐(766~835)・晩唐(836~907)に分けて説明します。時代の変化を表わすとともに、詩の持ち味の変化も表します。

『峨眉山月歌』が詠まれたのは盛唐の頃です。

『峨眉山月歌』の作者「李白」について

李白
李白。

李白(りはく…701~762)

唐代、というより中国文学を代表する大詩人。「詩仙」とも称されます。

生涯を漂泊の旅に生き、中国文学史に輝く巨星の一つでありながら不遇の一生を送りました。

故郷は蜀(四川省)と言われており豊かな商人を父に持ったと言われていますが、確証はありません。若い時に中央で才能を発揮しようと長江を下って長安をめざします。この詩はその出発の時の詩です。

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