『春夜』蘇軾
『春夜』は、「春宵一刻値千金」の句が有名な蘇軾の七言絶句です。乗り手のいない春の夜の「秋千」(ブランコ)も登場します。
ここでは『春夜』の原文・書き下し文・現代語訳・解説・作者である蘇軾の紹介をしていきます。
『春夜』の原文
春宵一刻値千金
花有清香月有陰
歌管楼台声細細
鞦韆院落夜沈沈
『春夜』の書き下し文
春宵(しゅんしょう)一刻 値千金
花に清香有り月に陰有り
歌管(かかん)楼台声細細(さいさい)
鞦韆(しゅうせん)院落夜沈沈
『春夜』の現代語訳
春の宵は一刻に千金の価値がある
花は清らかに香り、月はおぼろに霞みがかかる
歌や笛がにぎやかだった高殿も今は音もかすかになり
ブランコのある中庭では静かに夜が更けていく
『春夜』の解説
第1句…「一刻」は「わずかな時間」。「千金」は「非常に価値がある」。
第2句…「清香」は「清らかな香り」。「月有陰」は「月に雲がかかっている」。
第3句…「歌管」は「歌と笛の音色」。「楼台」は「高い建物」。「細細」は「かすかである」。
第4句…「鞦韆」は「ブランコ」。「院落」は「中庭」。「夜沈沈」は「夜が更けていく様子」。
「春宵一刻値千金」…日本では第1句だけが独り歩きしている詩です。どこに入っている文なのかと思ったら、蘇軾・蘇東坡の詩なのでした。心地よく気だるく、眠りに誘われそうな詩です。
鞦韆…難しい字ですが、現代中国語では「秋千」と書きます。日本語では「ブランコ」ですが、この日本語は擬態語なのか外来語なのか諸説あります。
古代中国の優雅な詩になぜブランコが…と思ってしまいますが、ブランコ、つまり秋千は中国では紀元前の春秋時代からあるのでした。元は北方少数民族のスポーツ用具だということです。体を鍛錬するためだったのでしょうか。
これが中原…つまり黄河流域の中華文明の中心地に来ると、女性の遊具になったというのです。古代中国では子供たちの遊具ではなかったのですね。
特に宮廷で官女たちが好んで遊んだそうで、美しい官女たちが優雅な裳裾(もすそ)を翻してブランコを楽しむ姿は、一幅の絵のようだったことでしょう。そういえば日本でも放映された中国ドラマ『宮廷の諍い女』では、清朝の雍正帝とヒロインの出会いの場が庭園のブランコでした。
その後お金持ちの家でも女性たちのために中庭に秋千を置くことが多かったとか。当時格式ある家の奥方や令嬢が外を出歩くなどはみっともないこととして許されず、せめてブランコをこいで、高くなったところでいっとき外の世界を垣間見て楽しんだというのです。
ともあれこの詩の世界でも中庭に秋千が置いてあったのですね。今は夜更け、誰も乗っていませんが、昼間これをこいで笑い声をたてていたのは、きっと年若く美しい女性でしょう。
月もおぼろ、にぎやかな管弦の音も消えようとし、清らかな花の香りと乗り手のいないブランコがあるのみ。それでいて美しい月の光や楽の音、美女の姿は幻想として残っているのです。夢の中にいるようなこのぼんやりとした華やかさは、まさに値千金の春の宵です。
『春夜』の形式・技法
七言絶句(7語を1句として全部で4句となる詩型)です。
「押韻」…金・陰・沈
『春夜』が詠まれた時代
『春夜』が詠まれたのは宋の頃です。
『春夜』の作者「蘇軾」について
蘇軾(そ・しょく…1037~1101)
蘇軾は号が東坡。詩文や書、画にすぐれた万能の天才型文人であっただけでなく、大臣にまで上りつめた政治家であり役人でした。現四川省眉山の出身で、父・蘇洵、弟・蘇轍とも優れた文人で「三蘇」と呼ばれ、3人とも「唐宋八大家」に選ばれています。
22歳で弟・蘇轍と共に科挙に合格しキャリア官僚となりますが、当時の北宋王朝は改革派と保守派の対立が激しく、この中で蘇軾は40代から60代までに何度か流刑となり、南方のへき地など地方を転々としています。最後にやっと中央に戻れることになり、その旅の途中で病に倒れ亡くなりました。
官僚としては浮き沈みの激しい人生でしたが、高級官僚でありながらその人柄は寛容でユーモラス、「人見人愛」(会った人すべてから愛された)と伝わっています。
蘇軾の号を料理名とした「東坡肉」(豚の角煮)も蘇軾が黄州(現湖北省)に流されていた時に、当時人が見向きもしなかった豚のバラ肉に目をつけ考案したと伝わっています。その際つくった「打油詩」(おふざけ唄)が今も残っていて、流刑地で落ち込むことなく料理を楽しみ、こんな歌まで作っていた蘇軾の人柄が目に浮かぶようです。
『食猪肉』(中国で「豚」は「猪」と書きます)
黄州好猪肉 価賤等糞土 富者不肯喫 貧者不解煮 慢着火少着水 火候足時他自美 毎日起来打一碗 飽得自家君莫管
(黄州は豚肉がうまい 価格はクソのように安く 金持ちは見向きもしない 貧乏人は料理の仕方がわからない とろ火にかけて 水はちょっぴり 充分火が通ればこんなにウマいものはない)