『九月九日憶山東兄弟』王維

『九月九日憶山東兄弟』王維

九月九日憶山東兄弟』は、遠くふるさとを思う詩の代表的な作品です。王維17歳の詩ですが、代表作の1つでもあります。重陽節に華山の東にある家族を思って詠った詩です。

ここでは『九月九日憶山東兄弟』の原文・書き下し文・現代語訳・解説・作者である王維の紹介をしていきます。

『九月九日憶山東兄弟』の原文

九月九日憶山東兄弟


独在異郷為異客

毎逢佳節倍思親

遥知兄弟登高処

遍挿茱萸少一人

『九月九日憶山東兄弟』の書き下し文

九月九日山東の兄弟(けいてい)を憶(おも)う


独り異郷に在りて異客(いかく)と為(な)る

佳節に逢う毎に倍(ますます)親(しん)を思う

遥かに知る兄弟(けいてい)高きに登る処(ところ)

遍(あまね)く茱萸(しゅゆ)を挿して一人(いちにん)を少(か)くを

『九月九日憶山東兄弟』の現代語訳

九月九日重陽節に華山の東にある故郷の兄弟を憶(おも)う


たったひとり異郷でよそものとして暮らしていると

節句が来るたびにますます親兄弟がしのばれる

はるか故郷を想う。兄弟たちは今頃小高い山に登って

頭にはゴシュユの枝を挿し、ひとり家族が足りないなあと私を思っていることだろう

『九月九日憶山東兄弟』の解説

題名…王維の故郷は現山西省なので「山東」は山東省のことではありません。西安、当時の長安の東にある華山(中国五名山の1つ)の東にあるので「山東」と言っています。

第1句…「独在異郷為異客」は「自分一人異郷で旅人として暮らしている」。当時王維は17歳、科挙の試験を受けるために故郷を離れ、長安で勉強をしていました。

第2句…「佳節」は「節句を祝う日」。この詩では「重陽の節句」を指します。旧暦9月9日の節句で、古代中国では、山に登ったり、菊の花のお酒を飲んだり、菊の花の上の露を布に沁み込ませてそれで体をぬぐって健康を祈るなどの習慣がありました。

「重陽」とは、「陽」の数の極である「9」が2つ重なるという意味です。「重陽」は「ちょうよう」と呼び、「じゅうよう」とは読みません。「倍」は「ますます、一層」。「親」は「親族、身内」。

第3句…「遥知」は「遠くにいながらわかる」。「登高」は「重陽の節句の行事として山に登る」。「処」は「~するとき」。

第4句…「遍」は「みんなで」。「茱萸」…「ゴシュユ、カワハジカミ」のことで、漢方薬の材料になり、体の不調を整えたり、殺虫効果などもあるようです。重陽節にはそれを髪に挿したり、砕いて香袋などに入れ腕にぶらさげたりして付近の山に登り、健康を祈りました。「少一人」は「一人が欠けている」。

初めて親元を離れ、異郷で家族がそばにいない寂しさを詠った詩です。17歳の少年が作ったシンプルな詩ですが、今も異郷で家族を思うとき引用される詩の代表となっています。

独り者にはお正月が辛い、しみじみ孤独を感じる…という話を日本でも聞きますが、中国の節句は家族が全員集合することが前提になっていて、おそらくこれは唐の時代よりもっと昔からこうだったのでしょう。中国では今でも家族の結束が日本よりはるかに強いと感じられますが、それは社会が日本よりずっと厳しいことの裏返しかもしれません。

春節(中国のお正月)だけではなく、中秋節も重陽節も家族が無事全員集まってこその節句なのです。それだけにそこに1人欠けるということは、まるい円が欠けてしまった残念さ、寂しさがあるのでしょう。

この詩は勉学のためそうした家族からひとり離れた少年の寂しさを詠っていますが、後半はその自分がいない家族の寂しさを詠っているようにも感じられます。「遥かに知る」内容は「兄弟高きに登る処遍く茱萸を挿して一人を少くを」を指していて、「一人を少くを」は情景のようにも、兄弟の思いにも受け取れます。現代語訳は、兄弟の思いとして訳しました。家族の情としてこちらの方が自然な感じがします。

『九月九日憶山東兄弟』の形式・技法

七言絶句(7語を1句として全部で4句となる詩型)です。

「押韻」…親・人

『九月九日憶山東兄弟』が詠まれた時代

唐の時代区分(初唐・盛唐・中唐・晩唐)

唐詩が書かれた時代は、しばしば初唐(618~709)・盛唐(710~765)・中唐(766~835)・晩唐(836~907)に分けて説明します。時代の変化を表わすとともに、詩の持ち味の変化も表します。

『九月九日憶山東兄弟』が詠まれたのは盛唐の頃です。

『九月九日憶山東兄弟』の作者「王維」について

王維
王維。

王維(おう・い…669?~761)

王維は現山西省出身。幼い頃から絵や書、詩などさまざまな分野に天与の才を見せていました。その後ふるさとを離れて長安で科挙受験の準備をし、21歳の若さで合格、22歳でキャリア官僚となりました。朝廷では詩の才能をもてはやされていましたが、まもなく左遷され、その後は40歳近くまで地方を転々としました。中央政府に戻って安定した役人の暮らしが始まり、宮廷詩人としての名声も高まりますが、やがて安禄山の乱に巻き込まれてしまいます。晩年は仏教に傾倒し、仏教に帰依する心境の詩も残しています。

この詩は王維17歳、任官を夢見てひとり唐のみやこで勉学に励んでいる時の詩です。

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