『秋風引』劉禹錫
『秋風引』は、歌謡として歌われた詩です。雁の群れや庭木の揺れに秋風を感じる孤独な旅人の心を詠っています。
ここでは『秋風引』の原文・書き下し文・現代語訳・解説・作者である劉禹錫の紹介をしていきます。
『秋風引』の原文
何処秋風至
蕭蕭送雁群
朝来入庭樹
孤客最先聞
『秋風引』の書き下し文
何れの処よりか秋風(しゅうふう)至り
蕭蕭として雁群(がんぐん)を送る
朝来(ちょうらい)庭樹(ていじゅ)に入(い)り
孤客(こかく)最も先に聞く
『秋風引』の現代語訳
どこからか秋風が吹いてきて
ヒューヒューと雁の群れを追い立てている
朝になると風は庭木を吹きぬけ
孤独な旅をする私は誰よりも先にその音を聞いた
『秋風引』の解説
表題…「引」は「楽府題(がふだい)」の1つ。「楽府題」とは「楽府の題名」のことで、楽曲名です。白居易の『琵琶行』、李白の『子夜呉歌』など表題に「歌・行・曲・吟・引・詞」などがついているものは「楽府題」で、それぞれに異なるメロディがついています。
この詩も元は歌われたものです。
第1句…「何処」は「どこからか」。
第2句…「蕭蕭」は風や雨、流水や草木の揺れる音の擬音語で、馬の鳴き声もこれで表します。物寂しさを表すこともあります。
「送」は、秋風が雁の群れを送り出しているということ。
第3句…「朝来」は「朝がた」。「庭樹」は「庭木」。「入る」は「(秋風が)入ってくる」。
第4句…「孤客」は「孤独な旅人」。ここでは作者自身を指しています。
秋の物寂しさを詠った詩で、「秋風」「蕭蕭」「孤客」などの言葉が寂しさをかき立てます。作者は中央を追われ、左遷先の地方に旅立つ途中なのでしょう。
優秀な官僚として中央で活躍するはずだったのに、左遷されてしまった。奮闘は負け戦に終わった。落ち込む心を抱えての一人旅に秋風はいっそう身に沁みます。
詩は空を飛ぶ雁の群れを見て秋風を感じ、宿の庭木の揺れにまた秋風を感じています。意気揚々と生きていた時には感じることのなかった季節の微妙な変化を感じ取り、そうした自分を「ああ私は誰よりもはやく秋風の音を聞いた」と眺めて、孤独をかみしめているような詩です。
情景詩ですが、デリケートな心を詠った詩のようでもあり、それほどの深みのないシンプルな詩のようにも感じられます。
これはもともと旋律があるんですね。その旋律に合わせて作られた歌詞です。そう考えるとシンプルさにも納得です。
曲に合わせて歌ったならば、秋の寂しさや孤独感が切々と聞く人の胸を打ったのではないでしょうか。どんな曲だったのか聞いてみたいものです。
『秋風引』の形式・技法
五言絶句。
押韻は群・聞。
『秋風引』が詠まれた時代
唐詩が書かれた時代は、しばしば初唐(618~709)・盛唐(710~765)・中唐(766~835)・晩唐(836~907)に分けて説明します。時代の変化を表わすとともに、詩の持ち味の変化も表します。
『秋風引』が詠まれたのは中唐の頃です。
『秋風引』の作者「劉禹錫」について
劉禹錫(りゅう・うしゃく…772~842)
劉禹錫は中唐の詩人で河北省出身。科挙の試験に合格してエリート官僚となりましたが、政治改革運動に加わったことで地方に左遷されてしまいます。その後中央に戻されたり、地方の役職を歴任したりしました。柳宗元と親しく、晩年は白居易とも親交がありました。
劉禹錫は当時エリートだけのものだった唐詩の世界に、地方で流行っていた歌謡の要素を持ち込んだ人です。庶民の歌がエリート文化の世界に入り込み、またエリート文化が平易な詩の形で庶民の世界に入り込むようになった新しい文化の担い手の1人でした。
これは玄宗皇帝の時代後期に、安史の乱によってみやこが破壊され、エリート役人や文化人などが地方に流れて中央の文化を伝え、逆に地方の文化の魅力を感じた劉禹錫のような左遷された役人が庶民の歌を中央に伝えたなどによって起きていったといわれています。