文選【春秋戦国時代から南北朝の梁までの期間の文集】

『文選』

文選もんぜん』は、春秋戦国時代(B.C.770~B.C.256)から南北朝の梁(A.D.502~A.D.557)までの約千年の間に書かれた優れた文学作品を集めた文集です。日本でも古くから愛されてきました。

ここでは『文選』の内容・影響・代表的な文などを紹介します。

『文選』とは

文選」と書いて「もんぜん」と読みます。

春秋戦国時代から南朝の梁までに書かれた優れた詩や文を選んで、文体ごとにまとめたアンソロジー(詞華集…いろいろな作家の作品を集めたもの)です。全30巻。編集作業は、526年から530年頃で、梁の昭明太子(蕭統…501~531)と劉孝綽(りゅう こうしゃく…815~39)など文人たちにより、526年前後から528年頃に編纂されたと考えられています。

収録作品は約800、作者は約130名です。

『文選』に収録された文体の分類

文選』収録文は「事は沈思より出で、義は翰藻に帰す」(深い思索による内容を美しく表現したもの)という基準で選ばれています。

その文体はさまざまで、賦、詩、騒、七、詔、冊(さく)、令、教、策文、表、上書、啓、弾事、牋(せん)、奏記、書、檄(げき)、対問、設論、辞、序、頌、賛、史論、論、銘、碑文、墓誌、行状、吊文、祭文など37種類にのぼります。

それぞれの文体においては、その文体の作品が作者の年代順に並べられています。

また上記文体のうち「賦」と「詩」はさらに内容別に分類されています。それは賦や詩が、他の文体と比べて内容が多様であったためだといわれています。

賦は15分類され、詩は23分類されています。以下にそれを並べました。

(賦)全15分類

京都、祭祀、耕籍、畋猟(でんりょう)、紀行、遊覧、宮殿、江海、物色、鳥獣、志、哀傷、論文、音楽、情。

(詩)全23分類

補亡(『詩経』で失われた篇や章を補う詩)、述徳(古人の徳を称える詩)、勧励(善を勧める詩)、献詩(皇帝に捧げる詩)、公讌、祖餞、詠史、百一(当時の出来事への諷刺詩)、遊仙、招隠、反招隠、遊覧、詠懐、哀傷、贈答、行旅、軍戎、郊廟(天地を祀ったり、祖先を祀る詩)、楽府、挽歌、雑歌、雑詩、雑擬。

上記分類からは当時の賦や詩の内容がおおよそどんなものだったかがわかります。

また順序としては、公的な内容の詩が先で、個人の想いを歌った詩が後になっています。

文体とは

さてここでいう「文体」とは何かというと、文章の語彙や修辞などに関するスタイルではなく、文の内容、文を書いた目的、作者の身分などについての区分のことです。

以下文体のそれぞれについて説明します。

詔、冊(さく)、令、教、策文…どれも君主が臣下に宛てて書いた文ですが、誰の名前で書かれているかによって名称が変わります。

詔、冊…皇帝の名において出された文。

令…皇太子や皇后の名において出された文。

教…王侯の名において出された文。

ただし、皇帝や皇太子などの名によって出されているとしても、実際書いているのはその側近や役人です。

策文…皇帝が秀才(将来の官吏候補)に出す文。

表、上書、啓、弾事…こちらは臣下が君主に対して自分の考えを書いた文。弾事は役人の不正を糾弾する文ですが、これ以外は特に大きな区別はありません。

牋(せん)、奏記、書、檄(げき)…どれも手紙文ですが、牋と奏記は手紙の受け取り手が皇族や大臣で、内容は公的なものから私的なものまでいろいろです。

対問、設論…登場人物二人が問答することによって作者の思想を述べる文。

辞…「楚辞」に源流がある韻文。

序…文集や文学作品の序文。

頌、賛…功績や書画などをほめる文。

史論…歴史批評。

論…あるテーマについて論じた文。

銘…戒めの文。

碑文、墓誌、行状、吊文、祭文…亡くなった人のために書かれた文。

主な作家と収録作品名

文選』に収録された文体は多彩で、賦、詩、騒、詔、文、表、上書、書、檄、対問、設論、辞、序、頌、賛、史論、論、銘、碑文、墓誌、行状、吊文、祭文など37種類にのぼります。

「事は沈思より出で、義は翰藻に帰す」(深い思索による内容を美しく表現したもの)という基準で選ばれています。

このうち「賦」は56篇、「詩」は443篇で、合わせて約500篇、全体の60%以上です。

下に作家とその収録作品タイトルを一部紹介しましょう(一部の作品には簡単な解説もあります)。

屈原(くつげん…BC.340頃~BC.278頃)「離騒」「九歌」「天問」

宋玉(そうぎょく…生没年不詳)「高唐賦」「神女賦」「招魂」

荊軻(けいか…?~BC.227)歌一首。(荊軻は始皇帝を狙った戦国末期の刺客)

漢高祖(劉邦)(りゅうほう…BC.247・256~BC.195)歌一首。(しがない遊侠の徒から前漢皇帝となった英雄の歌)

司馬昭如(しば しょうじょ…BC.179~BC.117)「天子遊猟の賦」「子虚賦」「上林賦」

武帝(ぶてい…BC.156~BC.87)「秋風辞

司馬遷(しば せん…BC.145/135~BC.87/86)「報任少卿書」(李陵をかばって宮刑に処せられた司馬遷の心情が書かれた手紙)

李陵(り りょう…?~BC.74)「蘇武に与う三首」(匈奴に抑留された李陵が、同じ境遇の蘇武に与えた詩)

班固(はん こ…32~92)「両都賦」(長安と洛陽の美しさを歌った作品)

張衡(ちょう こう…78~139)「帰田賦」「南都賦」

無名氏「古詩十九首」…作者不詳の詩。

曹操(そう そう…155~220)「楽府二首」「短歌行」(酒を前にしたら歌うべし。人生なんてあっという間だ…曹操のイメージ通りの豪快な歌)

王粲(おう さん…177~217「登楼賦」

諸葛亮(しょかつ りょう…181~234)「出師表」

曹丕(そう ひ…187~226)「燕歌行」「典論」

曹植(そう ち・そう しょく…192~232)「洛神賦」「七哀詩」「応氏を送る詩」

阮籍(げん せき…210~263)「詠懐詩」(変人、奇人として有名な阮籍の詩)

嵆康(けい こう…223~262)「与山巨源絶交書」

潘岳(はん がく…247~300)「秋興賦」「悼亡詩」「金谷の集にて作れる詩」

陸機(りく き…261~303)「文賦」「赴洛詩」

陶淵明(とう えんめい…365~427)「帰去来の辞」「貧士を詠ずる詩」

謝霊運(しゃ れいうん…385~433)「地上楼に登る」「石壁精舎還湖中作」

李密(り みつ…582~618)「情事を陳(の)ぶる表」

左思(さ し…生没年不詳)「三都賦」「詠史詩」「嬌女詩」(幼い愛娘を歌った詩)

鮑照(ほう しょう…414~466)「蕪城賦」「東武吟」

沈約(しん やく…441~513)「宋書謝霊運伝論」

謝朓(しゃ ちょう…464~499)「遊東田」「晩登三山還望京邑」

いずれも著名な作品であり名作揃いです。これらの作品の中のいくつかは高校漢文の教科書にも登場します。

いわゆる文人の書いた作品だけでなく、武帝、曹操、諸葛亮など歴史上有名な人物による作品も収録されています。

『文選』収録文の紹介

名文ぞろいの『文選』収録文から、その中でも有名な諸葛亮の「出師の表」と陶淵明の「帰去来の辞」を紹介します。

諸葛亮「出師の表」(一部)

『出師の表』(一部)の原文

臣亮言。

先帝創業未半、而中道崩殂。

今天下三分、益州疲弊。

此誠危急存亡之秋也。

然侍衛之臣、不懈於内、

忠志之士、亡身於外者、

蓋追先帝之殊遇、欲報之陛下也。

誠宜開張聖聴、以光先帝遺徳、

恢志士之気。

不宜妄自菲薄、引喩失義、

以塞忠諫之路也。

宮中府中、倶為一体、

陟罰臧否、不宜異同。

若有作姦犯科、及為忠善者、

宜付有司、論其刑賞、

以昭陛下平明之治。

不宜偏私、使内外異法也。

『出師の表』(一部)の書き下し文

臣亮言(もう)す。

先帝創業未だ半ばならずして、中道に崩殂(ほうそ)せり。

今天下三分して、益州疲弊す。

此れ誠に危急存亡の秋(とき)なり。

然(しか)れども侍衛(じえい)の臣、内に懈(おこた)らず、

忠志の士、身を外に亡(わす)るるは、

蓋(けだ)し先帝の殊遇(しゅぐう)を追いて、之を陛下に報いたてまつらんと欲すればなり。

誠に宜(よろ)しく聖聴を開張して、以て先帝の遺徳を光(おおい)にし、

志士の気を恢(おおい)にしたまうべし 。

宜(よろ)しく妄(みだ)りに自(みずか)ら菲薄(ひはく)し、喩(たと)えを引き義を失いて、

以て忠諫(ちゅうかん)の路を塞(ふさ)ぎたまうべからざるなり。

宮中府中は、倶(とも)に一体為(た)り、

臧否(ぞうひ)を陟罰(ちょくばつ)して、宜(よろ)しく異同あるべからず。

若(も)し姦(かん)を作(な)し科(とが)を犯し、及び忠善を為(な)す者有らば、

宜(よろ)しく有司(ゆうし)に付して、其の刑賞を論じたまい、

以て陛下平明の治を昭(あき)らかにし、

宜(よろ)しく偏私(へんし)して、内外をして法を異にせしめたまうべからざるなり。

『出師の表』(一部)の現代語訳

臣・諸葛亮以下申し上げます。

先帝(劉備)は創業いまだ道半ばにして崩御されました。

今天下は三分され我が蜀の益州は疲弊しております。

今まさに危急存亡の秋(とき)です。

とはいえお仕えする臣下は内に怠ることなく

忠義の士は外にあって我が身を忘れて尽くしているのは

先帝から受けたご恩に報いようと思うからでしょう。

どうか諸人の意見を広く受け入れ、それによって先帝の遺徳を輝かせ、

志ある臣下の気持ちを高めてやってください。

むやみに自らを貶めたり、自分に都合のいいたとえを引いて義を失い、忠義からの諫(いさ)めの道を塞いではなりません。

宮中も政府もともに一体となって、良い行為をした者は評価し、悪い行いをした者は罰し、そこに違いがあってはなりません。

もし不正を行う者、罪を犯す者、良い事をする者がいたら、役人のところに送って賞罰を論じさせ、それによって陛下の優れた治世を天下に明らかにし、私情に流されたり偏ったりして宮廷の内外で法の執行に違いが出るようなことをしてはなりません。

『出師の表』(一部)の解説

古代から中国ではもちろん日本でも「忠義の鏡」と称えられてきた文章ですが、あらためて読んでみると、忠義というより親が遺していく子に切々と君主としてどうあるべきかを説いているような文章です。諸葛亮はよほど劉禅と蜀の未来が心配だったに違いありません。諸葛亮の不安は的中し、その死後劉禅の蜀は魏に滅ぼされてしまいました。

「劉禅」は今も中国では暗愚の君主の象徴となっています。

文中の「危急存亡の秋(とき)」ということばは現代の日本でも時に使われます。

陶淵明『帰去来兮辞』(一部)

陶淵明『帰去来兮辞』(一部)の原文

帰去来兮

田園将蕪胡不帰

胡不帰

既自以心為形役

奚惆悵而独悲

知来者之可追

実迷途其未遠

覚今是而昨非

舟遥遥以軽颺

問征夫以前路

恨晨光之熹微

陶淵明『帰去来兮辞』(一部)の書き下し文

帰りなんいざ

田園(でんえん)将(まさ)に蕪(あ)れなんとす

胡(なん)ぞ帰らざる

既に自ら心を以て形の役と為(な)す

奚(なん)ぞ惆悵(ちゅうちょう)として独(ひと)り悲しまん

已往(いおう)の諫(いさ)めざるを悟り

来者(らいしゃ)の追う可(べ)きを知る

実に途(みち)に迷うこと其(そ)れ未(いま)だ遠からず

今の是(ぜ)にして昨(さく)の非なるを覚(さと)る

舟(ふね)は遥遥(ようよう)として以て軽(かろ)く颺(あが)り

風飄飄(ひょうひょう)として衣を吹く

征夫(せいふ)に問うに前路(ぜんろ)を以(もっ)てし

晨光の熹微(きび)なるを恨む

陶淵明『帰去来兮辞』(一部)の現代語訳

さあもうふるさとに帰ろう。

ふるさとの田畑は荒れつつあるというのに

どうして帰らないのだ。

かつて我が心は肉体に動かされるがままだった。

今になってなぜひとり悲しみ憂えているのだ。

わかっているとも、かつての過ちを取り戻せないことは。

だが未来は追いかけることができる。

道に迷ってしまったが、まださほど遠くまでは来ていない。

わかっているとも、かつては間違っていたが今日という日のこの選択は正しいことを。

船は水面を軽々と前に進み

風は漂い舞って衣を吹き上げる。

船頭にこの先の道のりを尋ねたが、

日の光が弱くてよく見えないのが残念だ。

陶淵明『帰去来兮辞』(一部)の解説

日本語で読むこの漢詩文は

「帰りなんいざ 田園まさに荒れなんとす」

という言葉の響きが全てではないでしょうか。現代語訳の「さあもうふるさとに帰ろう」と比較してみてください。「帰りなんいざ」という言葉の魔力に気づかされます。

もっともこの「帰りなんいざ」は翻訳です。中国語は「帰去来兮」。この音をなんとか日本語にするなら「グイチイライシー」ですが、この音には上がり下がりがあります。ゆったりとした抑揚です。

「帰去来兮」という中国語に「帰りなんいざ」という訳をつけたことで、この詩文は漢詩漢文を愛する日本人の心をわしづかみにしたという気がします。

詩の翻訳は不可能と言われますが、中にはその翻訳が元の詩とはまた違った魅力を持つ別の詩を作り上げるということがあります。『帰去来の辞』もそうした詩文の一つかもしれません。

陶淵明は東晋405年彭沢県の県令に任命されるのですが、3か月ほど勤めただけで職を辞し故郷の農村に帰ってしまいます。この詩はその時に書かれたものです。

29歳の時に宮仕えを始めて13年、彼はずっと役人の世界を嫌悪し田園への憧れを抱き続けていました。この文を書いて役人をやめた後、彼が元の世界に戻ることはありませんでした。

後代への影響

隋や唐代から科挙が始まり、そこでは文章を書く力が重視され、『文選』の収録文章はその規範となりました。いわば科挙・解答編です。「こういう詩、こういう文章を書けば、難関・科挙の合格まちがいなし」といった具合です。

宋代になると「文選爤、秀才半(文選さかんにして、秀才半ばなり)…文選をしっかりと学べば、科挙の5割は合格ラインを突破したようなものだ」といわれました。

日本への影響

日本にもかなり早くから伝わり、当時の貴族にとって必読中国古典のひとつでした。

『枕草子』には以下のような記述がみられ、『文選』の詩文集を高く評価しています。

…書(ふみ)は文集(もんじゅう…「白氏文集」のこと)。文選。新賦。史記。五帝本紀。願文(がんもん…神仏への祈願文)。表(ひょう…天皇への上奏文)。博士の申文(もうしぶみ…任官などの申請書)。

上記清少納言によるおススメ中国古典ランキングが、評価の高い順に書かれているとするなら、筆頭が『白氏文集』(白楽天の詩文集)で次が『文選』です。

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