『山中問答』李白

『山中問答』李白

山中問答』(さんちゅう もんどう)は、唐詩の代表的な詩人・李白によって作られました。「なんだって山の中なんかで暮らしているのだ」となじる声に対して、山暮らしの幸福感をもって反駁する詩です。

ここでは『山中問答』の原文・書き下し文・現代語訳・解説・作者である李白の紹介をしていきます。

『山中問答』の原文

問余何意棲碧山

笑而不答心自閑

桃花流水杳然去

別有天地非人間

『山中問答』の書き下し文

余に問う何の意ありてか碧山(へきざん)に棲(す)むと。

笑って答えず心自(おのずか)ら閑(かん)なり。

桃花流水杳然(ようぜん)として去る。

別に天地の人間(じんかん)に非(あら)ざる有り。

『山中問答』の現代語訳

私にこう問いかける人がいた。なんでまたこんな山深い所に住んでいるのだ、と。

私は笑って返事をしなかったが、そう問われても心が波立つことはなかった。

満開の桃の花がひとひら、またひとひらと川面に散り、はるか彼方まで流されていく。

ここは俗世間とは隔絶した至福の場所なのだよ。

『山中問答』の解説

第1句…「問余」の「余」は「自分」。ここでは李白自身のことと思われます。誰かに以下の部分を問われた、という意味です。「何意」は疑問を意味を表しています。「いったいどういうことなのか?」。「棲碧山」は「碧(みどり)なす奥深い山に住む」。

全体としては「いったい何だってこんな山奥に住んでいるのか」と聞く者がいた。質問にはやや馬鹿にしたニュアンスがあります。

第2句…「笑而不答」は「笑って答えない」。「心自閑」は「心はおのずから穏やかでゆったりとしている」。全体の意味は「その質問に私は笑って答えなかった。が、心は少しも波立たず、穏やかでゆったりとしている」。

この詩は別に「山中答俗人(山中俗人に答える)」という題名もついています。「俗人」は日本語と同じニュアンスです。出世とか金とか、俗世の価値観にどっぷりつかり、そこに微塵も疑いを持たない人…。こういう人から上から目線で「なんでまたこんな所に?」と聞かれて、李白は笑って答えなかった。価値観の異なる人と論争してもしかたがないからです。ところがいつもならやっぱり波立つのです。李白の心にもまた同じ価値観が潜んでいるからでしょう。でもこの時は…心は少しも波立たなかった…何が彼の心を支えたのか。それが第3句、第4句に書かれています。

第3句…「桃花流水杳然去」は「桃の花びらが水に流れて遠くに去っていく」。今李白の住むこの山間の地は桃の花が満開で、その花びらが清らかな川面(かわも)にはらはらと落ち、遠くに流れていく…。それはまるで陶淵明が「桃花源の記」で描いたこの世のユートピアのよう。そこは俗人とは無縁の世界です。

第4句…「別有天地非人間」は「人間世界とは異なる別天地がある」。「人間」はいわゆる「人」のことではなく、「人の住む世界」つまり「この世」のことです。

この第3句、4句こそが、第1句の問いに対する答えであり、第2句の「穏やかな心」の理由でもあります。俗人の価値観では、出世にもお金にも結び付かない山の中の暮らしが、俗から離れた人間の価値観では、心満たされた至福の場所になると、李白は一人呟くのです。

『山中問答』の形式・技法

七言絶句(7語を1句として全部で4句となる詩型)です。

「押韻」…山・閑・間

『山中問答』が詠まれた時代

唐の時代区分(初唐・盛唐・中唐・晩唐)

唐詩が書かれた時代は、しばしば初唐(618~709)・盛唐(710~765)・中唐(766~835)・晩唐(836~907)に分けて説明します。時代の変化を表わすとともに、詩の持ち味の変化も表します。

『山中問答』が詠まれたのは盛唐の頃です。

『山中問答』の作者「李白」について

李白
李白。

李白(りはく…701~762)

李白はいわずとしれた杜甫と並んで唐詩を代表する詩人です。その人生は決して順調ではありませんでした。25、6歳の頃、蜀のふるさとを後に宮廷での職を求めて武者修行に出ます。宮廷で官僚となるには科挙を突破することが条件でしたが、ほかにも有力者の推薦という手もありました。李白はこちらを選んだのです。詩の才能にあふれた李白は自信満々だったことでしょう。ところが30を過ぎ40を過ぎても彼にはお呼びがかかりませんでした。

42歳になってやっと詩の才能が認められ、翰林供奉(かんりん ぐぶ)という宮廷詩人の地位に就くことができました。時の皇帝は楊貴妃とのラブストーリーで有名な玄宗です。玄宗の覚えめでたく活躍した李白ですが、2年後にはその職を解かれてしまいます。その理由としては周囲の嫉妬を買ったからとか、酒癖が悪かったからといわれています。

職を失った李白はその後再び全国放浪の旅に戻りました。実家が裕福だったのでお金には困らなかったようです。

この詩は宮廷を追われて旅暮らしをする50代の頃の詩です。

若い頃から隠者や道士の暮らしへの憧れがあった李白は、栄達への夢を断ち切られて再びそうした方向にさまよっていたようです。

自分の今を落魄(らくはく)、落ちぶれたという無念の思いで心が荒れる日もあったでしょう。一方そうした現世の価値観を捨てるならば、今まさに隠者としての暮らしをしているのだと自分を肯定する思いもあったでしょう。こうした二つの心が交錯する思いがこの詩に紡(つむ)がれたと読むこともできそうです。

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