『勧酒』于武陵
『勧酒』は、「さよならだけが人生だ」という井伏鱒二の名翻訳で有名な詩ですが、原文は井伏訳とはやや異なるニュアンスを持つような気がします。
ここでは『勧酒』の原文・書き下し文・現代語訳・解説・作者である于武陵の紹介をしていきます。
『勧酒』の原文
勧酒
勧君金屈卮
満酌不須辞
花発多風雨
人生足別離
『勧酒』の書き下し文
勧酒(かんしゅ)
君に勧む金屈卮(きんくつし)
満酌(まんしゃく)辞するを須(もち)いざれ
花発(ひら)けば風雨多く
人生別離足(た)る
『勧酒』の現代語訳
酒を勧める
この黄金のジョッキでぐぐっとやってくれ
なみなみと注いだのを断ってくれるなよ
花が咲けば嵐も多い
人生に別れはつきものだ
『勧酒』の解説
第1句…「金屈卮」は「黄金で作られた取っ手のついた杯・ジョッキ」。
第2句…「不須~」は「~する必要はない」。
第3句…「満酌」は「なみなみと注ぐ」。「辞する」は「断る」。「花発」は「花が咲く」。
第4句…「足る」は「たくさんある・~だらけだ」。
この詩は日本では井伏鱒二の名訳で有名です。
コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
サヨナラダケガ人生ダ
太宰治は遺作『グッドバイ』の中でこの詩、特に第4句に言及し、そのセンセーショナルな亡くなり方と相まって、この句は一層有名になりました。
「さよならだけが人生だ」という言葉は多くの日本人がどこかで聞いたことがあると思いますが、その元詩がこの于武陵の『勧酒』です。
于武陵は科挙の難関を突破してエリート官僚になった人ですが、誰もが羨むその職を捨て各地を放浪、やがて隠棲生活を送りました。于武陵のもう1つの有名な作品『贈売松人』(松売り人に贈る)を読んでも世俗にどっぷり浸って生きることへの嫌悪感が感じられます。
こういう人だから仕官してもうまくいかなかったのか、それともうまくいかなかったから俗社会が嫌になったのか…ともあれ生きることの難しさを味わった人なのでしょう。
そこに親しい友人がやってくるのですが、後半の2行からは訳ありの人を感じさせます。仕事か人間関係で挫折したのでしょうか。詩からは落ち込んでいる姿が感じられます。
彼は金の酒杯という豪華な取っ手付き杯を取り出します。エリート役人をしていた時に誰かから贈られたシルクロード製の貴重品でしょうか。そこになみなみと酒を注いで「何はともあれまずは一杯飲め」と言うのです。
この貴重品をわざわざ出してきた姿に、「どうせ人生なんて」とある種のやけっぱちより、何とか相手を励ましたい思いを感じます。俗世を捨てる人にとっては黄金の酒杯など取り立てて価値はないのでしょうが、「金」という文字を詩句に入れたというところに、何かしらのメッセージを感じます。励ましてやりたいものだ…そうだ、金のジョッキがあったなあ…あれで酒を飲ませるか…。
相手は金ジョッキだけでなく何度も飲めと言わないと、酒を飲む気にもなれないほど落ち込んでいるようにも感じられます。作者はそうした相手に「きれいな花もいっときのことで、必ず風雨に遭って散ってしまう。花も人も歩く道もずっとこのままであってほしいと思っても、必ず風雨がやってきて終わる時が来る。それが人生というものだ」と諄々と説くのです。
こうして自己流の解釈で味わってみると、井伏式訳詩の味わいとは少し違ったものを感じます。「サヨナラダケガ人生ダ」は不条理な人生をポーンと突き放した感じがしますが、この詩はむしろ「それでも頑張って生きていけよ。私もそうして生きてきたんだ」と励ましている感じです。「人生とはそういうものであっても、それでも次の年にはまた花が咲き、人は新しく出会い、尽きた道を曲がればまた趣のある道が待っている」と。
『勧酒』の形式・技法
五言絶句。
押韻は巵・辞・離。
『勧酒』が詠まれた時代
唐詩が書かれた時代は、しばしば初唐(618~709)・盛唐(710~765)・中唐(766~835)・晩唐(836~907)に分けて説明します。時代の変化を表わすとともに、詩の持ち味の変化も表します。
『勧酒』が詠まれたのは晩唐の頃です。
『勧酒』の作者「于武陵」について
于武陵(う・ぶりょう…810~没年不詳)
于武陵は晩唐の詩人。宣宗の時代に進士となりましたが、やがて中央官僚の職を辞し、書物と琴(きん)を手に放浪生活に入りました。後に嵩山(すうざん)山中で隠遁生活を送ったといわれます。